▼23 その魔法少女、供述

 朱鐘あがねは反射的に廊下側へ飛びのいた。ほぼ同時に鋭い音を立てて扉が閉じる。


みずなら! 待て!」

「どこへ行けるっていうんですか!」


 扉ごしに怒声を聞く。ほとんどそれは絶叫だった。

 朱鐘は言葉を失いかける。あとから廊下に出てきたサラが、少し離れたところで立ち止まっていた。


「……開けてくれ、瑞楢」

「変身すれば開きますよ」


 濡れた鼻声が、にべもなく言い放つ。朱鐘は苦しそうに顔をゆがめ、それでもこぶしをそっと扉に当てた。


「瑞楢……いまだけだ。おれとぐうどうで、必ずまた元のように――」

「元? 元ってなんですか?」


 より冷たく暗く火の消えた声が、廊下へしみ出してくる。


「もう誰もいないんですよ? 七人……八人目もいたのに、あのマスコットはわたしたちを守れなかった。いまは何人ですか? 何人集めたら元どおりになるんですか? 百人いたって千人いたって、誰も帰ってはこな――」

「やめてくれッ!!」

「……」

「もう、いまは……頼む」

「……なに言ってるんですか、三生みぶくん」


 一度叫んだあと、朱鐘はふるえていた。倒れこむように扉に手をつく。つづけた言葉は凍りつく肺から削りだしたようだった。だが、瑞楢陽和ひよりは涼やかにいなした。


「三生くん。わたし、言いましたよね。なんてひどい、って」

「……」

「それでも、選んだんです。十九歳の誕生日、魔法少女の契約が切れるまで、自分の足で歩こうって。また足が動かなくなるその日までに、したいことをしよう、できることをたくさんしようって。それであきらめがつくならいいって。自分で選んだんなら、後悔なんかしないはず、って――それはあなたが言ったんですね、三生くん」


 どこか自嘲じちょうするように陽和は言った。朱鐘を責めているような口ぶりではなかった。それは朱鐘に、苦しむことさえ許さないような拒絶だった。


「……すみません。いまは、ひとりにしてください」


 それきり。


 音のしなくなった扉から、やがてはがれ落ちるように、朱鐘は立ちあがった。手のひらだけが最後まで、扉越しにきっと接しているはずの細い背中の鼓動を受け取ろうとするように、はがれ切ろうとしなかった。


