▼29 その魔法少女、決別

 マスコットの攻撃は味方の魔法少女をすり抜ける――などと都合のいい話はなかった。

 頭部を滅却された喪服姿の異形が倒れていく。その向こうに、家政婦ハウスメイド風な白黒の魔法少女が、上半身と下半身に分かれて崩れ落ちるのをペトラは見た。


三生みぶくんッ!?」


 ほとんど悲鳴と同じ声をあげ、ペトラは駆け出していた。床に広げていたバインダーを誤って踏みつけ、ねじれたページが大きく破れる。そのことにも焦って転びかけながらも、立てなおしたペトラは振り返らず、キテラのもとへ走った。


「三生、くッ……みぶくん!」


 見間違いではない。キテラは確かにマスコットの撃った光弾の斜線上にいて、真っ二つになった。

 落ちていきながら血と臓物をまき散らす様は現実味がなかったが、ペトラが似た光景を見るのはだ。三回すべてが目の奥で重なり、胸で脈打つものが突きあげてくる。


 しかし、ペトラがキテラのそばまでたどり着いたとき、キテラの体は、飛び散った血や肉片までまとめて青白い光に包まれていた。

 呆然と立ちつくすペトラの目の前で、光が五体満足な人のかたちを取り直していく。やがて光は集束し、ペトラも見知った少年の中へ最後は消えていった。


「三生……くん?」

「げほッ……おぇ……」


 ペトラの声にこたえる代わりに、あおむけに横たわった三生朱鐘あがねきこんでえずいた。

 吐く息に血は混じっていない。垂れたよだれをぬぐおうとはせず、まるでひどい乗り物酔いにでもったかのように、苦しげな呼吸だけをくり返している。


「よかった、朱鐘」


 頭上から、ずっと見おろしていたマスコットの声が降ってきた。「うまくいったね」


 ペトラはこのとき、もしかしたら生まれて初めてかもしれない、目の奥が沸騰する感覚を味わった。ふしぎと身をまかせたいような感覚だった。


「よくも……!」あふれてくる生温かさも頬を濡らすにまかせて、対照的に乾ききったのどで、出したこともないような低い声を鳴らす。


「変身を解けば治るから!? だから三生くんごと撃ってよかったっていうの!? よくもそんなッ――」

「違う、みずなら……」


 かすれた声がペトラを制す。

 まだ目も閉じて荒い息を続けながら、朱鐘が口先を動かしていた。


「おれが言い出した」

「そ――んな……。なん、で……?」


 ペトラは朱鐘の耳のそばに膝をついた。朱鐘は薄く目をひらいたが、視線は先に上空のマスコットを探しあてる。


「そいつが、おれたちを守れなかったとき、例外的に契約が解ける。そんなに単純じゃないらしいが……たぶん、そいつ自身がおれたちを傷つける場合のほうが、より確かだと思った……」切れ切れにそう言って、いったん吐き気をこらえるように短くうなる。「……即死じゃなきゃ、自動で変身が解ける。変身中に怪我をしても、元の体は無事だ。最悪自分で解除するのでも……このまま死んだほうがいいってくらい痛かったけどな」


「死なないよ、朱鐘は」即座にシグが割りこんだ。「計算上は問題なかった。そうでなきゃ、ボクがこんな作戦に乗るわけないだろう?」


 いつもどおりに無機質で、どこか高圧的な言いぐさ。ペトラだけがいつもと違い、ふたたびカッとなって上空の白い生き物をにらみあげていた。言葉は出てこなかったが、なにか言ってやらなければ気が済まない気分だった。しかし、また見透かしたように朱鐘に制された。


「瑞楢。おれの心配はいい。ぐうどうは――」


 言いかけた言葉を朱鐘自身が飲みこむ。

 仰向けのまま動いた彼の視線をペトラもたどって、令法野高校ブノコーの制服を着た背の高い少女が、うしろに立っていたのに気がついた。


 ほどかれた金色の髪が揺れている。少女はとてもけだるそうで、足取りも頼りなかったが、背丈が変わるほど背中を曲げてはいなかった。その、ペトラよりもはるかに高みから、寝ている朱鐘を堂々と見おろし、赤ぶち眼鏡ごしに緑色の目を細めてみせる。ついでにヘンッと鼻を鳴らした。


