_32 魔法少女たちの返報
「グリ、モ……《魔女》の……?」
サラは復唱しかけて、へたり込んだまま凍りついた。さっきの朱鐘の心音よりはるかに速い自分の鼓動を、全身で聞く。
グリモワール――魔女部の面々が、魔法の研究をしたためた記録ノートのことをそう呼んでいた。ただそれらは全部、陽和が私蔵していた研究日誌も含め、残らずシグが焼きはらったはずだ。
だからこその、サラの悪寒。すわりの悪い予感。
焼かれていないグリモワール。魔法の書に、原典はなかったか……?
「朱鐘」シグが少年を耳もとで呼んだ。
「マガツヒがこちらへ来ないなら、きみたちは安全だ。きみの再契約は厚意として受け取るけれど、最後までボクに付きあう必要は――」
「いいから急げ」朱鐘は強くさえぎった。「《魔女》をやられたら負けなんだろ」
悪寒がサラの全身に広がる。
魔法少女のではなかった。「まじょ……?」のグリモワールだ。魔女部部長、
なにをするための……?
「なんスか、それ……」
訊かねばならないと、サラは思った。
「なんなんスか……答えてください……」
訊いておかなくては、きっと月の明かりさえ見えなくなる。
「答えて……朱鐘センパイッ!」
ネコのような緑色をしたサラの目に、強い光が戻るのを見ただろうか。ようやく朱鐘は、サラに向かって口をひらきかける。が、あえぐように息を惑わせたまま、声を発さずにまたつぐんでしまった。
「出力器官だよ」
代わりに答えたのはシグだ。「魔力のね」
朱鐘は口をはさまない。ただ、サラからは目をそらす。
「魔力の、器官……?」
「そう。元々は《魔女》の一部だった。《魔女》が自分を封印する際、切りはなしてボクに預けたんだ。ボクが魔力をあやつれるのもそれのおかげさ」
「それを、センパイはどうするつもりで――」
「契約に組みこむ」
朱鐘が答えた。
かすかに逃げ腰だったことをぬぐい去るように、いまは確固とした目つきでサラを見ていた。キテラの姿で大マガツヒたちと対峙したときのように。
「触れるだけでいいそうだ。それで《魔女》の
「魔法って……シグシグと同じように、ッスか? それは……それはおかしいッスよ」サラは声を大きくしていった。
「なんでいまさら? どうして、隠し玉にしてたんスか? 訊かれなくたって、シグシグに都合が悪いッス。朱鐘センパイは知ってたんスよね? なんで、なんで、じゃあななんスかッ!?」
「なにが起きるかわからないからだ。魔法が使えるようになる可能性は十分に高い。だが、それ以外はシグも――」
「そうじゃないッス! どうして朱鐘センパイがひとりでッ――」
「理由がないだろ。おまえを頼る理由も、おまえがシグにそこまでする理由も」
「じゃあ、朱鐘センパイにはあるんスかッ!」
「訊かないのがおまえらしいと思ってたけどな」
「ッ……!?」
不意に朱鐘が頬をゆるめるのを見て、サラは息を呑んだ。
脳裏をよぎるのは、背の高いふたりの男性。ふたりとも、サラと同じ髪の色。
雰囲気は正反対なのに、見た目はそっくりの、やさしい背中。思い出すたびこみあげてくる、遠ざかっていくふたつの背中。
サラはあごが割れそうなほど奥歯を噛みしめ、激しく息まいた。言葉もなく叫びだしそうになるのをこらえながら、全力で目の前の少年をにらみすえる。
「いまは……朱鐘センパイを、止めたいッスッ……!」
今度は朱鐘が息を呑む番だった。
目を見ひらいたというほどではなく、忘れものに気づいたような、少なくとも笑んではいない顔をしてみせる。
それから言った。なにかの合図を聞いたように、合図を送りかえすように。
「おれの
切り裂かれた革張りのソファ。ロッカーの中のショーケースの中のティーセット。落書きと、その跡にまみれたホワイトボード。
サラもふと気づく。いま自分が着ている、サイズの足りない借り物の制服。大切に保管されていたのは確かだろう。ただそれにしても、着古された感触がしなかった。
「……姉貴は、中学の頃から引きこもりでな。原因はひどいいじめだ。高校にはしばらく通えたが、それも長くはもたなかった。わざわざ家まであがり込んできたコイツと、バカげた契約を交わすまでは」
朱鐘がため息まじりに、うしろのシグを振り返る。
その白いマスコットの持ちかける契約は、十代の少女の承認欲求と変身願望をくすぐるものだ。うちのめされ、孤独へ逃げざるをえなかった未熟な心は格好の取り引き相手だったのだろう。《魔女》が作った防衛機構に過ぎない存在にとっては、それだけのことでしかない。
