💝15 魔法少女は飛翔する ~かなしみのないじゆうなそらへ~

 今日のだマスコットはよくしゃべる。


「確かにマヨネーズと生クリームはまったく別のモノだ。メレンゲと生クリームですら用途を分けなくてはいけない理屈はボクにもわかる。でも絶対に無理だろうか? むしろメレンゲは短時間で分離してしまうことから生クリームの代用に向かないって理屈である以上、長期間分離しづらいマヨネーズはメレンゲよりも有利なはずだ」

「……誰に勝つ気だ」


 論旨もよくわからないまま、朱鐘あがねはとりあえず浮かんだ疑問を口走りつつ、ひじで印刷室の扉を開けた。片手にしていた校内新聞の束がずれる。たいした枚数ではなかったが、もう片方の手にはインクカートリッジの箱を抱えてしまっている。廊下でそろえ直すのは難しそうだった。


「戦いたいわけじゃない。ただ、共存も不可能だ」


 浮遊しながらうしろをついてきたシグは、引きつづき持論を展開していく。朱鐘はその魔法生物が廊下へ出てくるまで待っていたが、デフォルメされた恐竜の子供はテレポートで追いついてきた。


「けど、同じ立場をそれぞれで持ちまわることは可能だと思わないかい? スポンジケーキの上が生クリームの独壇場どくだんじょうだといくら主張できたところで、生クリームを常備している家庭はひと握りじゃないか」


 扉にしろずれた新聞の束にしろ、シグは朱鐘を手伝おうとはしない。朱鐘も期待はしていなかったが、微妙に釈然としない気持ちで、生徒会室にクリップを置き忘れてきたことを後悔した。


「だからって、勝手はよくない」


 開けるときより重い扉を閉めて朱鐘。「驚くだろ。ケーキから酢の匂いがしたら」


「でもマヨネーズだよ?」歩きだした朱鐘を追ってシグ。「みんな知ってるはずだ」

「ケーキがマヨネーズでデコレーションされてる可能性があることをみんなが知ってたら、みずならは泣いてないだろうさ」


 歩きながら窓から校庭を見おろす。土曜日は顧問の教師もおらず体育倉庫も開かないはずだが、トラックは陸上競技の自主練やほかの運動部員のランニングなどでいつものようににぎわっている。閉校後には付近のファミレスやファストフード店に彼らがなだれこむのだろう。


 魔女部も今日は新人を迎え、熱が冷めなければどこかで二次会のような流れになるかもしれない。少なくともあの陽気な中学生は、人見知りな部長たちともうまくやっていそうだ。そうなると、帰りは送ると言った朱鐘は最後まで付き合う羽目になるだろうか。補導されるほど遅くはならないだろうが、またと部長とで変な空気になっていないことを祈る――そう思いながら、朱鐘は黙りこんだ魔法生物を見かねて溜め息をついた。


「……わかってるよ。おまえが惣星そうせい先輩の誕生日にしたことは、イタズラじゃなくておせっかいだったってことくらい」

「朱鐘?」


 シグがなにか意外そうな声をもらす。気落ちしていた気配はない。そもそもそんな性格をこの魔法生物がしているはずがないことを思いだし、朱鐘は黙々と歩きつづけることを選んだ。


「朱鐘、怒ってる?」


 足を止めた。

 うしろにいた魔法生物を、振りかえって見あげる。流線型に先のとがった白い顔の左右から、黒豆のような目が見おろしている。見かけどおり感情の起伏にとぼしく、人間の細かな感情にも一切頓着とんちゃくしない生き物だ。それがどうして時折こうも鋭いことがあるのか。朱鐘はふしぎさに少しうんざりさせられた気持ちで、隠すことなくため息をついた。


「……おまえ、どうしてぐうどうを魔法少女にしたんだ?」


 トラックからボールを蹴る音が聞こえる。休日開校中に体育用具は使用禁止のはずだが、自前のボールを誰か持ちこんだのだろうか。当直の校務員に見つかっても大目玉なのだが。


「朱鐘が自分で言ったじゃないか。予備だよ」


 シグはそう答えた。その前に、少しの間があった。


「……それも本音かもな。だが、盗撮犯だ。逆に迎え入れて鈴をつけるっていうのは、理に適ってるようで適ってない」

「鈴なんか付けないよ?」

「たとえ話だ」


 本気で言ったのかもよくわからないまま、シグの微妙なあげ足取りを朱鐘は一蹴した。

 するとシグはふよふよ窓辺をたゆたって、無言で朱鐘を追い越していく。


 その姿がどことなく言葉を探しているように見えて、朱鐘は思わず待ってしまった。やがて魔法生物は、窓の外をながめたまま、流れるのをやめた。


「なつかしい感じがした」

「は?」

「いまのカメラって、まずうしろのツルツルしたところに撮る画が映るんだろう?」


 最初になにを口走ったのか。朱鐘がはっきり疑問に思うより早く、シグは続けざまにたずねて振り向いた。具体性のあるあとの言葉のほうに朱鐘も意識を引かれ、背面に液晶のあるデジタルカメラを頭に思い浮かべる。