 その手もついに離れて、体の横に落ちる。サラがなにか言いかける前に、朱鐘はきびすを返し、サラの隣りを抜けてリビングに戻った。


「……寓童ぐうどう


 なにも言わずついてきたサラに、朱鐘は呼びかけた。ソファのそばで立ち止まり、背中を向けたまま。


「おれがおまえに話したくて話すなら、聞いてもらえるのか?」


 それは質問でなく、確認だった。サラは笑わなかった。


「そッスね」と言って、「知らないままも、実は嫌ッス」と、少しだけおどけるように。


 朱鐘の肩が一瞬ゆれる。その背中はふるえだしそうだったが、こらえるようにこわばっただけで、すぐ顔をあげ、天井近くに浮くマスコットへ向いた。


「シグも、いいか?」

「朱鐘が話すのなら止めないよ」


 シグは、朱鐘が床に置いたはずのマグを短い両手で抱えていた。声はいつものようにそっけなく、「ただ、なるべく手短にね」

「おまえの話だぞ」

「だからこそさ。感傷的になる必要はない。寓童サラが理解できるとも信用しているんだろう?」


 シグはそうたずねると、答えを聞かずにマグを持ちあげ、残っていた中身をぐびぐび飲みはじめた。

 朱鐘はそれを見て、少しだけ弱った顔をする。が、すぐに頬を引き締めると、体ごとサラのほうを振り向いた。目に迷いはなかった。


「まず、シグが守ってるのは令法野りょうぶのの住民じゃない。マガツヒたちも人間に興味はない。これはただの陣取り合戦だ」

「陣取り?」

「トチガミって、字面は思い浮かぶか?」


 サラには聞き覚えがあるようでないような言葉だった。ある気がするのは、ふたつのありふれた言葉で成りたっているように聞こえたせいだ。


「土地……の、神サマ? っちゅーことッスか?」

「そうだ。マガツヒたちはその『土地神トチガミ』になれず、あぶれた精霊みたいなものだ」

「ひぇっ? じゃあ一応神サマ!?」

「幼体みたいなものかな。きみたちの言葉ではアラミタマとも言うね」


 シグが補足した。マグをおろし、口の周りととがった鼻先に茶色いをつけている。

 朱鐘はそれを軽く一瞥いちべつして続けた。


「本来アラミタマ、つまりマガツヒたちは、実際に神格であるトチガミに隷属れいぞくする地位にある。大昔はトチガミ同士のなわり争いがあったり、その過程でトチガミのいなくなった空白地帯に、強いマガツヒが新たなトチガミとして根をおろしたりもしていた。いまはどこも縄張りが固まりきって、ほとんどないらしいがな」

「令法野以外ではね」


 降りてきたシグが空のマグを朱鐘に渡す。朱鐘は受け取ると同時にローテーブルからティッシュペーパーを取りあげ、マスコットの顔をぐいぐいと拭きはじめた。


「んじゃあ、令法野はトチガミサマいないんスか?」サラがたずねる。


「いや。シグを作った存在が、実質のトチガミとなって令法野を治めている。便べん上、《魔女》と呼ばれている存在だ」

「あ、聞いたッス」


 サラが聞いたのは、あのそうを着た男性の姿をした潘尼という大マガツヒからだった。

 それ以前にも、魔女部部長ピルクの口から間接的に。シグがとくし大切に保管しているという、『魔女のグリモワール』……。


「その《魔女》だが、いまは眠っていて動くことができない。だからシグが守備の代行者として令法野にいる。シグがマガツヒたちから守っているのは、《魔女》の縄張りと《魔女》自身っていうことだ」

「ナルホド。土地はキレイなままもらいたいから、マガツヒは街を荒らさないし、人間も襲わない。そゆことッスね? ってことは……」


 言葉を切ったサラは、朱鐘を見て目を三度しばたかせた。朱鐘は深くうなずいた。


「このままマガツヒたちに令法野を渡してしまっても、令法野自体に影響はない。シグと《魔女》が消えるだけでな」

「はー。それで朱鐘センパイは、あーしが協力するのやめると思ったんスね」

「寓童、別にいまからでも――」

「その前に質問ッス」


 サラはまたいつかのように、揺るがない表情で、とにかく単にに落ちないといった様子でたずねた。


「なーんで魔女サマは、使い魔のシグシグに陣地おまかせで眠っちゃってるんスか? 実質のトチガミってゆーと、フツーのトチガミサマとは違うっちゅーことなんスかね?」


 朱鐘はまた少し驚いたような、感心したような目でサラを見た。しかし今度は戸惑うような顔はせず、ただ張りつめた表情で、挑むように慎重に答えた。


「そこが一番大きな問題だ。《魔女》という存在は――」

「宇宙から来た侵略者じゃわ、


 声は、リビングとキッチンの間からした。

 シグのでも、ましてやサラの声でもなかった。


 あどけない少女の声。

 同時に、からびた匂いが鼻を突く。


 朱鐘は振り向き、そして見た。

 ダイニングテーブルには、頭が三つ並んでいる。


 真ん中は、赤いレインコートの幼い少女。

 フードをおろし、こめかみから垂れる青紫色りんどうの三つ編みをテーブルに投げ出している。黒檀こくたんのような濃い色の顔を、同じ色の両手に乗せてほおづえをついている。


 誰かは知らない。朱鐘が知っているのは、両側の少女たち。


 くろ薔薇ばらの花輪を被り、垂れた獣の耳を生やした、つややかな黒髪の。

 黄色い大きな蝶にも見えるリボンをつけた、内向きに丸まるオレンジの髪の。


 ふたりの見知った魔法少女が、頭だけになって、テーブルの上に並んでいる。

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