💝13 魔法少女はお茶をする
午後の秋空に夕暮れの気配がしはじめた頃。
ソファに大股びらきで斜めに腰かけ、先を咬みつぶしたストローでヨーグルトサワーをすすっている。秋半ばとはいえ、屋外はいまだ残暑香る陽気だ。店内は冷房が効いていたが、なんとなく胸のあたりがまだカッカしていた。ボタンを開けすぎてブラジャーが見えそうだが、とても構う気になれない。むすんでいる髪の根もとがかゆい。ずっと向こうの席から口を開けてこっちを見ている男子小学生とは、さっきから目が合いつづけていた。
「目がすわってるわよ?」
横顔に声をかけられて、ようやく視線をはずす気になる。
席としては向かい側。高い背もたれの椅子席に、自分と同じピューリタンカラーのセーラー服を着た少女が座っている。ただし愛唯奈と違ってかっちり着こみ、さらにインナーは黒のハイネックだった。いまは見えないが、下にも黒のストッキング。まっすぐ伸びた黒髪は、うつむき加減の顔の左右を
「見ずに言うなし」
「つけまも取れかけてる」
「ウソつけや。って、ゲッ、マジか」
テーブルに放りだしてあったスマホを見おろし、暗いままのグレアの液晶に映った自分を見て愛唯奈は顔をしかめた。急いで道具を取りだそうとして、面倒になってやめる。
「まいーや。汗がひかにゃ話になんねえ」
「やったげようか?」
「いいって」
そ、とだけ答え、
至近距離で踊る血みどろサーカスにうんざりしつつ、愛唯奈はまた視線をわきへやった。
結局またあの小学生と目が合う。ワンピース型の制服はスカート丈を詰めづらかったが、愛唯奈は自前で改造した腰まわりを上着の腰巻きで隠すことで絶対領域を確保していた。
アンニュイな表情もお子ちゃま程度は誘える色気があっただろうか。と、やや
「ハッ。勝った」
「やめなさいな。ブラも見えてるわよ」
「知るか。見るやつが
「ご機嫌ですこと」
すまして返され、イライラと愛唯奈はまたストローを咬んだ。
気にせずカードを動かしていた手が、不意に止まる。愛唯奈が横目に盗み見ると、カードの列は奇妙に乱れているようだ。持ち主の口から長いため息が漏れる。
「んだよ。なに見てたんだ?」
「うーん、あの子とのこれからの関係。結局よくわからないっていうか、むしろなにも見えないって感じ?」
「あンだそりゃ? 関係ありません、ってか?」
「あー、それか。今日限りのあれっきり、ってことね」
「ハァァ!?」
冗談のつもりでたずねたのを肯定され、愛唯奈は思わず声を荒げた。
「なんだよそれ! 部長のやつなにやらかすんだ!? むしろ副部長か!?」
「ちょっと。占いで熱くならないでよ」
「だってッ……っ……」
占い師に占いのことをたしなめられ、愛唯奈は渋々言葉を飲みこんだ。その愛唯奈が目を見張る前で、つけまつ毛いらずな輪郭の濃い目が痛々しげに細まる。
「そんなに心配なら、戻ればいいのに」
「別に。そんなんじゃねえし……」
「サラちゃんを取られて
「してねーし。……オタバナ、合いそうだなとは思ったけどよ」
否定はしつつも、愛唯奈は小声で続けるのをやめられなかった。向かいで友人がまた溜め息をこぼす。
「ちゅーしちゃえばよかったのに」
「なんでそうなんだよ」
「わたしの眼福」
「エレン、てめぇ……こっちゃマジメに部長連中を――」
「いまは
友人は、長い黒髪を耳にかけて言った。すました顔のまま、どことなく得意げに「マナー違反ね、バインちゃん」などとそらとぼける。変身時よりもお互いに増えた等身でにらみ合う。
「うっせ。ちゃん付けんな」
「そっちなの?」
「わかってて言うな。オレはバインでも愛唯奈でもどっちでもいいんだ。人に空気読ませんのも好きじゃねえし。……けどよ、部長のやつら、セイランよりサラのがいいだなんて、あんなタイミングで言いやがって」
「やっぱりそこか」
梨世はタロットカードを片づけはじめる。いつまでもなにくわぬ顔の親友を見て、愛唯奈は眉間のしわを深くした。
「ったりめぇだろ。おまえはなにも思わなかったのか?」
「部長にしてはおとなしい反応だとは思ったわよ? さすがに中学生が相手で自重したか、ピンクが相手じゃ分が悪すぎると思ったかしら」
「あの部長がその程度のプライドなわけねえだろ。ピンクにビビったってのはありそうだけど、あとですぐ副部長が
愛唯奈がすげなく言いかえせば、梨世は両の眉をあげて「ふぅん」と感心した様子を見せた。常日頃興味を示さない相手から急に掛け値のない賞賛の態度を示されて、愛唯奈は余計に居心地が悪くなる。
「さすがはプライドの高い同級生とこうして毎日のように付き合えてるだけあるわね」
「おまえはやっかみは出さねえじゃんか。完ッ璧独自路線だし」
「そうとも限らないわよ?」