 カメラが液晶に映すのは、ただ窓からのぞくようにレンズの穴を通して見えるそのままの景色ではない。一度カメラ内部にデータとして取りこんだ映像を、リアルタイムで出力したものだ。そこで人間の記憶媒体に取りこめない魔法少女の姿は……。


「そうか……それなら撮る前に」

「映らないことに気づくはずだ。なにかの間違いだと思ってシャッターは切るかもしれない。けれど、確認もすぐできるんだよね?」

「確認したくなるほどの違和感も持たなかった……つまり、映ってた?」


 朱鐘の問いかえしに、シグは答えなかった。ただ、いつの間にか体ごと正面を向いている。うなずきさえなかったが、朱鐘は沈黙を肯定ととらえた。歯噛みするように眉根を寄せる。


「……マガツヒか?」

「わからない。今日はカメラを持っていなかった。もしかしたら、自分のものじゃなかったのかも」

「あいつ自身にはなにが?」

「なにも。寓童サラは普通の人間だ。特別なカメラをどこかで手に入れたと考えるのが自然だろうね」

「マガツヒがそれを用意したんなら、撮られたのはまずいんじゃないか?」

「だから寓童サラと契約をしておいたんだ。あちらの動きをこちらが把握しているっていう警告と牽制けんせい。寓童サラ自体は使い捨てのこまかもしれないけれど、もしそうでなければ人質にもなるだろう?」

「写真自体は未回収か。だが、なにも起きてないな……」


 シグがカメラの奪取や破壊を試みなかったことを少しいぶかりつつも、朱鐘はまだ完全に後手には回っていない可能性を見て自分を落ちつけようとした。特別なカメラにはマガツヒの関与が疑わしいが、マガツヒの魔力を令法野りょうぶの市内に感知すればシグは瞬時に飛んでいける。写真を使おうがなにをしようが、魔力の流れはごまかしきれないはずだった。


「とりあえずおまえの考えなら、寓童は定期的にここへ来させるほうがいいんだろうな」

「できればそうしてほしいね」

「もっと早く言ってほしかった」


 言ってもしょうがないとは思いつつ、朱鐘はため息まじりに目を伏せる。


 寓童サラ自身は見たところ、誰かがフォローしなくても他人とうまくやっていけそうな性格だ。ただ、相手をする魔女部側の面々にはその点で心配が尽きない。特に部長のと一年のの扱いづらさは断トツだ。それぞれと親しいそうせい明日瑠あするありあたりには根まわしをしておくべきだっただろう。


「そういえば、八木豆先輩……」


 ふと、心配の種である魔女部部長の顔を思い出し、朱鐘は窓の外を見る。令法野の校舎はコの字型をしているので、内側を走る廊下の窓からは隣りの棟の屋上のフェンスが見える。新しい魔法少女が来るという話を朱鐘が持ち出したとき、部長の磨理は意外にも前向きな反応だった。そういえば、あの話も今日だったか。


「八木豆磨理がどうかしたのかい?」

「いや、週末に屋上で実験するって話してた」

「実験?」

「ああ。もしかしたら寓童を誘ってるかもしれない。あれに参加してもらえるようにすれば、来させる口実にも――」


 不意に、耳鳴りのような気配がした。


 朱鐘は自分が振り返っていることに、振り返ってから気がついた。目の前には魔法生物が浮かんでいて、窓のそばでなにをするでもなく、廊下の天井を見あげている。


 会話の流れからしても不自然なその様子に、思わず朱鐘は「シグ……?」と呼びかけた。

 直後、ぬいぐるみのような頭の下にある、見えないほど小さな口から、やけにはっきりと耳につく声を聞いた。


「ひとつ、減った」

「え?」


 つかの間、


 朱鐘は床をなぐるような鈍い音を聞いた気がした。


 目の前から突風が迫ってきて、まぶたを閉じる間もなく押し倒される。

 手に持っていたものがすべて舞いあがり、自分よりうしろにすっ飛んでいった。


 すぐさまいだ中でおそるおそる目をあけると、様変わりした廊下にがく然とした。

 蛍光灯が割れて落ち、窓ガラスも外へ向かって割れている。

 そのガラスのそばにいたはずの、小さな竜の姿はない。


「ッ……シグ!?」


 無理やり膝を立て、立ちあがり、窓辺に駆けよる。

 校庭にも音は聞こえただろう。部活中の生徒たちがこちらを見あげて騒いでいる。

 朱鐘はかまわず見える範囲に視線を走らせた。しかし、小鳥のような白い点はどこにもない。


 ガラス片の残るサッシに手を添える。どこへ行ったのか、よりも、その激しい移動のこんせきが、朱鐘の胸の底に重りを落とした。


「なんで……テレポート、しないんだ……?」


 疑問をこぼしてから、衝動的に空を見あげる。

 窓枠にはガラスの破片がまだ光っている。落とされるときを待つその透明な断頭台を透かして、屈折した青と屋上のフェンスが見えた。

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