💔16 散華

 それは人のかたちしていた。


 女の姿だ。喪服じみた漆黒のドレスをまとっている。頭には、擦りきれて裂けたモーニングベール。用をなさないベールの代わりに、よどんだ色の長い髪が顔を隠す。

 末広がりなスカートもまた、全体がみすぼらしく朽ち果てていた。ただ、ギザギザに破れたその裾は、一端一端がなぜか鋼質の刃のように見える。


 腕は長く、手は胴よりも大きかった。喪服の袖と一体化し、モミジの葉のような黒い手がぶらさがっている。指の代わりに黒鉄くろがねのような爪が五本、スカートの裾より長く広がっている。

 足はなく、その体は空高く浮いていた。青空にたゆたうシルエットはまるで、病んでヒレの裂けた熱帯魚のよう。


 女は、あお向けで魔法陣の上に浮くサラを、よりずっと高くから見おろしていた。風にゆれる髪の隙間に、時折白いあごと赤い唇をのぞかせながら。

 その、口の端が、頬を貫くように裂けて吊りあがるのを見た気がして、サラはゾクリとした感覚を全身に覚えた。


「な……なんか、やばくないか?」


 下の屋上からシプンの声がする。心なしかではなくおびえた声。ピルクもすでに詠唱をやめ、言葉を失っているようだ。人が宙に浮いているのを見れば、それが自然な反応だろう。まして、人ではないかのようであれば、より当然に。


「なぁ、部長……一回、サラをおろし――」


 けたたましいが空に鳴り響いた。


 ビリビリと振動を感じるほどの大音声だいおんじょう。建物がふるえ、空が揺れる。


 耳をふさがずにいられないほどのそれが、笑い声だとサラは気づいた。

 上空にて、喪服の女が笑っている。肩を揺らし、赤い唇を限界までこじ開け――


 こじ開けた……その口角の半分は限界を超え、ひと息にこめかみまで裂けあがっていた。果実のようにひらいたその裂け目の内に、親指大の歯と巨大な舌が並んでいるのを、サラは目のあたりにした。


「ぶ、部長! 早くッ、ささ、サラを!」

「わかってるッ。いまやってる!」


 屋上ではシプンとピルクが押しだされたような金切り声で呼び交わす。ピルクは手帳を猛烈にめくり、シプンは唇をかんでその様子を凝視していた。


 少女たちが恐慌におちいるのに、起きたことのなにが不足だっただろう。喪服の女は斜めに裂けきった口から長い長い舌を伸ばしはじめていた。サラは女が笑っているのだと気がついた。

 直後、女は落ちてきた。


「!?」


 サラもすでに落ちはじめていた。だが気球の火を止めたようにゆっくりと次第にだ。

 頭から自由落下する女は髪と喪服の裾をなびかせ音より早くサラに迫った。同じように空へなびく五指の黒爪こくそうが陽射しに照りかえるのを見て、サラは思わず両腕で顔をかばった。


 だが、女は通りすぎた。


「へ……?」


 サラは落ちていく。そのそばを稲妻のように黒いなにかが駆け抜ける。


 頭から落ちていたはずの女は屋上に激突する寸前、風もなく頭を上にして静止した。


 ピルクのそばに。


「…………え!?」


 遅れて、ピルクが気づく。


 彼女が振り返るより早く、サラがすべての重力を取り戻すより早く、女の裂けすぎた口が、長すぎる舌が、ざらりとした声をぶちまけた。


「魔法ショージョ……おぉぉぉおおぃッしそぅゥウゥゥうダねェ!!」

「磨理! 危ない!」


 たとえば、そうだ。

 シプンは――惣星明日瑠は、それで、つまり、至極当然のことをした。


 魔法少女の脚力でもって、模造紙の反対側から跳んで、手を伸ばした。

 突き飛ばされた友人は、尻もちをつくかたちで、彼女を見ていた。


「あ……」


 惣星明日瑠も、友人をながめていた。


 惣星明日瑠は、友人のその、変身した姿が好きだった。見せつけるように主張する、彼女のきめ細やかな肌が好きだった。


 それは友人の本当の姿ではない。でも、あの子が心からそうなりたいと望んだ姿だ。

 自分自身の変身は、せっかくの白い肌を豪奢ごうしゃな衣装で残らず覆い隠してしまった。生まれつき極端に肌の黒い自分は、願いを叶えても人に見られるのが怖かった。


 だから惣星明日瑠は、心からほっとして、喜んだ。親友のきれいな肌に傷がつかなかったことを、よかったなーと、至極当然のこととして、満足して、納得して、そして、




 輪切りになった。




「……………………え?」


 アストラル★ピルクは、赤く染まった視界で、何度かまばたきをした。


 水を止めずに水道管を断ち割れば、みちを失った流水は四方に噴きだす。なめらかに切れた血管からも、体を巡るつもりだった血がしぶきとなって飛び散っていく。

 顔も、肌も衣装も赤く塗らして、ピルクはしゃがみこんで、こま切れになって床に広がった親友を見ていた。


「明日瑠……?」


 磨理ぃー!


