💔20 喪失

 上空を大きく旋回してきたシグが、屋上の塔屋の前まで戻ってきて告げた。


「近くにはいないよ」


 屋根をなくした塔屋の出入り口と階段の間で、朱鐘あがねは胸を押さえてうずくまっていた。

 シグが言うのを聞いてすぐ、膝を立て、立ちあがる。ふらつきながら出口へ歩き、あごに垂れる唾液もぬぐわずに、自分の胸ぐらを引きむしるように強くつかんだ。


「ッッッ……グローリィッ」

「ダメだよ、朱鐘」


 出口のそばで待っていたシグが、声で立ちはだかるように言った。朱鐘は変身の呪文を飲みこみながら、しかし喉を削るようにあえいだ。


「まだッ……まだ、間に合――」

八木豆磨理やぎずまりは、もういない。惣星そうせい明日瑠あするも」


 今度こそ、朱鐘は色をうしなった。「そうせい……先輩も……?」


 うつろにつぶやきながら、目の前の光景を見る。主に腰から下ばかりを血で汚した青い魔法少女の横たわるそばに、不気味な肉塊を孤島のように浮かべた血の海がある。その刻まれつくした赤の中に、白い服の切れ端と金色の毛髪が混ざりこんでいるのが見てとれた瞬間、朱鐘は手で口をつぶすように押さえ、またその場に倒れこんだ。


 床に跳ねたしゃぶつが容赦なく顔を汚す。

 裏返りそうな胸の痛みに目の奥で火花を見ながら、その隙間に上級生ふたりの笑う顔が何度も浮かんでは消えていく。


 いない。もうどこにも――それはうそをつき、ヒトをだます魔法生物の言葉だった。

 けれど、それがうそならどんなに意味がないかも、朱鐘にはわかってしまった。


「………………説明しろ」


 かすれた声だった。風に溶けるほどに。


「シグッ!!」


 つづく絶叫は、突然の豪雨のように理不尽なしいたげに満ちていて。

 けれど、非合理に興じない魔法生物は、ただ答えた。


「やつらはオオマガツヒ。通常のマガツヒとは格の違う個体だ。変身したきみたちの身体強度でも、たやすく――」

「そんな話がなんになるっていうんだッ!!」


 行き場のない激情を、朱鐘は虚空に叩きだす。

 沈黙と、熱を吐きだして一瞬冷えた意識に、視界の外ですすり泣く声が届く。


 朱鐘は殴られたように振りかえっていた。塔屋の角の向こうに、重なって横たわる四本の脚が見えた。


ぐうどう……みずなら……!?」


 足をもつれさせながら朱鐘は駆け寄った。息をあげながら角をのぞきこむ。そこに、へたりこんで抱きあうふたりの女子生徒を見つけだす。

 その片方、背の高い金髪のポニーテールの女子と目が合った。赤ぶち眼鏡のレンズごしに、すいいろの目が弱々しくも輝いていた。


「遅いッスよー、闇落ちメイドセンパイ。強キャラのくせにぃ……」

「寓童……ふたりとも、怪我けがは?」


 声を聞いてくずおれそうになる自分を支えしのいで、朱鐘はたずねた。サラは見透かしたようにますます目を細めて答えた。


「特にないッス。メンチ切りすぎてヘロヘロなだけで……」

「メンチって、おまえ……」

「あ、でも、陽和ひよりちゃんセンパイ……」

「瑞楢が!?」


 気を抜きかけたところへ眉間に刃物を突きつけられたように朱鐘は動転する。

 しかしサラは気恥ずかしそうに、そのぶん血色の戻った顔に、自嘲じちょう気味の笑みを浮かべた。


「あーしが突き飛ばしたせいで、お手々ちょっち擦りむいちゃったッス。ごめんなさいッス」

「……」


 髪を肩口でひとつ結びにした女子生徒は、なにも答えないまま、自分より年下の少女の腹に顔をうずめて震えつづけていた。幼い子がそうしてぐずるように、血のにじんだ手で相手の服を握りしめて。

