第10話 一番見たくなかった光景
過去に戻って来てから2日目の放課後、俺は剛力先生に言われた通りに図工室に来ていた。中に入るとまだ剛力先生は来ておらず、教室にはのこぎりや絵の具で傷ついたり汚れたりしているテーブルに、背もたれのない木の椅子が4つ置かれており、それが8つもあるというどこにでもある図工室の風景に、夕日が差し込んで来ていた。
俺は図工室にある椅子の1つに腰をかけ、剛力先生を待つことにした。さっきまでやっていた帰りの会までに剛力先生は、俺に職員室に寄ってから行くと軽いアイコンタクトをし、5年3組の教室から出て行った。それを見た俺は安心して荷物を持ち、俺は図工室へと向かった。
でも、これで先生と協力し、成瀬へのいじめを失くすことができるかもしれない。まだ具体的な案を考えることができなかった俺に、差し込んだ希望の光なのかもしれない。
「……よしっ」
俺は思わず小さく声に出してガッツポーズをしてしまっていた。
だが、俺はまだこの時、知らなかった。藤田恭子を敵に回すということの恐ろしさを。
「キャァアアアアアア!!!!」
と、非常に高い声で悲鳴が聞こえた。その声の幼さから考えると、俺と同じくらいの年代の女の子、つまりは小学5年生くらいだろうか。
俺はその声に釣られるように、思い切り図工室のドアを開け、廊下へと出た。嫌な予感がしたからだ。非常に嫌な予感が。
声のした方は俺がいる4階の東端にある図工室に近い所だろうか。俺は校舎に東側、西側とある階段のうちの西側の階段を使い、下へと駆け下りていった。
(ま、さか)
俺は頭に巡っている嫌な予感をかき消すように、4階と3階の間にある踊り場から3階のへと飛び降り、また3階から2階の間にある踊り場まで飛び降りようとした瞬間、俺は目を疑ってしまった。
俺の頭に巡っていた嫌な予感の光景がそこには広がっていたからだ。
「……………………………………剛力、先生?」
俺の眼前に広がっている光景は、剛力先生が踊り場で倒れており、踊り場の壁はべっとりと赤い鮮血がちょうど剛力先生の頭くらいの大きさに染まっている。その傍には第一発見者であろう女子児童が、まるで鬼でも見たかのような形相でわんわんと泣いている。そして、肝心の剛力先生は頭を打った衝撃からか、ピクリとも動かずに、少し開いている目は焦点が合わずに虚空を見上げてしまっている。
「う、うわ。あああ」
俺が1番見たくなかった光景だ。剛力先生が死んでしまうかもしれないという、そういったような光景。
でも、そんなことは絶対に起きないと慢心してしまった。俺は漏れてしまった声を、慌てて両手で押さえながら、よろよろと4階へと続く階段の最初の1段に腰を掛けた。
今、俺が何をするべきか、わからない。
剛力先生の容体は?他の先生を呼ぶべきなのか?剛力先生は事故なのか?それとも事件なのか?事件だとしたら犯人は藤田恭子や他の2人なのか?もしかしたらまだ、どこか近くにいるのか?そもそも俺はこんなところに腰を掛けて何をしているんだ?
俺が何をするべきかわからずに、ただ戸惑っていると、剛力先生の傍には1階の職員室から悲鳴を聞きつけて、駆け寄ってきた他の先生が応急手当や救急車を携帯電話で呼んだりしていた。
俺はそんな光景を階段の陰からちらりと見て、自分自身のふがいなさに打ちひしがれながら、4階への階段を昇っていた。そして、図工室へと着くと、物音を立てないよう慎重にドアを開け、置いていた俺のランドセルを背負うと、そのままの足で東側の階段を使い、その場から逃げ出した。
何故、俺があの現場から逃げてしまったのかは未だにわからない。ただ1つ言えることは、もしかすると俺はあのまま剛力先生が転げ落ちたであろう3階から俺がその現場に駆け下りてしまったら、俺が犯人扱いされてしまうのではないかと考えてしまったからかもしれない。
そんなちっぽけな理由で俺はあの場から逃げてしまったのかもしれない。ただ俺は昔からそういうところがあるのかもしれない。元々の時間軸の成瀬へのいじめも俺は覚えていないと思っていたが、実は見て見ぬふりをして関わりたくないと思ってしまっていたのかもしれない。
「ゴミ野郎じゃねーか、俺。将来出会う彼女や成瀬を救うとか、藤田恭子達を嫌悪するとか、大層なことばかり思っておきながら、俺自身は逃げてばかりじゃねーか」
俺は岐路に着きながら、口に出さずにはいられないことを呟いていた。俺が、俺なんかが誰かを救おうなんて思ってしまったことが間違いなんだ。このまま俺は全てに見て見ぬふりを続けて、それなりに平凡な生活を送ろう。
そうだ。それが俺に1番合っている。
俺はもう成瀬を救わない。何故なら、俺は元々、そういう人間だからだ。
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