梨世の口もとに、不意にへらりと湿りけの多い笑みが浮かぶ。
「かわいかったわよねぇ、セイランのサラちゃん。ピンクなことを差し引いても、あなた的には百点満点だったんじゃない?」
「……勝手に言ってろ」
「アニメもきっと好きなんでしょうねえ。どこかの誰かさんと違って、周りを気にして趣味を打ち明けられないなんてこともなさそうだし。秘密の趣味を打ち明けられる仲間が欲しくて魔法少女になった誰かさんと違って、成人向けに手を出してる人と畑違いが元でモメることもなさそうだし」
「ヤなこと思い出させんな」愛唯奈は語気を強めた。「つーか
「あら、古いハナシ」
「二か月前だろ」
「もう吹っ切れたわよ。夏休みいっぱい泣いたし、魔女ごっこは思ってたより楽しいし。それに、わたしはもう終わったけど、あなたはこれからでしょう?」
「ハァ? なに言って――」
「本当はあなたが一番、『サラちゃん』のほうが大好き」
「ッッッッッ!?」
やけに蒸すとは思っていた。
屋内は冷房が効いているはずなのに、いつまでたっても汗がひかない。服の内側がジメジメして気持ち悪いし、吐く息は風邪を引いたように熱っぽかった。
いまは、その熱が爆ぜたように、愛唯奈の頭の中は真っ白に
きっと、きっとだ。ファミレスのソファ席には、
「わたし、
「バッ……てめっ――」
「でもあーあ、残念。やっぱり奥手って損ね。サラちゃんにとって大切な、そしてあなたにとっても百点満点な魔法少女コスをけなしたくなくて、素直に変身前もかわいいねって言えないんだもの。そんなだから、
「ひッ、陽和はそういうんじゃねえだろ!」
「あら。そういうのってどういうの?」
「ぷグッ……!?」
愛唯奈の喉と口先から古い水道管のような音が噴きだす。もう赤くなれる場所は残っていないと思っていたがまだまだ体温はあがるようだった。おちょくられて腹も立っているはずなのに、心臓がめちゃめちゃに暴れていてもうわけがわからない。音が響くぐらい息が荒くなりそうになって思わず飲みこんで飲みきれなくて、最終的に愛唯奈は窒息したように顔面からテーブルにつっぷした。
「……コロシてくれ」
「まぁ、だらしない」
「こっちは
「あっちが中坊なことに一切触れないじゃん、せんせぇ……」
「あらそう。そうやっていつまでも、好みでもない、脈ナシなのもわかってる子に、ラクだからで甘えるのをやめたら?」
「普通のダチだってほしいんだよ、オレも……」
「オフ会に行くとか」
「やだよ。知らない人と会うのこえーし」
テーブルの固い表面は、雪のようにやさしく冷たい。愛唯奈は張りつけた頬からそのまま溶けていってしまいたいと感じた。なにもかもが面倒くさい。ファンタジーの
「そんな小心者のあなたに、やさしい天使からのお心づけ」
気取った
「……悪魔の間違いだろ」
「まぁ。そこは魔女って呼ぶものよ?」
「へいへい」
気乗りせず顔もあげないまま、腕だけテーブルに出し、たたまれたルーズリーフをつまみあげる。乱暴に振ってひらき、中をのぞきこんだ――や否や、愛唯奈はぶわっと跳ね起きた。
「おいッ、これ……!」
有戸梨世という人間は、ウインクなんて滅多にしない。いつも背すじを伸ばして座り、立てば
ただ、変身前と変身後で長さが違うだけの黒髪を、機嫌がいいときに指に巻く仕草だけは、いつも同じだった。
「われらがセクシー部長様の、超完璧魔法陣。写したのはわたしじゃないけど」
梨世が紙の上に指を乗せ、折り目をきれいに伸ばしていく。
そこにあったのは、奇妙な円形のデザインだ。
半径の不規則な同心円が
「結局、これがあの人たちの成果だって認めることにはなるんだけどね」梨世が言った。
「けど、あとで自慢げに
小首をかしげながら、梨世はテーブルの隅に寄せていたタロットカードを一枚取って、ルーズリーフの上に重ねた。大きな円の中心に、大アルカナの運命の輪が収まる。正位置なら『好機』を示すはずの絵の真ん中には、朽ちかけのドクロ。そこから放射状に這いだした無数のヘビやムカデたちが、からみ合うことでひとつの車輪を形づくっている。
この絵柄で導ける好機ってなんだ? 呪いで暗殺でもすんのか? と呆れながらも、愛唯奈は自分の口角があがるのを感じていた。趣味が合わなくたって、友だちというのはおもしろいものだ。たとえ切ない気持ちを秘めていたって、友だちになれればきっと楽しい。
目の前の得意げな占い師に、ほんの一瞬だけ金に光るポニーテールと、赤いふちの眼鏡と、深い緑の目が重なる。愛唯奈は肩をすくめてから、
「やっぱおまえ、部長といい勝負だよ」
――グローリー・アウト。
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