Chap. 3 理由なき者

▼21 その魔法少女、確認


 並び並ぶこずえのはざまに夜空のみちがつづいている。落ちてくる星明かりに沿って石段を登っていく。


 並び並ぶこずえの下の木立ちは真っ暗だ。星明かりを吸って輝く石段を登っていく。


 崩れた灯篭とうろうに手をかけ、息を切らして登っていく。祭囃子まつりばやしをうしろに聞いて、流れる水音を前に聞く。

 白石の鳥居をくぐり、石段の途切れた先。広い野原と、横たわる沢。奥のささやぶのそばには、古びた小屋を見る。


 切れ切れのはやに乗せて踊る少女たち。沢の向こう、小屋の前で手をつなぎ、輪になってめぐる。




 かーごーめ かーごーめ




 おそろいの白い服。変わった幅広の襟をしたひとつなぎの制服。

 誰かは知らない、短い髪にふちの黒い眼鏡をかけた少女。




 かーごーめ かーごーめ




 誰かは知らない、茶色いくせ毛をふたつ結びにした、浅黒い肌の少女。




 かーごのなーかのとーりーは




 誰かは知らない、明るい色の髪にイチゴの飾りをつけた、大人びた少女。




 いーつーいーつ でーやーる




 誰かは知らない、長くたおやかな黒髪の、線の細い少女。


 誰かは知らない。誰も知らない。きっと会ったことはあったのに、なにひとつ思いだせない。


 輪の内側にも誰かいる。地味な着物を着た小さな子供。白い髪のおかっぱ頭で、しゃがみこんで、両手で顔をふさいでいる。


 誰かは知らない。誰も知らない。

 知らないまま遠ざかる。知りたかったはずなのに。知っていたはずなのに。




 よーあーけーの ばーんーに


 つーるとかーめがすーべった


 うしろのしょーめん だーあれ?




 少女たちはめぐる。手をつなぎ輪になって。


 名前も知らないまま遠ざかる。笹やぶも沢も、もうずっと遠くに見えて。

 知らないまま、見えなくなるのが怖かったから。


 知らないうちに叫んでいた。




    * * *




「待って!」


 ぐうどうサラは大声をあげた。自分では空にもとどろいたほどのつもりで。

 だから目の前に見えるのがぼやけた月でなくシーリングライトのカバーだと気づいたとき、自分がいまのいままで夢の中にいたことを知った。


「起きたか」


 近くで声がする。顔を向けようとしたところに背もたれがあって、自分がベッドでなくソファへ横になっていることに気がついた。

 髪はほどいている。だが服は借りた制服のまま。腰にはタオルケットがかけられていて、背もたれの反対側には見おぼえのないローテーブル。そこに自分の赤ぶち眼鏡は乗っている。テーブルごしの掃き出し窓からは、レースのカーテンを透かして夕刻のあかね色も見える。


 サラは跳ね起き、眼鏡もかけないまま、カウンターキッチンの向こうにいる朱鐘あがねと顔を合わせた。


「朱鐘センパイ!? あーし寝てたッスか!?」

「まあな」

「ぎひぇぇぇっ、たいへんッス! ひとんちで丸一日寝倒すなんて!」

「……その場所でか?」


 頭を抱えてオロオロしているサラに、朱鐘が鼻白んだ顔をしてたずねかえす。サラは一度ポカンとして彼を見かえし、もう一度自分のいる場所を見おろした。

 ふたりがけのカウチソファ。寝返りを打てるような幅はなく、また長身のサラは足を折って寝ていた。寝心地がいいとは言えない。


「一時間くらいだ」朱鐘が言った。

「あと三十分待って起きなさそうなら、部屋に運んでた。親の寝室が空いてる」


 またポカンとして、サラは朱鐘に目を向けた。朱鐘の言葉で、自分が朱鐘の自宅にいることをようやく思いだしていた。ここまでふたりで陽和ひよりと彼女の車椅子を運んできたことも、その前に校舎の屋上で、なにがあったかも……。


「……でも、あーしんもいッスよ?」

「馬鹿にするな」


 サラがなんとなく思いついたことを口にすると、朱鐘は眉間に深くしわを寄せてキッチンから出てきた。両手に湯気の立つマグをそれぞれ持って。


「誰がみずならをここまで運んだと?」

「ふ、ふたりで交代で来たッス」

「おれは疲れてない。おまえは寝た」

「なんで、あーしに勝てばいい、みたいな話になってるんスか……?」

「寓童」


 朱鐘はソファのそばに立ち、マグの片方を差しだした。差しだしながら、冷めた表情をしてサラの目だけを見ていた。受け取るために両手を持ちあげたサラに、そしてたずねた。


「手……ふるえてないか?」


 あげかけた手を、サラはふと止める。

 そのまま顔の前に持っていって、しばしながめた。


 いくらかこわばってはいるが、意に沿わないような動きはしていない。

 朱鐘もそれを認めてか、息をつくように目を伏せていた。


「なら、いい」


 より取りやすい高さにマグがおろされる。サラはあやうげなく受け取って、自分の鼻に湯気をかがせた。ほの甘いココアの香り。


 軽く息を吹いて冷まし、喉をほてらせるように一度口をつける。マグに這わせた指のこわばりもほどけていくのを感じながら、サラはふたたび顔をあげた。


「そんで、陽和ちゃんセンパイの様子は?」

「……おれの部屋で寝かせてる。おまえと違って深い眠りだ。車椅子のあった位置的に……間近で、見ただろうからな」


 自分のマグを口に当て、居間と廊下の境にあるドアを見ながら、朱鐘は声を落とすようにして言った。息苦しそうの細まっていく目をサラは見つづける。マグを守るように両手で持って、「じゃあ」と冷たい息を吐いた。


