▼30 その魔法少女、出立
陽和の保護者には連絡を入れず、萌彩の名義で特急の乗車券をもう一枚用意し、ホテルの予約もツインに替えた。あとで騒ぎになるだろうが、大人たちにマガツヒのことまで説明できない。シグいわく、勝っても負けても、マガツヒたちは今夜中を決着をつけにくるだろうとのことでもあった。
列車の到着を待つあいだ、陽和はサラとホームの待合室に座って、ずっと寄り添ってもらっていた。頭を抱いてもらって、サラの胸に耳を当て、鼓動の音を聞いていた。
窓の外では、朱鐘と萌彩が、シグもまじえて立ち話をしている。と、不意に口を押さえてしゃがみこむ萌彩が見えて、陽和はまた息が苦しくなった。
自分が死んでいても、誰かがああして泣きくずれてくれたのだろうか。つい数十分前に自分が死のまぎわにいた実感がいまさらこみあげてきて、しかし、恐怖よりも去来したのは、どこかさびしいような気持ちだった。
「……ごめんね、みんな」
きっと聞こえない、風の音のような声でつぶやいて、もう目を閉じようとした。目を閉じてしまえば、そばにあるのは母親の匂いと体温に思えてくる。甘くあたたかい香りの中でまどろんでいれば、怖いものなどなにもないような気がして。
髪をなでつけてくれていた手が動きを止めたのは、そのときだ。
「あーしのママはッスねー」
目をあける。
ほんの数ミリでも離れるのが惜しくて、わざと頬を擦りつけながら上を見あげた。髪をむすび直して、初めて会ったときと変わらないサラの顔がある。目が合ったことがクリスマスプレゼントだったみたいに、明るい緑の瞳がパッときらめく。
「どえれぇ美人なんッス」
「……、……ほぇ?」
最初反応に困り、間を置いても結局、陽和は間の抜けた声をあげた。
その反応のなにがまた琴線に触れたのだろうか。サラは陽和をより強く抱き寄せて、額にほおずりをし始めた。
「だからッスねぇー、あーしのパパは、いざアタックするとき、コクるとは死ぬことと見つけたりッ、と思ったらしいッス」
「……サラちゃん、いま脚色したよね?」
なんの話かとは問えずも、思わず呆れて口をひらいてしまう。
「でもッスねー、パパが本当に怖かったのは、フラれちゃうことじゃなかったんス」
サラはほおずりをやめると、遠くを見るようにして言った。なんでもないことみたいに。きれいな思い出を語るように。
「ママは、戦争から逃げて日本に来たんス」
「え……?」
聞き慣れない単語に、陽和はまたキョトンとしてしまう。
それは心当たりがないせいだととらえただろうか。サラは少し苦笑まじりに、「知ってますかね?」と、ふたたび陽和と目を合わせてたずねた。
「あーしが生まれるより前ッスから、センパイもまだ赤ちゃんッスけど」
「!? それって――」およその時期がつかめた途端、陽和はパズルに合うピースを見つけた。「知ってる。令和じゃ、ほかに聞かないもの。大きな国が、一方的に小さな国に攻めこんだ、って……」
知っている限りの知識を徐々に引き出しながら答えるうち、陽和の声は尻すぼみになっていった。正解なのは確かだと思う。ただ、学校の授業やネットの記事の中の話でしかなかったものが、いま自分の肌に触れている、その唐突な感覚に戸惑った。
「まあ、戦争のことは、あーしもくわしくないッス」と言って、サラが戻ってくる。「知ってるのは、あーしのじーじが日本生まれで、その縁でママは、住んでた場所がいよいよ危なくなったとき、こっちに来られたって話だけッス。で、パパはそういう、ママみたいな人たちを助けるお仕事をしてたんスね」
当時の避難民の受け入れについてまでは、陽和にも知識がなかった。ただし距離的には離れた国の話だ。あまり多かったとは思えない。サラの母親ほど好条件のそろうケースは、なおさら稀少だっただろう。それはとても幸運なことだと理解しながら、陽和は一抹のさびしさも感じて聞いていた。
