▼27 その魔法少女、痛感

 窓を突き破り、丸まったピンクの影が飛びこんできた。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 気合い一声。

 振り向いた魚卑似オビニのその裂けきったがんへ収まる前に、桃色のロングジャケットをなびかせ、セイランは肉迫した。朽ちかけのモーニングベールめがけて特攻し、こぶしを握る。


「マジカル☆普通のパァァァーンチッッッ!!」


 こぶしは魚卑似の頭部にめり込んだ。変身魔法の身体強化オプションは、異形の皮膚にも高らかな音を響かせる。

 あいかわらず警戒をしない魚卑似は、素直によろめき、そして笑った。


「……でぇぇ?」

「いまデス! シグシグ!」


 魚卑似の顔色が変わる。

 魔法少女の視線を追い、元来た廊下を振り返る。


 だが、そこにはなにもない。


「ウッソデェース」


 声は真上からした。

 見あげた魚卑似の目に、ほんの一瞬掃除そうじ用具のバケツが映る。

 足に引っかけてきたそれを両手で持ち直して跳びあがったツインテールの魔法少女は、目も口も片側に裂けた女の頭に〝逆ダンクシュート〟を決めた。


「おっしゃデス! とくと味わえノーマル☆バケッツ!」


 着地と同時にガッツポーズを決めるアストラル★セイラン。

 バケツをかぶされ硬直させられた魚卑似は、その一秒後、猛烈に片腕を振りまわしはじめた。


 とっさに床に身を投げ、転がってセイランは距離を取る。足を立てて顔を起こした瞬間、魚卑似と自分の間に横たわる輝くようなピンクの髪の束が目にとまった。頭の左側が軽い。


「ぎひぇぇぇ! ツ、ツインテ次郎ォーッ!?」

「さ、サラ、ちゃ……」

「あああっ! ペトラセンパイ! あーしネコミミついてマスかコレ!? 根元までイッちゃってまセンか!?」

「どうし……」

「って言うてる場合じゃないデス! アディオス、次郎ッ!」


 転んで廊下に倒れていたペトラの手を取り、セイランは涙をぬぐって立ちあがる。魚卑似がいまだ前後不覚で壁や床を切り刻んでいるのを一瞥いちべつするや、ペトラを連れて反対向きに駆けだした。


「ナメプデスよ」

「ふぇ?」


 走りながらセイランが不意に口をひらく。彼女が現れてからずっと呆然としていたペトラは、足をもつれさせながらただ声をあげる。


「さっきあーしに訊いたデス。ソース開けるのヘタすぎオバサンに、どうしてマジカル☆パンチ当たったかーって」

「へ? ぇ、や……」

「ナメプ野郎は入力遅いデース。それだけデス。屋上で向き合ったとき感じマシた。初心者サバ荒らす死体蹴りタイプデス。それ見たコトか。ヤツはいま顔真っ赤デース。さすがにタヒぬかとも思いまシタがッ、タハーッ!」

「そ、じゃなくて、あの……」


 角を曲がり、階段をのぼる。降りれば昇降口はすぐだったが、セイランは屋上を目指しているようだった。そのことには身をゆだねながらも、ペトラはピンク色の背中を見る。


「サラちゃ……セイラン、ちゃん?」

「ハイデス!」

「どうして、ここにいるって……」


 踊り場を曲がる。一瞬立ち止まりかけたようなセイランの沈黙は、息継ぎか、言葉を探したか。


「わかんなかったッス」


 一段飛ばしで階段をなぞる。ペトラの手を握りなおして。


「あーし、おっきな怪我したことないッス。骨折とか、しばらく寝たきりで不便~とかもなくて、頑丈なだけが取り柄ッス」


 曲げた脚を、叩きつけるように床へおろす。ふわりと、次の踊り場まで跳んだ。


「足の動かない人がどこへ行きたいかなんて、あーしにわかりっこなかったッス」


 ペトラの着地を見定め、また走りだす。校舎は三階建てだ。もう屋上に着く。


「絶対見つからない、マガツヒに先を越されるって、正直一回諦めたッス……でも、バイン師ショーが」

愛唯奈めいな、ちゃん……?」


 うなずく代わりに、セイランはペトラの手をより強く握りしめた。


「師ショーが言ってたッス。めずらしいからって――」





 ――つってもよぉ、めずらしいからって、ほかになにかあるわけじゃねーから……





「変に、気にするな……?」

「それッス!」


 ペトラが口先でなぞった記憶の声を、セイランがはっきりとつかまえる。

 誰もがなれないピンクの魔法少女になれるセイランサラに、愛唯奈バインがかけた言葉。


 それひとつで、ペトラは理解した。わかってしまった。

 この手を引くその背中が、ピンクになれる理由――


「ペトラセンパイは――陽和ひよりちゃんセンパイは、あーしの知らない車椅子の女の子ッス。でも、〝ただ車椅子に乗ってるだけの女の子〟じゃないッス。足が動かないだけの女の子じゃないッス。もしも――」


