エイプリルフール番外編

「そういえば……。今日は、君の言う『エイプリルフール』だったね? 嘘はつかないのかな?」

「……」


 ある日のお茶休憩中。

 向かいに座るアイナに笑顔を向けると、彼女は居心地の悪そうな顔をした。

 


***



 19歳の春のことだった。

 まだ婚約者だったアイナが、こんなことを言ってきた。


「ジーク、あのね。私、あなたのこと嫌いになっちゃったみたい」

「えっ……?」


 二人一緒のお茶休憩中、唐突に放たれた言葉。

 当時、両親は公務のために家を離れていて、姉二人は既に嫁いでいた。

 急に父の仕事を引き継ぐことになった僕は、心身ともに疲れていたし、孤独だった。

 そんな僕を心配し、アイナはシュナイフォード邸で一緒に暮らしてくれたのだ。

 あの時、僕のそばにいたのはアイナだけ。

 彼女は、僕の支えだったんだ。

 そんな状況だったから、「嫌いになっちゃったみたい」の一言でかなりの傷を負ってしまった。


「きらい……?」

「そう! 1年近く一緒にいたら、あなたのこと嫌いになっちゃったみたい。……なんて、嘘なんだけどね! ある地域に、エイプリルフールっていう、嘘をついてもいい日があるの。ちょうど今ぐらいの時期だから、私もやってみたんだけど……。どう? びっくりした? ジーク? ジーク……?」


 表情も言葉も失った僕の前で、アイナが焦っていたのをよく覚えている。

 結局、その日の僕は使い物にならず、夕方前には執務室から放り出された。

 秘書を兼ねた老執事曰く、全てを失った抜け殻のようだったそうだ。




 そのあと、アイナは床に頭を擦り付け始めそうな勢いで僕に謝罪。

 それでも心が戻ってこない僕を見て、こんなことを言い出した。


「嫌いなんて嘘、本当は大好きだから! ずっと一緒にいたら、前より好きになったの。嫌いどころか、その反対で……。だから、元気、出して……? まだつらいなら、あなたが元気になれるように頑張る。なんでもするから……!」

「…………なんでも?」

「なんでも!」

「じゃあ……」


 手を握って欲しいとか、好きだと言って欲しいとか。最初は、その程度のお願いから始まった。

 当然のように調子に乗った僕は、ここぞとばかりにあれそれ要求し始める。

 もういいんじゃないかと言われたら、「まだつらい」「嫌いと言われた傷が深い」と悲し気な顔を作った。

 そうすれば、彼女は「今日だけだからね?」と言って、僕の願いを叶え続けてくれたのだ。



***


 

 初回のあの日を最後に、エイプリルフールとやらは開催されていない。

 クリスマスやハロウィンは毎年恒例の行事となったのに、このイベントだけはなかったことにされている。

 きっと、ずるい男に散々な目に遭わされたからだろう。


 僕としても、再び嘘をつかれたら「傷ついたなあ」と大袈裟に言って、19歳のときと同じ展開に持っていく自信がある。

 言われた内容によってはショックを受けるだろうけど、方向性を変えてくれれば問題ない。

 そこさえなんとかなれば、妻に色々な要求ができる素晴らしい日となり、僕が得をするイベントと化すかもしれないのだ。

 

「アイナ。僕が相手のときぐらい、好きにしていいんだよ? エイプリルフールに合わせて嘘をつくとか、ね」


 だから、毎年同じ日に、アイナを煽っている。

 それでも、彼女が僕の誘いに乗ることはない。

 ……初回のあれが、そこまで嫌だったんだろうか。


「……あのときみたいな要求はしないよ。君が知っている行事を、一緒に楽しみたいんだ」


 後半は本心。

 前半については、色々お願いできないのはちょっと残念だなあと思っている。

 アイナはじっと僕を見つめてから、視線を外した。


「そうじゃなくて……。………………いの」

「ん?」

「あなたを傷つけるようなこと、したくないの」

「……!? そっちを気にしてたんだ? 好き放題されたのが嫌だったのかとばかり」

「そ、それもある、けど……。こっちは冗談のつもりでも、相手を傷つけちゃうこともあるって、わかったから。あのときだって、嘘だよって言ったら、笑って終わると思ってたの」


 アイナはどこか苦しそうだった。


「でも、違った。なら、遊び気分で嘘なんてつかなくてもいいかなって……」


 ……ああ、そうか。

 あの日、「嫌い」という言葉で僕を傷つけてしまったことを、彼女はずっと悔んでいたんだ。

 だから、同じことを繰り返さなくて済むようエイプリルフールを封印し、他の行事は継続させた……と。

 アイナはこんなにも真剣に、僕の心と向き合おうとしてくれる。

 なのに、僕ときたら。


「……ごめん」

「え?」

「君が嘘をついたら、前みたく色々お願いしようと思ってた……」

「いろいろ……お願い……?」

「うん……。いろいろ……」


 この告白に対して、アイナからなんのコメントもなかった。

 代わりに無言で立ち上がり、こちらを振り返ることもなく退室。

 柔らかな光が降りそそぐ空間に、二人分の茶器と僕だけが残された。


 ふっと、乾いた笑いが漏れる。


「色々お願いしようと思っていたなんて嘘だよって言ったら、許してもらえるかな……」


 だって、今日はエイプリルフールなのだから。僕の発言だって、嘘だったことにできるはずだ。



 その後、彼女が好きなお菓子を持って謝りに行ったら、バカ、ジークのバカ、と言いながらも許してもらえた。

 

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*番外編集* 元日本人の奥様は、季節イベントを満喫する はづも @hadumo

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