朱鐘の口ぶりにも苦みはあった。ただ、目の奥に険しさはなく、少しさびしそうなだけだった。
「おれが姉貴を救うんだって、ずっと思ってた。でも、結局なにもできなかった。魔法少女の姿を手に入れた途端、姉貴は自分で立ち直っていった。家を出て、いまはまともに社会人やってる。そのきっかけを与えられたのは、コイツだけだった」
「……じゃあ、センパイは、お姉さんの代わりに、シグシグに恩返しを?」
「……そんなんじゃない」
不意に朱鐘の姿が揺らぐ。気がつくとサラの前に、セパレートスタイルの奇抜なメイド服をまとう少女がいた。長手袋をした白く細い手を胸に当て、あずき色の目にサラを映す。
「この姿、姉貴の変身とおんなじなんだ」
アストラル★キテラ――ではない、ドメスティック☆りおん。
サラがサブスクを長時間漁っていて見つけた、マニアックな児童向けアニメに登場する魔法少女。レビュー評価も高いとは言えない。朱鐘のような男子高校生が知っているのが意外だった。リアタイで観ていた年上の異性が、身内にでもいなければ。
「おれは……姉貴になりたかったんだ。小さい頃から、強くてかっこいい姉貴が、おれのあこがれだった。おれが姉貴を救いたかったのも、本当は、自分のあこがれを取り戻したかったんだ。普通におれのほうだよ、借りがあるのは」
そう言って、長いまつ毛のふちどる目を伏せる。キテラの口ぶりはとうに落ちついていた。口もとには、かすかに自嘲気味なだけの笑みを、また浮かべはじめてもいる。
サラは静かにつぶやいた。
「――じゃあ、結局恩返しじゃないッスか」
「……そうだな」キテラは短く答えた。「それでいい」
「よくッ、ないッッッス!!」
サラはうしろ髪を振り乱して立ちあがった。
「朱鐘センパイは、センパイの気持ちはッ、ちゃんとそこにあるんスか!? 借りがあるだけこなしてるって聞こえるッス! そんなのッ、あーしは絶対――」
「
サラは、汗と涙ですべる眼鏡もずれたまま、濡れたレンズごしに〝朱鐘〟を見ていた。ぼやけた視界では、〝彼〟と〝彼女〟が同時に見える気がして、ふたりともに届くように、ふたりぶんの声を張りあげた。
だから、聞こえた声もふたりぶん。
「おまえは、理由がなくても平気だって言ってたけどな、理由がついてるほうが、うれしいやつもいるんだ。そこにいても、いいんだって思えるから」
「……ッ……」
サラは奥歯を噛む。いきんで体を固くして、すり抜けていくものを、こぼれて落ちていくもの止めたい。
そう躍起に願っても、拾いあげる手を持てなかった。
あの列車に、陽和が乗るのを止められなかった。
ここにいてもいいと、彼女に思わせられる言葉を、あのときも見つけられなかったから。
「おまえがいてくれてよかった」
「っ……!?」
朱鐘は、きっと見透かしていた。
だから、そう言ったのだろうか。
その気になればがむしゃらに立てるあの子が、背中を追ってきませんように。
「おまえがいなかったら、おれは
だから、そう言ったのだろうか。
あなたもわたしの理由でいてくれますように。
「だからおまえは、ここにいてくれ」
それを最後に、キテラの姿のまま、彼はサラに背を向けた。
そのあずき色の鋭い目で、「シグ」と、自分を導いてきたマスコットを見あげる。
白いぬいぐるみがそばまで降りてきて、「朱鐘」と呼びかえす。その声が、どこか気づかわしげに聞こえたのは、誰かがそう思いたかったからか。
「本当にいいんだね?」
「ああ」
キテラがうなずくと、シグの全身が青白く光りはじめた。
シグたちを中心に空気がうずを巻き、
やがてシグの背に、ほとばしる光のつばさが現れる。――
星のきらめきとともに装丁を変えつづける、異形の魔本。掲げられた魔法少女の手に吸いよせられるようにめくれ、羽ばたき、よりまぶしく輝いていく。
いまその魔本に触れんとするキテラの隣りに、サラは小さな影を見た。
青白く光る少女のかたち。古い着物を着た、短い銀色の髪の。
キテラと並んで手をつないでいるように見えたその影が、不意にサラに振り向いて。
その夜空のような濃い青の瞳が、いまにも泣きだしそうにうるむのを見たとき、サラは声の出し方を思いだした。立って、手を伸ばして、がむしゃらに追いつくための。
「待って……待って、センパイ。待ってッ! あーしを、ひとりにしないでッ――」
呼吸も景色も光に飲まれる。同時に押し飛ばされるような衝撃を受け、サラは暗闇に落ちた。
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