「まーったく。無茶バカッスね、センパイは」

「……人のことが言えるか」


 朱鐘が心底うんざりした毛色のため息で答える。途端にサラは唇をとがらせた。


「言えまッスぅ~。朱鐘センパイよりはフラグ管理ちゃんとやってるッスゥ~」

「…………フッ」

「んがァ!? いまッ、ちょっ、鼻で笑ったッス! 見てろコナクソ! そのアヘ顔背景に自撮りアゲてくすぐり勝利宣言してやるッスゥゥゥ!」

「うるさい。はしゃいでないで、訊くことあるだろ」

「エレンさまの気持ちにこたえなかったくせにポプリだけ後生大事に持ってたワケはッ!?」

「なんで知ってるのかを置いておくとしてもほかにあるだろうが」

「ほかは訊かないッス。どーせ朱鐘センパイは、やると決めたらやる無茶バカッスからッ」


 あからさまにいじけた顔をしてそっぽを向いたその中学生に、朱鐘は数秒、虚を突かれた顔をして固まっていた。それから、思いだしたようにまたふっと笑うと、「言わせろ、バカ」と言って、満足げに息をついた。


「ちゃんと来たさ。ふたりとも。……おれは無茶バカだからな」


 大きくふくれたサラの頬は赤い。それは顔に力が入っていたせいだろう。ただ小さくうごめく口先は、「そっちじゃなくて、無事かどうかッス。いやそっちもッスけど……」と、誰にも聞こえない声をつぶやいていた。


「あの……マガ、ツヒは?」


 空気がなごやかに落ちつきかける中、ペトラがひとりこわごわと、誰の視線も向いていないほうを気にしていた。割りこむようにたずねれば、サラが真顔になって振り返り、朱鐘もゆっくりと上体を起こしはじめる。


 屋上の真ん中に、喪服を着た首のない女にも見える異形のなにかが、川岸の樹木のような奇妙なかたむき加減で静止していた。首の断面にあたるしょからは、すすのような黒い煙が、ダラダラと流れだしている。


「心配いらないよ」


 無機質に答えたのはまたシグだ。


「マガツヒは本来、物質的な存在じゃない。ほぼ完全に魔力だけの存在だから、星から供給される魔力で無限に傷をいやすことができる。ただし、損耗そんもうが補充を上まわって、一瞬でも魔力が底をつかない限りね。死んだ木に水をあげても生き返らないのと同じさ」


 仰々しくいまさらのような知識のろうを始める。確かにたとえのとおり、首をなくした魚卑似オビニは見ずぼらしく立ち枯れた木に見える。動く気配はなく、煤の出る断面だけが徐々に広がっているようだった。


「この大マガツヒは再生を終えていなかった。中枢の再生に魔力を大量に消費したんだ。短期間に同等の消費を二度も強いられれば、たんも無理はないというわけさ」


 シグが話すうち、魚卑似はすでに肩まで消えかかっていた。明らかに消滅が進んでいるのを見てとって、全員がようやく息をつく。と、それを待っていたように、ペトラはそばに立つサラに振り向いた。


「サラちゃん……」


 名前を呼び、彼女のスカートのすそを握る。立ちあがって目を合わせたかったが、足に力が入らない。変身しているのに――と思うと、途端に言葉があふれてきた。


「わたしね……本当は、言いたかったの……言ってやるつもりだった。磨理先輩を、わたしの魔女部を、返してって……」


 目の前の膝小僧に、思わず額を押しつける。つば広の帽子が、はずれて落ちる。


「言ってやるんだって、そう決めてたのに。魔法を使って、おびき出して……わたしには、ほかに、みんなに返せるものなんて、なにもなかったから、だからっ……」


 それでようやく、ペトラは顔をあげた。

 緑色の瞳が、とても心配そうな色で、ペトラのことを見おろしている。


「でも……言えなかった」


 ペトラはほほ笑んだ。


 とても悲しくて、さびしくて、涙があふれ、流れつづけているのに。


 どうしてかほほ笑んで、どうしようもなく自然に、ほほ笑むのをやめられなかった。


「わたし、魔法少女はあきらめます」

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