▼28 その魔法少女、犠牲

 リボンの赤よりあかあかが、つやめく白い肌から噴きだす。

 まるでメレンゲを切るように、黒く巨大なツメは肉も骨もなめらかに通り抜ける。


 切り取られた手足のばらばらと散らかる様は現実味がない。しかし、ほどけた長い髪を鮮血と広げ、頭と胴だけになって床へ落ちていくセイランの姿は、ペトラの目の中で白金の魔法少女と重なった。


 声もなく転がったピンク色を、ペトラは見おろす。

 頭は働かない。ただ、目の前の薄い背中が上下し、まだ細く息をしているのを見てとって、無意識に手を伸ばす。


 その行く先を、黒鋼くろがねおりがさえぎった。


「いぃぃぃぃよぉぉ?」


 鉄より固い〝格子〟の降りてきた向きから、あやしく伸びきった声。

 夕陽を追うにしても長すぎる影が、ペトラの影を余さず捕らえる。


「使ぁぁぁいなよ、まほぉぉぉぉう。ソトツを呼ぉぉぉぶんだろぉぉぅ?」


 血だまりが広がっていく。格子の向こうで、小さな体は動かなくなっていく。

 ガリガリと床を削り、〝檻〟は逆にせばまっていた。


「はぁぁぁぁやくしないとぉぉぉ、ぶぇぅ、ぶぇぅ、ぶぇぅ……」

「ヒ、ィッ……!?」


 奇怪な息づかいが笑い声だと悟った瞬間、ペトラはついに悲鳴を漏らし膝をついていた。

 床へぶちまけるようにしてバインダーをひらき、背中を押さえられでもしているようにページへかじりつく。呪文のコピーは二ページ目だ。だがうまくめくれない。指先どころか腕ごとふるえて、いつも手をどう動かしていたのかも思いだせない。


 そのうち、黒爪が床を削った跡に、血が流れこむのが見えて、視界がにじんで、ペトラは自分まで息ができていないことに気がつき、頭の中が真っ白になって――


みずならを急かすな」


 また、声。

 でも、背後から。


 黒爪の檻が、床から少し浮いている。つられて顔をあげれば、喪服をまとうぼうの女が、つむじも貫くほど裂けた片目で、ぼんやりと遠くをながめている。


 ペトラも、片眼鏡モノクルをかけたほうの目で振りかえる。


 屋根の消えた塔屋の上、立てる床などない場所に、〝彼〟はいた。


 家政婦ハウスメイドを思わせる白黒の衣装。腹部と背中を大胆に見せる短丈クロップなブラウスに、白いエプロンをまとうシックなスカート。

 黒髪を肩口で切りそろえた頭の上には、純白のヘッドドレス。長手袋に覆われた手に、前にへら、うしろにポンポンのついた、縮尺のおかしい巨大な耳かき。


 創作物アニメから出てきたような少女の姿で、腰のうしろのおおげさなリボンをなびかせ、アストラル★キテラがぐらつきもせず、空気の上に立っていた。


「まだ生きてるな、寓童ぐうどう?」


 薄く上品にグロスの乗った唇で問う。緋よりは甘い蘇芳すおうの瞳は、けれど変身前と同じ鋭さで、問いかけた相手ではなく、そのそばのペトラを映していた。その目くばせに意図があることに、ペトラは不意にハッとする。


「魔法しょぉぉぉうじょぉ?」


 魚卑似オビニはキテラを見あげていた。ただ、「なぁぁぁんで浮いてんだぁぁい?」とばかり気を取られて、視線の動きに気づかない。


「知らないのか?」


 キテラは問いに問いで返しながら、得物を軽く振り、体をひらくように片手で構えた。み火のようにあかい目玉を、送り火のようなあかねの目で見すえ、


「本物は飛べるんだ」

「ほぉぉぉぉぉん?」


 魚卑似の長身が、やなぎの枝のようにしなってかたむく。つむじが真横を向くほど首をかしげたすぐあと、そのままの姿勢で、片裂けた口をにやりといた。


「ほぉぉんモノかぁぁぁぁ。ぁぁめしたぁぁいなぁぁぁぁぁ……」

「ああ」


 キテラはあくまで涼やかに、空いた手を差しだす。


「喜んで」

「ぶぇぅ……――ィッ!!」


 魚卑似が跳んだ。

 ほとばしる唾液を尾に引いて、中空の獲物へまっすぐ、ほとんどミサイルのように。


 一方、キテラは落ちた。

 右でも左でもなく、下へかわしてうしろを取る判断か。だが自由落下の速度だ。

 〝本物〟を冠しても所詮魔法少女。魚卑似が追いつけない動きではない。

 魚卑似はほくそ笑んだ。コンマほぼれい秒。そして――違うと気づく。


 ほとんど本能で魚卑似は自分の軌道を真横にずらしていた。数時間前の片腕と頭の半分を消し飛ばされた衝撃がよみがえってくる。同じのする白い光の槍が、残る腕のそばを通り抜けたのはコンマ数秒後の出来事。


