_34 魔法少女たちの望郷
風が吹きあがる。
月と並んだ巨大な《手》。そのシルエットは、眠っている子供を乗せて彼方へ飛び去ろうとする宇宙船にも見えた。
「
「中と言えるかは微妙じゃのぅ」と
浪戸は淡々と所見を述べたに過ぎなかった。しかし、セイランはなにかハッとした様子で彼女を見た。
「グリモワールのこと、『
「鋭いのぅ。応じゃ」
むき出しにしていた敵意を一時しまい込み、代わりに浪戸は
「《信仰》、叡智、思念の
浪戸はかつて、生き物が生きるためにも《信仰》――つまり魔力を、常時消費していると語っていた。この世界にかたちを持って存在するのに、マガツヒもソトツヒもそこは同じらしい。
「
「じゃあ、その、思念っていうのは、魂みたいなものッスか? それなら、カタチはあれでも、朱鐘センパイではあるってことなんじゃ……」
「そう取ることもできよう。ただし、ヒトのか細い思念にあの器は大きすぎる。男の児の意識は薄まりきって、ないも同然。
「役割……?」
セイランが首をかしげたそのとき、浪戸の背後の木立ちから、不意に別のものが進み出てきた。
浪戸よりだいぶ背は低いが、横に広く大きく見える。
キリギリスの
「ゲゲェッ! ゲジゲッジッ!?」
セイランはちぢみあがった。
「
「デカすぎッス!! なに
「かわいいもんじゃろうが。浮かんでおるアレに比べればのぅ」
片目を閉じて浪戸が肩をすくめる。と同時に、今度は耳障りな音が辺りを包んだ。
全方位から木々の擦れる音と、鳥の羽ばたきが押しよせてくる。
セイランが思わず空を見張ると、あちこちから飛び立つなにかの群れが見えた。
多くは虫だ。縮尺に戸惑う虫の化け物たち。
蛾に甲虫、尾の割れた蚊トンボ。それから有翼の獣たち。
手に手に剣や槍をたずさえた、人型の人でないものもいる。
「うっほ、ほぇぇ? ひゃ、百鬼夜行ッス……」
「みどもの手勢じゃ。あちらは
うめくセイランに浪戸が言い添える。異形のマガツヒらの群れは、渦巻くように夜空を旋回しはじめていく。
渦の中心には静かなる《魔女の手》。地上からは個々が米粒のように小さく見えるマガツヒらに比べれば、山が浮いているようにさえ見える。
「アレが出た以上、みどもらは負け
「一部とはいえ《魔女》は《魔女》。かつての
「なにをする気なんスか、《魔女》サマの《手》は。役割って?」
「〝道〟をひらく」急に声が冷える。「ソトツヒの通路。群れを
浪戸の声色はまた、牙を剥くように華やぎもした。「じゃーぎ、やってくれたと言うたのじゃ、シャラ・グードー」ふたたび害意に燃えはじめた赤い瞳で、言葉をうしなうセイランらをねめつける。
「いまや式体はそなたひとりじゃ。ソトツ仔は『にぎりめし』を握るどころか、浮いておるのがやっとという
犬歯の先で唾液が糸を引くのを見て、ようやくセイランもこぶしを構えた。
マガツヒたちは《魔女の手》相手に全力を注がないはずがない。その前に、たとえ死に体でも障害になりうるものは残しておきたくないだろう。
魔法少女に勝ちすじがあるとすれば、浪戸が時間をかけられないことだけ。シグを抱いて逃げまわるのが唯一の策。浪戸もそれをわかっていて、ゴキブリも捕らえる
「思い違うでない」と浪戸。「そなたらが望んで《魔女の手》を
「……あーしの?」
首をかしげつつ、素直に構えをゆるめたセイランに、浪戸はくっくっとのどを鳴らす。
「男の児の家でみどもに申したのぅ。《魔女》をみどもらに引き渡す
セイランは、こぶしはまだあげたまま、一旦浪戸から目をそらした。記憶をたぐるべく、並木の下の
少しして、今度はシグのいるほうを振り向いた。目が合ったが、どちらも口をひらかず黙りこむ。
やがて浪戸に顔を戻し、セイランはきっぱりと言い放った。
「だいたいそういうことッス」
「しまった。本当に勘か」
浪戸はあごを手で押さえて
「まぁよい。くしくもみどもらは、そなたのその勘に賭けることにしたわけじゃ。言うたじゃろう? トチガミが出てこなくては話にならんと」
「……《魔女》サマを、起こすんスか?」
「察しがよいときはよいのぅ」
ふたたび気をよくしたように、浪戸は頬を上気させてうなずいた。
だが、セイランは細く息を呑む。ソトツヒの《魔女》が眠りについているのは、目覚めていては地球で生きられないからではなかったか。
「嫌とは言わせぬ」
回りこむように浪戸が言った。喜色をたたえたまま、うなるように声を低め、ヒトには大きすぎる犬歯のそばに、青黒く細長い舌を覗かせ。
「もとい、言えぬはずじゃ、シャラ・グードー。すべてそなたが呼びこんだとなれば」
「……どういう意味ッスか?」
「歩道橋」
「!?」
そのひと言で、ついに浪戸の前でサラがのどを鳴らした。浪戸は勝ち誇るように深く息を吐いた。
「先に訊けと言うたじゃろう? どうしてここへ。なぜ来たかは話した。なぜ来られたかは、そなた、すでに知っておる。あの
「撒き餌?」
問い返したのはシグだった。浪戸もそちらに視線を映し、あざけるために目を細める。
「読み違えたのぅ、ソトツヒの仔。小細工を
「居場所がわかる、って……」セイランが衝動のまま口走る。「そんなッ……見つかったのは、魔法のせいじゃ……!」
「魔法、か。それも大事ではあったとも。ただしあの小ささでは、街全体でなく一カ所に網を張っておらねば気づきもせんかったことじゃろう。のぅ、リィジャの
返事に添えられた
リィザはエリザベトの愛称、サラの母の名だ。
その名を
「我が名は浪戸。……またの名を『家の精』、ドモヴィーク。家長ドーラが娘リィジャに連れられ、すろびやより参った。みどもとそなたは同じ
※すろびや……スロヴィアの
※ドモヴィーク……スラヴ圏の民話に登場する家の守り神。
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