💔18 挑戦

「あ。いたぁぁぁ」


 塔屋の角から、黒い頭がぬるりとのぞく。

 重なるように倒れこんだ少女たちを見おろし、女は口の裂けている側から鼻歌じみた吐息を漏らした。破れたヴェールが踊るように波打ち、しかし、たちまちに首をかしげた。


「……ってぇ、あれぇぇぇ? 両方ちがぁぁぁぁう?」


 肩で息をしてぐったりしている眼鏡の金髪少女の膝の上で、ひとふたまわり小柄な少女が激しくむせこんでいた。ひとつ結びの黒髪と白い制服に、なぜか紫や青の毒々しい花びらがいくつもくっついている。それと立ちこめる臭気。女はうめいて身を引く仕草をした。


「むぇぇぇ? しかもクサぁぁぁぁぁい。なぁぁんだいぃ、こりゃぁぁ?」


 疲れきって投げだされていた金髪の少女の手から、なにか固いものが転がり落ちる。音を聞いて女が見おろすと、それは愛らしくまるっこいガラスの小瓶だった。


「どうかしましたか?」


 遠くで僧衣の男の声がする。


「土地ノがふたりぃぃぃ」

「おや。変身を解かれたようですね」


 男がぼやくのまで聞いて、サラは心の中でよっしゃ!と叫んだ。


(読みどおりッス!)


 ペトラが叫びだし、女が顔をのぞかせるまでの数秒のことだった。サラはポケットから出した小瓶の封を開け、ペトラの顔に押しつけた。口を開ける前よりさらに激しい悲鳴をあげはじめたペトラを今度こそ全力で押さえこみながら、サラが耳もとで請うたのは『変身を解くこと』。いまサラの上で動けないほどむせこんでいる黒髪の女子生徒は、魔法少女ではない生身のみずなら陽和ひよりだった。


(エレンさま特製、魔女っぽいポプリ! 効果抜群でした! エレンさま大好き! 籍入れしてェェ!)


 サラが読んだのは、ポプリの凶悪さではない。

 異形たちはどうやら魔法少女にしか興味がないこと。

 さらに言えば〝変身していない魔法少女〟にも興味がないこと。


 もっと言えば、変身していなければ手を出せないらしいことだった。


(どこまで本気かわかんないッスけど、襲われないなら逃げられるッス。あるいは帰ってもらえると、正直もう動けそうにないんで助か――)

潘尼バンニぃぃ、もぉぉうやっちまおうぜぇぇぇぇ?」

「ッ!?」


 女が飢えたように訴えるのを聞いて、サラは息を止めた。


「いけませんよ。そとしきが付与されていようと、土地ノモノに触れるのは認められていません」

「言ったってぇぇぇ、中身わかってんだろぉ? こぉぉっそりやればバァァレやしないよぉぉぉ」

「バレますし、大目玉です。浪戸ロウドから直々に」

「んぅーぶぶぶ……」


 耳までめくれそうなほど裂けた口を歪めきって女がひるむ。彼らの決まりごとは十分に厳格そうだと確認できて、サラは改めて深く胸をなでおろした。


 が、


「しかし、これはタタリです」


 男がつけ加えるのを聞いた瞬間、すべてを聞き終える前にサラは凍りついた。


「しかも、相手は百年届かなかったソトツヒの式体しきたい。それも一度に。われわれは高揚と同時に最大限警戒し、確実を期すためいささか大きくタタることにした。その余波が、居合わせた土地ノモノをのは、はなはだ残念なことではありました」


 サラの脚に乗ったままの陽和が、咳きこむのをやめて、カチカチと歯を鳴らしていた。


 男のほうを向いていた女が、ゆっくりとまたサラたちを振りかえる。こめかみまで伸びる唇が、長蛇する歯列を残らずむきだしにする。しみ出るよだれがボタボタと垂れ落ちてくる。

 サラは首のうしろがギュンと熱くなるのを感じた。


「ちィッ!!」


 思わず舌打ちをして無理やり体を起こし、起きざま陽和を突きとばした。喪服女をにらみあげ、サラは震える脚を全力で動かして片膝を立てた。


「サラ、ちゃ……?」

「陽和ちゃんセンパイ、屋上の端まで逃げるッス!」


 陽和を動かしたのは階段があるのとは反対の向きだった。そうするしかなかった。


 しかし、バケモノどもが目論もくろんでいるなら、離れるだけで手は出しづらくなる。最悪屋上から飛び降りて、着地の瞬間だけ変身すればいい。サラはそれまでの時間稼ぎになれればいい。


 そう考え、陽和を送りだしたのだが――陽和は床につっぷしたまま、一向に動く気配がなかった。


「陽和ちゃんセンパイ! 怖くても動くッス! あーしが引きつけるッスから!」

「げぇぇんきだねぇぇぇ」

「元気いっぱいッスよ、開封失敗ソースおばさん。いまから変身もしてやるッス!!」

「そぉぉぉりゃいぃいや! たぁぁのしみだなぁぁぁぁ!」

「陽和ちゃんセンパイ!? なにしてるんスかッ、早く!」


 生臭い息が匂うほど顔を近づけてきた喪服女に、サラは真正面からたんを切りながら陽和を急きたてた。しかし聞きたかった足音の代わりに聞こえたのは、


「ごめ……なさ……」


 糸先についた火のように、いまにも消えそうな声。


 サラが瞠目どうもくして横目に見た陽和は、床に横たわり、不自然に脱力した脚に手を伸ばし、嗚咽おえつをもらしながら震えていた。


「ごめ……わたしッ、くるま、いす……!」

「……!?」


 サラの脳裏で三つがつながる。廊下に放りだされたオレンジシートの車椅子。それを屋上へ運んできたアストラル★ペトラ。みずなら陽和が魔法少女になったわけ。


(あの車椅子は、やっぱり陽和ちゃんセンパイの私物……! 陽和ちゃんセンパイは、もともと脚がッ……!)


 知らなかったことを悔やんでもせんはない。しかし、どうしようもない。陽和はひとりでは逃げられない。

 ならば、ない道を切りひらくしかなかった。


「くッッ……アストラルッ・シャイン! グローリィィィッ――」

「時間切れだよ」


 サラが唱えたとき。喉の裂けるほど全力で、渾身で祈るようにして変身の呪文を叫ぼうとしたそのとき――喪服の女でも僧衣の男のでもない、新たな声が降ってきた。


 男児とも女児ともつかないながら、およそ幼い声。


 喪服女もと顔をあげて見た先、サラたちのほぼ真上の空に、ぬいぐるみのように白く丸々としたドラゴンが、翼もないのに浮かんでいた。

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