 自分の最初の軌道の先に、白い小さなモノが浮かんでいた。

 西洋の竜を太らせておもちゃに仕立てたかのような、奇妙な生き物。


ぉぉぉ!?」


 裂けまぶたをさらに剥いて、思わず魚卑似は声をあげる。しかしすぐまたほくそ笑む。


 ソトツは、あの白黒の魔法少女の背後にずっといた。白黒の魔法少女が飛んでいたのは、要するに仔が支えていただけのこと。

 魚卑似を誘いこんで光弾を当てる算段だったのだろう。だが失敗した。

 飛んできた光弾のなんと小さかったことか。半身をやられたとほぼ同じ避け方でかすりもしなかった。そもそも当てられる見込みがあるならだまちなどするはずもない。


 目の前のシグが追い討ちさえ続けざまに放てずにいるのを見てとり、魚卑似は視線を真下へ向けた。屋上へ着地したばかりの、本物も偽物もないへ。


 即座、魚卑似は降下する。まさに一瞬で、魔法少女の眼前に。


「でざぁぁぁぁとが先だァぁぁァァァァァァァァァぁ!!」

「行儀が悪いな」


 ふと、その声色が低いことに、魚卑似は戸惑い動きを止める。

 キテラはおだやかに顔をあげ、吸いつかれそうな距離にある赤い巨眼に、口角をあげる自分が映るのを見た。


「お仕置きだ」


 その手から、小さなものが放たれる。

 ガラスの小瓶のようなそれ。ぷっくりとした丸い形の。

 中身は、蛍光色の紫や緑の、面妖な花びらや乾いた種。


 耳かきの先が、ガラスを砕く。

 瞬間、爆発した異様な臭気に、魚卑似はその巨眼を閉じて激しくうめいた。


「ぶぁぁぁぁぁぁ! なぁぁぁぁぁんだいこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「決まってるだろ」


 また声がする。誘うように、すぐ近くで。


「魔法だ」

「ンんんぎぃィィェッッ!!」


 魚卑似は目を開けられないまま、声に向かって腕を振りまわした。「ゥゥゥッ!」手ごたえのなさにさらにいら立つ。

 だが、これはソトツ仔らの失策だと思った。鼻のきく魚卑似には的確な目くらましだと考えたのだろうが、魚卑似がかぎ分けるのは《信仰》の匂い、魔力の匂いだ。


 どうせ魔法少女らに攻め手はない。隙を狙ってくるとすればソトツ仔のみ。

 視覚を閉ざし、意識を研ぎ澄ませば、ソトツ仔のいる向きはわかる。


「ンンなぁぁぁめるなァァァァァッ!」


 うしろを振り返り、片腕を振りかぶって、まだヒリつく目を見ひらく。

 目の前に、牛ツノのついたつば広帽があった。


「……あぁれ?」


 帽子の下の緑の衣装の魔法少女は、ひらいたバインダーのページに手を乗せ、目を閉じている。小さな唇が、ずっと細かくうごめいている。

 ページの中の魔法陣は、青白い光を放ち、か細い上昇気流で少女の髪を揺らしている。


 魚卑似は素直に首をかしげた。


 しまったと気づくより先におぞ射貫いぬかれる。振り向きざまに身をよじり、予測した光弾の軌道をかわそうとした。

 ここをしのげばソトツ仔側は万策尽きる。飛んでくるソトツ仔の姿を必死で探す。


 だが、来たのは耳かきと魔法少女。


「んなぁ!?」


 驚き、しかし構える。

 白黒の魔法少女からソトツ仔の匂いがする。おそらくまた背中に貼りついている。


 魚卑似の反撃を誘って飛び出してくるつもりだろう。だが諸刃の剣だ。

 射線上から魔法少女がどかない限りソトツ仔は撃てない。魔法少女の動きに集中していれば、光弾には当たりようがない。

 むしろ逆に誘いこんで、魚卑似を出し抜いたこの魔法少女もろともソトツ仔を――


「おい、マガツヒ」


 魚卑似の間合いに入った瞬間、不意にキテラが呼びかけた。

 軌道をそらさず、ただまっすぐ、正面に身をさらしながら。


「デザートは、くしだんだ」

「……ぶぇェ?――」


 魚卑似のとぼけた声を、光が飲みこむ。

 キテラの下腹部をつらぬいて飛びだした光弾が、魚卑似の頭部を消し飛ばした。

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