 その名を呼びかけると、声がするものだった。


 底抜けに明るい大きな声。変身してもいなくても、あの子はいつも同じ。


「明日、る……?」


 うわーっ、どうしたんだ磨理ー!?

 あははっ。磨理はすごいなー!


「あす……」


 手を伸ばす。いつもそこにいる。


 振り向いてくれて、聞いてくれて、笑ってくれて。


 ときどきは鬱陶しくて、でもありがたくて、気がつくと探してしまっていて。


 いまだって、そこに。


「……うそ」





「うそ……うそよ……あする?」





「あする……うそ……うそ。うそ、うそよ、だって……」





「あす……あする? あする……あするっ? あするッあする!? 明日瑠ッ、あする! あする! あする!! あするッッッ!!」





 なんだよー。磨理はいっつもそうじゃん。

 もー、磨理はしょうがないなー。





「あ………………………………す、る――――――――アアアァッ!」


 彼方から嗚咽が追いついて、悲鳴で上書きされた。

 へたりこんでいたピルクの体が、強制的に起こされる。灰色の髪に白く長い指がからんでいて、力ずくで持ちあげられた。


「痛い! やめてッ、近寄らないで! うそよ明日瑠! うそ! あするッ! あすぐぅぼェェェェォッ!?」


 足が浮くまで吊りあげられたピルクの口に、もうひとつの手が滑りこむ。

 喉奥をも押し広げ、手は食道までをもぐんぐん進んでいった。手首に関節はなく、腕は骨すらないかのように自在にくねりながら際限なく伸びていく。うねるたびにピルクの首や胸元が変形し、ごきりぼきりと不快な音を鳴らしていた。ジタバタともがいていたピルクの手足は、やがてだらりと垂れ、痙攣けいれんするだけになる。


「どぉぉぉぉうだい、潘尼バンニ? なにかわぁぁぁかったかぁい?」


 喪服の女の裂けた口から、奇妙に間延びしてものをたずねる声が出る。しわがれすぎて高いとも低いともつかない、これまた奇怪な声色だ。足のない身で血だまりの上に浮かび、汚れた黒爪を愛しそうに嗅いでいる。


 一泊遅れて、力ないため息が返事をした。


「……駄目だめですね」


 いつの間にか、そこに異様な身の丈の男がいた。

 二メートルはあるだろうか。その身に金の袈裟をまとう僧侶そうりょのいでたち。それでいながら滝のように長い黒髪をした、ひどく秀麗な男だった。筆で描いたような柳眉りゅうびは険しそうに合間を狭めてはいたが、閉じきった目は豊かな細毛に縁取られ、あくまでたおやかに弧を描く。


 黒い法衣の袖から伸びた大きな手が、魔法少女の小さな頭をつかんでいた。それをより高くあげると、男はもう片方の腕、流体と化した腕でふくらませた少女の喉もとへ、あでやかなほど形のいい唇を寄せてゆがめた。


「やはり、ではありますが、これはこの地の《信仰》だけで作られている上に、実質はただのハリボテです。《魔女》へとつながる手がかりは、なにも」

「じゃぁぁぁぁあ、壊していぃぃいぃ?」


 喪服の裾がひるがえる。ジグザグに破れて硬質化したそれは、異形の女の多すぎる脚であり、さらなる爪だった。


「どうぞ。と言いたいところでしたが、申しわけありません」


 僧服の男は、魔法少女から顔を離して、慇懃いんぎんに告げた。


「強度のほうも想定外でして、思いのほかもろく、すでに壊してしまったようです」


 垂れさがるピルクの脚の間から、大量の赤黒いものが勢いよく噴きだした。


 男が伸びた腕をまた縮めるようにして、そのから自分の手を引きずりだす。腕の表面には折れた歯が何本か巻きこまれて出てきていた。

 それも男が腕を振れば、表皮が水のように飛び散り、べっとりと汚していた血ごと残らず払われる。ほぼ人らしい見た目に戻った腕を袖の中にしまうとともに、男は動かなくなったピルクを床へ捨てた。


「なぁぁぁぁんだい。つまぁぁんないのぉ。せぇぇぇっかく二百年ぶりにってぇぇのに」


 女は裂けていないほうの口の端をへし曲げて、子供がしょげるようにがっくりとうなだれた。が、


「……でぇぇぇもぉ、もうひとぉぉつ、あったよねぇぇぇ?」


 すぐにまた顔をあげ、裂けあがった口の端を女はさらに吊りいた。垂れた舌をなびかせ、赤汚れた魔法陣のそばを勇んで振り向く。


 そこにあった一台の車椅子。イエローチェックの座席には、風にめくられゆくスケッチブックだけが残されていた。

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