▼22 その魔法少女、啓蒙
一瞬意識が途切れたのち、
「帰る、って……」
目を白黒させる朱鐘の前で、サラは神妙な顔をしてシグのほうを見ていた。大事な質問をしていることだけは、眉ひとつ動かさないその様子からも伝わってくる。ただ、ものの数十秒前に同じ顔で口にした決意とは、対極とも言える言葉だった。
「……どちらとも言えない」
一方で、元々顔に表情のないマスコットは、同じく表情を感じない冷えた声色のまま答える。
「認識阻害の魔法がある限り、きみたちをもう一度マガツヒが見つけることはありえない。これは
朱鐘が無言のままシグをにらんだ。
「そういうわけだから、ここに残るべきだときみたちに言うことはできない。こればかりはうそでもね。一方で、現状はきみたちの協力なしに好転する可能性がきわめて低い。ボクという存在は契約の履行以前に、マガツヒから令法野を防衛するためにつくられている。そのボクの口から、いまきみたちに帰ってもいいと言いわたすこともできない」
「帰らないでほしいってことッスね?」
「ボクの都合上はね」
「わかったッス。んじゃ、契約してくれる人の見つけ方を考えるッスかね」
サラはそう言うと、引きつづき神妙な顔のまま、腕組みをして「うーむ」などとうなりはじめた。
「SNSは自撮りが撮れなきゃ使えないッスし……あーしのコスプレ仲間をあたるのはどうっすかね? 急に呼びだして会えるのはさすがにひとりくらいッスけど、変身には興味あると思――」
不意に言葉を切ったサラが、視線を感じたように朱鐘に目を向ける。実際、朱鐘は頬の裏でも噛んだかのような、苦いとも辛いともつかない曖昧な顔で口を半びらきにして、壁の絵のようにサラを凝視していた。
「なんちゅー顔してるんスか、センパイ……ハッ!? よもやココアヒゲッ?」
「いや、だっておまえ、帰るって……」
わりと本気の様子で両手で鼻の下を隠したサラに、朱鐘はようやくそれだけ口をきいた。
するとサラは手の下で口をとがらせ、あからさまな不満顔でうなった。
「むぅー。センパイ意地悪ッス。帰っちってもいいかとは訊いたッスけど、帰りたいとは言ってないッス」
「言ってないって、けどッ……いや、そうなのか? で、でも、それでも聞いただろ。ここにいないほうが安全だって」
「じゃあセンパイは帰るんスか?」
「おれ、は……」
言いよどむ。
答えられないわけではなかった。朱鐘はここに残る。危険も承知で。
ただ、だからこそ、帰らないと言うサラに言葉を返そうとした自分に、説得力はない。
サラは、なりゆきまかせのシグの口から、シグ自身の気持ちを聞きたかっただけ。意地が悪いといえば、そう率直に問いつめなかったサラのほうだとも言える。それがわかっていたように、サラは朱鐘から先に視線をはずすと、頬をゆるめて軽めに息をついた。
「四人いなくなった……なんて、言葉にしたくないッス――けど、まだ
言いきって、サラはまた顔をあげた。
「シグシグは、本気であーしらに帰られちゃ困るって言ってるッス。朱鐘センパイは、
今度は朱鐘が目をそらす番だった。キッチンとリビングの間にあるテーブルの下へと視線は落ちる。イスとテーブルの脚の隙間をあてどなくさまよう。森で出口を探すように。
「……
「いらないッス」
ひとつひとつ置くように言葉をつむいだ朱鐘に、サラは投げかえすように言った。
朱鐘はまた当惑して顔をあげる。それを見てサラは目を細め、口角を大きくあげた。
「どんな事情ならいいとか嫌だとかが、あるわけじゃないッス。あーしがあーしの好きな人たちを助けるのに、理由はいらないッスよ」
言って、閉じた歯列を見せて笑う。自分で言って照れたのか、かたちのいい鼻すじが少し赤い。それでもかげりのないその笑みを、朱鐘は自分の心臓の高鳴りとともに、あっけに取られて見つめていた。
「それに、朱鐘センパイはどーぅもわかってないッス」
と、不意にその笑顔をサラがしまい込む。呆然としている朱鐘の前でハの字に眉を寄せ、今度こそ問いつめるように、立てた人差し指をビシッと突きつけた。
「なんでおんぶだったんスか?」
「……は?」
思わず、といった様子で朱鐘が声を吐く。見る間に顔をくもらせて。
だがサラは
「陽和ちゃんセンパイのだっこ性能、マジ神ッスよ?」
「…………」
「あンの肩幅! 細い腕、腰! お姫様だっこジャストフィットなサイズと
「おまえ、それでやたらしんどそうだったのか……」
「無意識ッス」
「……」
聞いてない言いわけを聞かされたのがトドメとなって、朱鐘はついに額に手を当てた。かたむいたマグから中身がこぼれそうでも気にならない。
歯痛をこらえているような朱鐘のその仕草を見て、サラのほうはなぜか満足そうに鼻を鳴らしていた。
「陽和ちゃんセンパイ、魔法少女好きそうだったッス」
加えて、そんなことを口ずさむ。
「早くまた、自由に変身できるようにしてあげたいッス」
はにかむように笑んでそう言われれば、朱鐘もまだ不愉快げな色は残しつつも、目を合わせて苦笑せざるを得なかった。一時間前、本当は氷のように手足を冷たくしてソファに倒れこんだ彼女のことを、知っていたから。
大きな音がした。
部屋の外で、なにかフローリングに落ちた音。扉をはさんだ廊下のさらに奥、自分の私室から聞こえたと、朱鐘にはすぐわかった。
「
マグを床へ置き、廊下へ飛びだす。内びらきの自室の戸がかすかに開いていた。
駆けつけたまま戸を押し開けようとして、ほとんど動かないうちになにかにぶつかる。隙間から中を覗きこむと、横倒しになっているらしい車椅子の車輪と、そのそばにうずくまるセーラーワンピースの小柄な姿が見えた。
「瑞楢っ、大丈夫か!? ひとりで開けられなかったのか。いま手伝――」
「どういうこと……」
焦りでまくしたてそうになった朱鐘の耳にも、その声はいやにはっきりと届いた。
思わず凍りついてしまった朱鐘の前で、ゆっくりと、小さな頭が持ちあがる。
伸ばし気味の前髪の間から、子犬じみた黒い目が、
「変身できないって、どういうこと……?」
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