「バイン師ショーと、エレンさまは……?」


 朱鐘が目を閉じる。

 なにか言葉にする代わりに、彼はポケットの中からスマートフォンを取りだした。表示させたニュースフィードを、応じて眼鏡をかけたサラに向ける。チェーンの飲食店から黒煙のあがる航空写真が、見出しの下に貼りつけられていた。


『レストランで火災。死傷者多数。ガス爆発か(**県・令法野市)』


「ふたりがよく行くファミレスだ……学校のそばだから、大騒ぎになってる」


 朱鐘はそう言った。ただ、写真の中の惨状は、どこで起きても一大騒ぎになりそうな規模に見える。まるで爆撃に遭ったかのように建物は半壊し、駐車場の車にまで被害が出ていた。


「けが人の数はまだ出てない。けど……」


 朱鐘が歯切れ悪くつづける。スマホを戻した彼は、暗くなった液晶を見おろして、痛みに耐えるような自分の顔をそこに認めた。


「シグがもう、ふたりを感じていない……ッ」


 覚えていないわけではなかった。サラも、同じことをシグ自身が言ったとき、その意味を頭では瞬時に理解していた。――それが契約を数える言葉だと。


 手もとを見おろす。浮きあがる湯気で、眼鏡が少しくもる。


「……あーしは、おふたりの名前も知らないッス」


 変身しているときにたずねるのは、不作法だと教わった。教えてくれた魔法少女たちは、しかし、みずから名乗るのもまた礼儀だと示した。


「部長さんやシプちーセンパイの素顔も……」


 今日初めて言葉を交わした、ほんの二時間ほど前に出逢ったばかりの人たちだった。彼女たちのことをサラはほとんどなにも知らない。けれど、これから知りたい、つづけていきたいと思える時間を彼女たちと過ごした。彼女たちにもらった。


 その先が、いまはもうない。どこにも。あらゆる未来から、消えてしまった。


「……こんなのは嫌ッス」


 消え入りそうな声でつぶやいた。その彼女が顔をあげたのへ反射的に目を向けて、朱鐘は息を呑んだ。


「なにもできずに、失くしてくだけなんて、絶対に嫌ッス」


 まっすぐ、その緑の瞳は朱鐘を見ていた。魔法少女の姿で泣きじゃくっていた彼女も、自分以外の魔法少女に興奮しはしゃいでいた彼女も、どこにもいない。人が変わったようにぜんとした、見目が大人びているだけだったはずの中学生が、そこにいた。


「朱鐘センパイ。あーしにできること、ありませんか?」

「なら契約だ」


 答えたのは朱鐘ではなかった。

 女の子とも男の子ともつかない幼い声。にしては舌足らずでなく、妙にくっきりと響くそれは、朱鐘のいたキッチンのほうから聞こえた。


 冷蔵庫の閉まるあの独特の音がして、宙に浮かぶ小さな白い影がふわふわと居間へただよい出てくる。

 デフォルメされたぬいぐるみのドラゴンのようなそのマスコットは、黄みがかったソースのチューブを抱えていた。両脇にひとつずつ。片方はふたが開いている。


「新たに魔法少女の契約を結べる人間を探すんだ。ことは一刻を争う」

「だから脂肪で魔力回復か?」


 朱鐘が明らかに怒気を含んだ声と視線をもって振りかえる。しかし自分の体積とほぼ同量のマヨネーズを抱えたマスコットは、「きみたちが落ちつくのを待っていた」と、声色も変えずに答えた。


「残る契約者は四人。いまのボクは、あの大マガツヒの一体と渡りあうのもどうかといったところだ。戦闘力だけじゃなく、魔力の感知能力も落ちている。おまけに今度のマガツヒたちは、かく乱に長けているらしい」

「かく乱?」

八木豆磨理やぎずまり惣星そうせい明日瑠あするの契約が消える寸前、町の数十カ所にマガツヒの魔力反応があった。すべて下級のマガツヒばかりだったけれど、出現場所がバラバラだったせいで殲滅せんめつに三十二秒要してしまった。おまけに屋上に現れた大マガツヒたちには、微弱な認識阻害の魔法。マガツヒたちを従えて魔力の扱いにも長けた、特殊な大マガツヒがいると考えていい」

「そんなやつが……!?」

「正直いままでになかったタイプだ。少なくともここ二百年は」


 朱鐘にはうそをつかないと豪語していた魔法生物が、苦境をこと細かく言葉にして認めている。朱鐘は苦りつくした顔で耳をかたむけるよりほかにない。


「とにかく、いまこの状況で飛びまわって契約者候補を探すのは得策じゃない。マガツヒに見つからないきみたちの協力が必要だ」

「それはわかった……だが、単純じゃないぞ? 話を聞いてくれそうなやつを見つけるだけでも、ひと月やふた月はかかる。おまえのだって、あらかじめ素質を見きわめてからだったはずだ。なにか、新しい方法を考えないと……」

「の前にいいッスか?」


 不意にサラが割り入る。朱鐘が振り向くと、彼女は白く長い腕を頭の上にピンと張って伸ばしていた。

 マグカップはローテーブルに置かれ、視線はシグに向いている。さっきまでと同じ毅然とした、ただどこか乾いた緑の瞳で。


 朱鐘が無言で見守る中、サラははっきりとたずねた。


「あーし、帰ってもいいッスか?」

「…………はァ?」

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