_34 魔法少女たちの望郷


 風が吹きあがる。令法野高校ブノコーの校庭から、セイランはまばたきを抑えてまた空を見る。


 月と並んだ巨大な《手》。そのシルエットは、眠っている子供を乗せて彼方へ飛び去ろうとする宇宙船にも見えた。


朱鐘あがねセンパイが、あの中に……」

「中と言えるかは微妙じゃのぅ」と浪戸ロウド。「変身した式体まほうしょうじょの状態で取りこまれたのなら、《信仰》で作られておったの体もほどけたはずじゃ。閉じこめられていた思念も、散り散りになってアレ全体と同化。いまやとも言えよう」


 浪戸は淡々と所見を述べたに過ぎなかった。しかし、セイランはなにかハッとした様子で彼女を見た。


「グリモワールのこと、『えい』って呼んだッスね」

「鋭いのぅ。応じゃ」


 むき出しにしていた敵意を一時しまい込み、代わりに浪戸はそんに口角をあげた。


「《信仰》、叡智、思念のさんいったい。それは、みどもらマガツヒにせよソトツヒにせよ、物質にらず生きるモノらの存在の式じゃ。叡智が《信仰》をやりくりし、思念を体現する。すなわちえいとは、みどもらが外界に干渉するための肉を作りだす装置どね。《魔女》は眠りにつくにあたり、叡智をみずからの外に置いた。そうしておけば、外界に干渉できぬ代わりに、手持ちの《信仰》を無為に費やしてしまうことはないからのぅ」


 浪戸はかつて、生き物が生きるためにも《信仰》――つまり魔力を、常時消費していると語っていた。この世界にかたちを持って存在するのに、マガツヒもソトツヒもそこは同じらしい。


じゃーどしかし、思念とも切りはなされ、乾ききった叡智は吸いこむ《信仰みず》を選ばず、注がれただけ元のかたちを得る。がたすずを選ばぬように」

「じゃあ、その、思念っていうのは、魂みたいなものッスか? それなら、カタチはあれでも、朱鐘センパイではあるってことなんじゃ……」

「そう取ることもできよう。ただし、ヒトのか細い思念にあの器は大きすぎる。男の児の意識は薄まりきって、ないも同然。じゃーぎゆえに、なすことは純然たる本能、本分、ソトツヒが末端として叡智に刻まれた〝役割〟に基づく」

「役割……?」


 セイランが首をかしげたそのとき、浪戸の背後の木立ちから、不意に別のものが進み出てきた。


 浪戸よりだいぶ背は低いが、横に広く大きく見える。

 ふしをいくつも持つ長い体。黒目のついた三角の頭に、太く鋭い

 キリギリスの後肢こうしを集めてムカデに履き替えさせたような異容が、浪戸の隣りに並ぶや否やキシと鳴いた。


「ゲゲェッ! ゲジゲッジッ!?」


 セイランはちぢみあがった。


イエり手どね。ひれ伏すがよい」

「デカすぎッス!! なに亜紀あきッスか!?」

「かわいいもんじゃろうが。浮かんでおるアレに比べればのぅ」


 片目を閉じて浪戸が肩をすくめる。と同時に、今度は耳障りな音が辺りを包んだ。


 全方位から木々の擦れる音と、鳥の羽ばたきが押しよせてくる。

 セイランが思わず空を見張ると、あちこちから飛び立つなにかの群れが見えた。


 多くは虫だ。縮尺に戸惑う虫の化け物たち。

 蛾に甲虫、尾の割れた蚊トンボ。それから有翼の獣たち。

 手に手に剣や槍をたずさえた、人型の人でないものもいる。


「うっほ、ほぇぇ? ひゃ、百鬼夜行ッス……」

「みどもの手勢じゃ。あちらは潘尼バンニに率いらせておる」


 うめくセイランに浪戸が言い添える。異形のマガツヒらの群れは、渦巻くように夜空を旋回しはじめていく。

 渦の中心には静かなる《魔女の手》。地上からは個々が米粒のように小さく見えるマガツヒらに比べれば、山が浮いているようにさえ見える。


「アレが出た以上、みどもらは負けいくさじゃわ」浪戸が隠しもせず皮肉げにに言った。

「一部とはいえ《魔女》は《魔女》。かつての令法りょうぶノカミをくだしたソトツヒどね。時間稼ぎにはなろうども、その間にでもトチガミが出てこねば話にならん」

「なにをする気なんスか、《魔女》サマの《手》は。役割って?」

「〝道〟をひらく」急に声が冷える。「ソトツヒの通路。群れをび、宇宙そら彼方かなたよりことわりを超えて瞬時に顕現けんげんさせるための〝穴〟じゃ。それがひらかれれば、どれほど離れていようと総出でやつらは押し寄せる。およそ、夜も明けきらぬうちに」