「下心はあったって、パパはあーしに白状したッス。お世話役としてあいさつに行ったとき、ママが美人すぎてずーっと舞いあがってたって。でも、だからこそッスね。パパは、ママが自分を守るためにオーケーするのが一番怖かった、って言ってたッス。たとえそれがママなりの恩返しのつもりでも、ママの気持ちとは関係ないのが不安だったって」
その理屈は、わかる気がした。戦争とは大ごとだ。ひとりの人間の気持ちにすぎないと言って、自分で自分を大切にできなくなるのかもしれない。
そうでなくても、自分の国を追いだされて、知らない土地でひとりぼっちだ。助けてくれる人は神様に見えてくる。
現に陽和も、戦争ほどの経験はなかったが、自分の体のことで感じるところはあった。かつては好きに歩ける〝自分の国〟があっただけ、なおのこと。
「結局、そんなパパだって知ってたから、ママはオーケーしたッスけどね。これはママの言質ッス」
サラは笑ってそう言った。
その笑顔を、火のように熱く感じた。
彼女を育てた人たちを、不意に見た気がした。
真面目で、正直で、繊細で誇り高く、とてもやさしい人たち。この愛くるしい彼女に、強さと勇気を与えるもの。
「ふたりして、あーしに言うんス。誰かを助けたいなら、その人が歩きだせるように助けなさいって」
子供がじかに見たものでなくても、親から子へ伝わるものはある。
いま腰と頭に触れるこの手は、誰の手も引いていけるのだろう。
そしてそれは、決して引きつづけるためのものではないと、彼女は言うのだ。
「動けないから、助けるんス。その人が足踏みしちゃって、次へ行けなかったら、助けたことにならない。あーしも恩返しを待ってたら、次の人を助けに行けない」
離れるときは、寒くてつらい。けれど、失うのとは違う。
その手で触れてもらえたところに、体温は残るから。この熱を感じない両脚でも、きっと歩きだせるから。
「だから、あーしは恩返しはしないし、いらないッス。その人のことが好きだから、好きなようにやるだけッス。なんにも返してもらえなくていい。陽和ちゃんセンパイが、行きたいところへ行って、好きな人と好きなことを、やりたいようにやれるようになるのなら」
またそっと抱き寄せられて、頭にサラの顔が乗る。
鼻先の胸もとが湿っていくのを感じ、陽和はようやく自分が泣いているのに気がついた。
「あーしのお願いは、それだけッス」
* * *
車椅子は、朱鐘と萌彩のふたりがかりで、先に車内へ運びこんだ。陽和はサラに抱えられて、車椅子の上に降ろしてもらう。
体が離れていくときは、やはり悲しかった。その熱い体温で、もっと抱いていてほしいと思った。
けれど、もう行こうと決めていた。目の前のその人に、好きだからしたいと思えることをしよう。列車から降りていく背中に声をかけたのも、呼びとめるためじゃない。
「サラちゃん!」
自分の声に、熱がともるのを感じた。
身を乗りだせば、動かない足にも、力がこもるような気がした。魔法少女だったときのように。
「戻ってきたら、また、魔女部しようね!」
サラが振りかえる。
彼女らしく、軽快で屈託なく、パッと華やいだ笑顔を見せて、キレのいいこぶしで、自分の胸を強くたたいてみせる。
「どんと
隣りで朱鐘が顔をしかめた。
「それ、意味逆だぞ」
「うへぃっ!? そうなんスかッ?」
「英語のつもりならな」
いつもと変わらないやり取り。いいや、今日出会ったばかりなのに、ずっと見てきたような気がしてしまう。
それはきっと、ここだからだ。ここへ帰ってきたかったからだ。
失う前にやり残したことがあるからじゃない。きっと大好きになれそうな人たちと、また新しく始めたいから。
涙をぬぐって、陽和はうなずいた。
▲▲▲▲新聞・速報
きょうの夜十八時ごろ、令法野市発の快速列車、令法野市郊外にて脱線事故。
事故直後、車両全台が激しく炎上。脱線、出火ともに原因調査中。
乗客乗員に生存者なし。
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