 そう。もしもなれるなら――


「もしも、変身しても足が動かないんだったとしても、陽和ちゃんセンパイは、魔法少女になってたッス。だって……」


 だって、そう。いつかきっと――


「陽和ちゃんセンパイは、魔法少女が大好きだから……」


 あなたみたいな魔法少女に。


「だから、絶対コピーを持ってると思ったッス」

「あ……」


 屋上へ飛びだす。あかね色の空に、サイドテールになってしまった桃色の髪がなびく。

 立ち止まって振り向いたセイランは、突きだした人差し指をペトラに向けた。その胸に抱かれた、青いバインダーへ。


「二度も失いたくなんかない……けど、どうせ失うなら、やるだけやる」


 その指が少し、上を向く。ペトラからは、魔法で塗られたマゼンタの爪の向こうに、星をこぼしそうな金色の瞳が見える。


「陽和ちゃんセンパイは、そういう人ッス」


 跳ねるようなウインクをして、セイランは言った。

 そうして、まだ手を降ろさず、指だけさげてこぶしを握ると、小さな鼻でふんっと息をつく。


「やりましょッス」

「え……」

「レッツ・マジック! 魔法を使っちまおうデスッ、ッス!」


 ペトラはただただ、驚かされるばかりだった。


「でも、こっちの居場所が……」

「シグシグにも伝わるデス」


 不安に押されて口をひらくも、ピンク色の少女は答えをくれる。どんなに暗い道でも、道がないとは疑わないかのように。


「あの魚卑似オビニってやつは、匂いを覚えるの得意らしいデス。だったら普通に逃げても追われマス。イチかバチか、いまのシグシグっそいデスが、賭けてみるデス」


 ペトラは、どうか。

 まだ不安な顔をしていただろうか。


 セイランは、不意にふにゃっとくだけた笑みを見せると、なぜか照れたような口ぶりで、「モチロン、つらみ深すぎなら、あーしがまたオトリやるッスけど」と、冗談交じりなものごしで、また欠片かけらも冗談でなさそうな目をして言うから。


「……そんなにしてもらっても、わたし、なんにも返せないよ」

「おかまいなくデス。サラちゃんリターンにとらわれまセン」


 よどみなく出てくる答えに、ペトラは思わず、甘えてしまいそうな気持ちになって、そんな自分にがく然として、思い知って。


「《魔女》を差しだせば、助かるかもしれないのに?」

「んー、保証がないデスよね。シグシグ弱らせるのに、もうひとりくらい消させろ、とか言われかねまセンし」

「地球が乗っ取られる話は?」

「たぶんウソじゃないデス。でも、あーしは眠り姫の魔女サンに博打ギャンブるって、もう決めたデス。後悔はしまセン」


 自分で選んだのなら、後悔しない――


 彼女サラも選んだ。自分で選んで、決めた。

 人の命も、この星の運命も、全部懸かっているかもしれないのに。

 誰にも決めさせないで、なにかのせいにしないで。


 陽和ペトラだって、自分で選んで、来たはずだった。

 それがこんなにも、くやしくて、情けないのは、がむしゃらになっていい理由を、誰かが照らす道の上にだけ求めてきたからかもしれない。


 だから、なりたかったんだ。

 戦って、いあがって。

 失うほうが大きくても、道を歩いていると胸を張れる――


 そんな、本物の魔法少女に。


 なろうと決めていたから。


「……うん。やる」


 ふるえたけれど、声は出た。


「いいよ……やろう!」

「なぁぁぁぁにをぉぉ?」


 声だ。


 真上から。頭上から。


 目の前。桃色の向こう。


 くれないの空があったはずなのに。


 緋色の目がそこにある。


 黒く鋭利な花弁を広げ。


 魔法少女の小さな体を、いま包むように――


「サラちゃんッ!?」


 ペトラが声の限り叫んだ瞬間、黒爪がセイランの、むき出しの腕と脚を切り裂いた。

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