 浪戸の声色はまた、牙を剥くように華やぎもした。「じゃーぎ、やってくれたと言うたのじゃ、シャラ・グードー」ふたたび害意に燃えはじめた赤い瞳で、言葉をうしなうセイランらをねめつける。


「いまや式体はそなたひとりじゃ。ソトツ仔は『にぎりめし』を握るどころか、浮いておるのがやっとという塩梅あんばいか」


 犬歯の先で唾液が糸を引くのを見て、ようやくセイランもこぶしを構えた。

 マガツヒたちは《魔女の手》相手に全力を注がないはずがない。その前に、たとえ死に体でも障害になりうるものは残しておきたくないだろう。


 魔法少女に勝ちすじがあるとすれば、浪戸が時間をかけられないことだけ。シグを抱いて逃げまわるのが唯一の策。浪戸もそれをわかっていて、ゴキブリも捕らえる俊足しゅんそくの虫を連れてきたか。


「思い違うでない」と浪戸。「そなたらが望んで《魔女の手》をびだしたならいざ知らず、思いがけずと見えるそなたの口車に乗ってやろうというんじゃ」

「……あーしの?」


 首をかしげつつ、素直に構えをゆるめたセイランに、浪戸はくっくっとのどを鳴らす。


「男の児の家でみどもに申したのぅ。《魔女》をみどもらに引き渡す理由いわれがない、と。そなたはかんじゃと申したども、つまり、《魔女》の側に眠りにつく理由いわれがあったというのじゃろう? 役割の放棄、ないし保留のため。じゃーぎ、目覚めたとて危険はない、と」


 セイランは、こぶしはまだあげたまま、一旦浪戸から目をそらした。記憶をたぐるべく、並木の下のやぶを見つめて黙りこむ。


 少しして、今度はシグのいるほうを振り向いた。目が合ったが、どちらも口をひらかず黙りこむ。


 やがて浪戸に顔を戻し、セイランはきっぱりと言い放った。


「だいたいそういうことッス」

「しまった。本当に勘か」


 浪戸はあごを手で押さえてしぶそうに顔をそむけた。隣りでゲジゲジが励ますようにキシュと鳴く。


「まぁよい。くしくもみどもらは、そなたのその勘に賭けることにしたわけじゃ。言うたじゃろう? 出てこなくては話にならんと」

「……《魔女》サマを、起こすんスか?」

「察しがよいときはよいのぅ」


 ふたたび気をよくしたように、浪戸は頬を上気させてうなずいた。

 だが、セイランは細く息を呑む。ソトツヒの《魔女》が眠りについているのは、目覚めていては地球で生きられないからではなかったか。


「嫌とは言わせぬ」


 回りこむように浪戸が言った。喜色をたたえたまま、うなるように声を低め、ヒトには大きすぎる犬歯のそばに、青黒く細長い舌を覗かせ。


「もとい、言えぬはずじゃ、シャラ・グードー。すべてそなたが呼びこんだとなれば」

「……どういう意味ッスか?」

「歩道橋」

「!?」


 そのひと言で、ついに浪戸の前でサラがのどを鳴らした。浪戸は勝ち誇るように深く息を吐いた。


「先に訊けと言うたじゃろう? どうしてここへ。なぜ来たかは話した。は、そなた、すでに知っておる。あの機械カメラはのぅ、ソトツ仔の気を引くが狙いの、単なる〝〟じゃわ」

「撒き餌?」


 問い返したのはシグだった。浪戸もそちらに視線を映し、あざけるために目を細める。


「読み違えたのぅ、ソトツヒの仔。小細工をろうさずとも、みどもはシャラ・グードーの居場所ならば。その母の血に連なる『家』の者ならばすべて、いつなんどき、どこにいようと」

「居場所がわかる、って……」セイランが衝動のまま口走る。「そんなッ……見つかったのは、魔法のせいじゃ……!」

「魔法、か。それも大事ではあったとも。ただしあのでは、街全体でなく一カ所に網を張っておらねば気づきもせんかったことじゃろう。のぅ、リィ末娘すえむすめよ?」


 返事に添えられたて名に、セイランはまた凍りつく。


 リィはエリザベトの愛称、サラの母の名だ。


 その名をうたいあげ、黒肌の幼女がけけと笑う。双子の火星のようないろまなこをひらききり、割れた氷のように鋭い犬歯をその根まで見せ。


「我が名は浪戸。……またの名を『家の精』、ドモヴィーク。家長ドーラが娘リィジャに連れられ、より参った。みどもとそなたは同じいえのむじなどね、いとしきまつまい、シャラ・グードー」







※すろびや……スロヴィアのなまり。「スラヴ人たちの国」の意。


※ドモヴィーク……スラヴ圏の民話に登場する家の守り神。座敷童ざしきわらしに近い、東欧の妖怪。


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