いつかは、抱えきれないぐらいの花を

「……」


 シュナイフォード邸の玄関周辺で、うろうろそわそわと落ち着きなく過ごす女性がいる。

 その女性の名前は、アイナ・ラティウス・シュナイフォード。つまり私だ。

 数十分ほど前から、私はこうやって夫の帰りを待っている。

 今日は、とあるイベントの日だ。

 私が勝手に持ち込んだものじゃなくて、元からこの世界に存在したもの。

 恋人や配偶者に関連するイベントだから、私には関係大有りなのである。


「ジーク、まだかな……」


 もう、何度目かもわからないため息。

 ちなみに、ジークベルトの帰宅予定時間はちょうど今ぐらい。

 私が早いうちからそわそわしているだけで、彼が遅れているわけじゃなかったりする。

 そんなとき、彼が帰宅したという知らせが届いた。

 即座に玄関前へ移動。張り切って待機。

 開く玄関。その先には……大好きな夫の姿。

 

「ただいま、アイナ」

「おかえりなさい。ジーク」


 一緒に暮らし始めた年からは、このタイミングであるものを贈られていた。

 だから今年もあれを渡してくるなら今だろうって、期待に満ちて彼を見上げていたのだけど……。

 ジークベルトが、ふわっと優しく微笑む。

 それから、片手で私の前髪をどかし、額に触れるだけのキスを落とし――


「まずは、食事にしようか」


 と言って、私の横を通り抜けた。

 ……あれ!? もしかして、私が日付を間違えてた……? いや、そんなはずは……。

 ぽかーんと硬直していると、さあ行こうとジークベルトに腕を掴まれ、ちょっと強引に連れていかれた。




 今日は、前世でいうバレンタインにあたる日だった。

 この世界の類似イベントでは、男性から女性へプレゼントを贈る。

 相手に好意を伝えるきっかけにしたり、恋人や配偶者を大切に思う気持ちを贈り物に込めたりと、位置づけは前世とそう変わらない。

 なにをプレゼントするかはわりと自由で、お菓子、花、アクセサリーやハンカチなど。それぞれ思い思いの品を選んでいる。


 だから、夫からの贈り物に期待してそわそわしていたのだけど……。

 玄関ではなにももらえず、普通に夕食をとり、今日中に片づけたい仕事があるとかで、彼は執務室に向かってしまい……。

 夕方を過ぎて夜になっても、プレゼントのプの字も出てこなかった。


 ジークベルトがこの手のイベントを忘れるとは思えない。

 今更プレゼントなんていらないよね、って人でもない。

 でも、例年通りのタイミング……。帰宅時はスルー。

 彼が帰宅してそれなりに経ったけど、それっぽい動きはなし。

 いったい、なにが起こってるの……?

 夫婦の部屋のソファに一人で座り、考える。

 マンネリ……はしてない。心が離れている感じでもない。

 愛が冷めた? ……いつものあの態度で、それは無理がある。

 仮に冷めているとしたら、いくらなんでも演技派すぎる。


「じゃあ、どうして……?」

「どうしてって、何がだい?」


 その言葉とほぼ同時に、とん、と肩に手を置かれる。


「ぴゃあっ!?」

「ここまでされないと気が付かないんだから、やっぱり心配だよね」

「ジーク……? びっくりした……」


 まだ心臓がどきどきいっている。

 驚かせないで欲しいなあと思いながら、後ろに立つ彼を見る。


「あっ……」


 ジークベルトは、大事そうに花束を抱えていた。

 これはどう見ても、私にプレゼントしてくれるやつだ。


「よかった……!」

「?」


 冷めたとか、忘れちゃったとかじゃなくて、本当によかった……。

 花を受け取るために、ジークベルトの前に移動する。


「今年は……カーネーション?」


 ジークベルトが頷く。

 10歳で婚約して以来、彼は毎年この日に花束を贈ってくれる。

 花の種類は年によって違って、バラだったり、ガーベラだったり……。

 アネモネをもらったこともあったかな。

 今年の贈り物は、ピンクとオレンジをメインに、黄色も数本取り入れたカーネーションの花束。


「アイナ、本数を確認してごらん」

「何本かなあ」


 そんなやり取りをしながら、花束を受け取った。

 本数なんて、数えなくたってわかる。いつも通りなら、年齢と同じ数のはずだ。

 だから、23--


「あれ? 22?」


 どこかで数え間違えちゃったのかな。

 そう思い、もう一度、1、2……と確認していく。

 やっぱり22本だ。


「んん……?」


 混乱する私をよそに、ジークベルトは面白そうに笑う。

 彼の反応からして、わざと22本にしたって感じだ。

 

「あの、ジーク。なんで22本にしたの……?」

「ちょっと待っててくれるかな?」

「う、うん……」


 離れていく背中を見送る。間もなく戻ってきたジークベルトの手には、一輪花。


「これが、23本目」

「青いカーネーション……」

「うん。自然の色ではないけどね。青いカーネーションの花言葉は……」


 一歩、二歩と彼が近づいてくる。

 目の前までやってきたその人は、空いている手を私の腰に回し、耳元で囁いた。


「     」

「……!」


 そっと離れた彼は、愛おしそうに目を細めている。

 大好きな人が、一緒にいたいと心から思える人が、こんなにも素敵な気持ちを贈ってくれた。

 あなたとなら、きっと。その花言葉に恥じない関係でいられる。


「50本でも60本でも……。そんなにいらないって言われても、君に花を贈り続けるよ」

「……うん」



***

 


「そういえば、なんで今年は渡すタイミングがいつもと違ったの?」

「ああ……。今年から本邸暮らしになったから、そのぶん出迎えも増えたよね。大勢の前で渡すと、素直に反応しにくいかなと思って」

「それは……確かにそうかも……」




 その日のうちに彼から入った補足によると、


「黄色は君の髪色をイメージしたものだから、花言葉は意識しなくていいからね」


 だそうだ。

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