 魔法少女のときとあまり変わらないその小さな頭を、サラはそっと撫でつける。


 朱鐘はうつむき、今度こそ盛大に息を吐きだした。いまのいままで水の底にいたかのように、肺が新しい空気を求めてキシキシと痛んだ。


「シグシグ」


 沈黙を置かずに、サラが呼んだ。しゃがみかけていた朱鐘も、サラの声色が変わったことに気づいて顔をあげる。


「あいつら、また来るッスね?」


 サラの腕の中で、陽和ひよりの体が跳ねたように見えた。

 朱鐘も疲れた体にむち打って、サラの見ているほうを振りかえる。人の頭ほどのぽっちゃりとした魔法生物は、いつの間にかすぐ隣りに浮かんでいた。


「このままここにいればね。吹きとばした一体も、あの程度ならすぐに復活するだろう。それでもやつらに勝算はないけれど、念のためすみやかにここを離れるべきだ」

「追ってこないッスか?」

「その心配はないよ。やつらは一時的にきみたちの位置をつかんだにすぎない。一度姿をくらましてしまえば、認識阻害の魔法がきみたちを守る」

「じゃあ、やっぱり、魔法がダメだったんスね?」

「!?」


 朱鐘は目を見ひらいた。陽和も嗚咽おえつを止め、息を呑んだようだった。


「正解だよ、寓童サラ」


 あいかわらずの一本調子で、シグは答えた。


「マガツヒたちにとっての脅威がボクである以上、やつらは常に魔法を使うボクの居場所を把握しておく必要がある。だからこの土地に攻めてくるマガツヒたちには、魔力の感知能力の長けたものが多い。きみたち契約者が発する認識阻害の魔法は、そんなやつらにも魔法の発動を感知させない高度な魔法だ。けれど、それは契約で与える変身魔法のような、ごく小さな魔力の使用に限られる」

「変身魔法以外の魔法はカモフラージュの限界キャパ越えて、マガツヒはシグシグの魔力の源であるあーしらを見つけちゃう――ということッスね」


「おまえッ」朱鐘はシグを見て思わず口をはさんだ。「なんでそんな、大事な話……!」

「すまない、朱鐘」


 しかし思いがけずシグが非を認めたことで、朱鐘はふたたび言葉をなくした。


「話す必要はないと思っていた。きみたちが自力で魔法を使えるようになることは、ありえないと考えていたんだ。認識が甘かったボクの落ち度だ」

「落ち度、って……」

「グリモワールは処分する」


 突然、背後でゴウッと風の音がした。音だけでなく熱が迫ってきて、朱鐘は背中を振りかえる。


 屋上の床の上で、青白い炎が踊っていた。

 たけり狂う青い光の中に、大判のノートらしきものが見え隠れする。床に広げられていた模造紙も、火の絨毯のように。そのうえに広がる赤いかたまりと、そばに横たわる青い衣装とその中身をも、ともに包みこんで。


「なんで、先輩たちまで……」

「残していても騒ぎになるだけだよ。あれが誰だったかを証明できる人間がいるかい?」


 朱鐘は黙っているよりほかになかった。問う前からわかっていたことだ。

 認識阻害の魔法は、シグの任意で解除されるものでもない。普通の人間は魔法少女の正体を永遠に見破れない。


 本当は、なにか言いたかったのは、彼女たちの遺したもののほうにだった。彼女たちが受けつぎ、存在の証明を懸けてきた軌跡。容赦なく灰となっていくそれらが、しかしなにをもたらしたのか。思えば思うほどに、炎をながめるばかりで動けなかった。朱鐘も。サラも。


「あとはもう言ったとおりだ」とシグ。

「きみたちがこの場を離れてしまいさえすれば、マガツヒたちは追ってこられなくなる。念のためしばらくは変身も控えてほしいけれど、それも欠けた契約の枠を埋めるまでの辛抱しんぼうだ。一枠くらい時間はかからない。そして二度と変身以外の魔法を使わなければ、きみたちはこれからも安全に――」

「ああぁあッ!!」


 それは絶叫だった。

 喉を突き破るような。雲を引き裂くような。


「陽和ちゃんセンパイ?」


 至近距離でそれをくらったサラは、ぽかんとして腕の中の少女を見おろした。しかし、サラの服をつかんでいたはずの手が小さな胸を押さえ、喉をふさがれたような息の仕方をしているのを見た瞬間、サラは陽和の肩をつかみ、顔をあげさせていた。


「陽和ちゃんセンパイ!? どうしたッスか!? 落ちつくッス! ちゃんと息するッス!」


 目に涙をため、唇をわななかせるばかりの陽和を、サラはもう一度抱きしめた。背中を押すように叩きながら、「ゆっくり、ゆっくり息吐くッス」とささやき、自分も胸をふくらませるように大きく息をする。

 ほどなくして、陽和は荒く激しくも、規則正しい呼吸をしはじめた。と同時に、サラにすがりついて、より激しい嗚咽をあげて泣きはじめる。


「サラちゃんッ、わたし、わたしッ……」

「だいじょうぶッス。もう怖いことはなにもないんス。だから――」

「ちがう、ちがうの! わたし……!」


 瑞楢陽和は慟哭どうこくしていた。そして、告白した。


「あげちゃったのッ……うつ、して、ちゃんに……磨理まり先輩の、魔法陣を!」

「ッ……!?」

「シグッ!」


 朱鐘が早かった。息を呑み凍りついたサラよりも早く、うわずりながらも鋭く叫んでいた。


 その朱鐘を、シグは見ていなかった。

 青白い炎の上に浮かびながら、静かに空を見あげていた。黒々とした瞳にはなにも映さず、雲を見送る鳥のようにただぼんやりと。


 ほむらの揺れる上昇気流の隙間で、やがて魔法生物は、ぽそりと告げた。


「……ふたつ、消えた」

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