第7話 励まし

俺は自分で殴った頬を押さえながら、あの時女子トイレから逃げ出した三人の女子生徒の顔を思い出していた。

5年3組、藤田恭子、平野理沙、石原緑。この三人は俺と同じクラスで、主に女子の中心的存在だった。特に藤田恭子に関しては、元の俺の時代でも何度か良くない噂を耳にしたことがある。確か両親は出張などで多忙で、家を空けることが多いこと、代わりに面倒を見ている祖父母も彼女に甘く、自由に夜遊びをさせてしまっていること、などだ。

だが、これもあくまで噂であり、知ったところで仕方ないことだ。


ある程度、情報を頭の中で整理してみたものの、成瀬に対するいじめの解決策は全く思い浮かばない。それに成瀬はおそらく俺に見られたくない姿を見られてしまったはずだ。そんな成瀬が、明日学校へ来ることは難しいはずだ。


どうすればいい?

俺は1人でそう考えつつ、部屋の中を眺めていると、一階から良い匂いがした。おそらくカレーだろう。俺はそれに釣られるように、立ち上がり、一階へと足を運んだ。


「お、今日なんかおかしいお兄ちゃんがクマ小屋から出てきた」


妹の綾香はテレビに目線を向けながら、そっけなくそう言った。手にはケームのコントローラーが握られており、テレビ画面には格闘ゲームが映し出されており、妹が操っているキャラクターがちょうどコンピューターのキャラクターを倒したところだった。


「俺はクマじゃねーよ。おかしくもねぇ」


俺は妹の軽い冗談を少し真面目に受け取ってしまい、いらっとしながらそう答えた。だが、依然と妹はテレビ画面に目線を向けたまま。


「いや、今日のお兄ちゃんはおかしいよ。ね、お母さん!!」


「そうかもねー。ちょっとおかしいかもね」


と、母さんは妹の言葉にキッチンに立って、カレーが入っているであろう鍋をお玉でゆっくりとかき回していた。妹は母さんと性格は似ていないものの、母と同じく何かをおかしなところを察知する能力に長けている。俺が未来から来たということは流石に察知されないだろうが、違和感を与え続けてしまうことは確かだ。

まずはこの問題を何とかしないと。


「母さんも綾香もなんだよ。別におかしいところなんか一つもないだろ!」


と、俺はちょっと強めにそう言った。何もおかしなことはしていないはずなのに、この言われよう。とりあえず自信を持って否定しなければ、さらに怪しまれてしまう。そう思ったからだ。

でも、おかしなこと?いや、待てよ。1個だけ最大級におかしいことしていたな、俺。


俺がそれを思い出した瞬間に妹がそれを口に出した。


「いや、朝ものすごく泣いていたじゃん」


「うわあああああああああ!!」


俺の頭の中が羞恥心で一杯になり、思わず叫んでしまった。確かに朝、ものすごく泣いちまっていた。外見小学生とはいえ、中身が19歳の男が家族の前で号泣。いや、本当に笑えない。


それに母さんが妹に向けて、「シィー、そんな直接的に言っちゃだめでしょ」って言っている。テレビの前にいる妹とキッチンにいる母さんとの距離はかなりあって、その間に俺がいるというのに。


「ソーセージと目玉焼き食べながら、号泣するお兄ちゃん。ぷぷ」


「ぎゃあああああああああああああ」


妹のダメ押しを食らい、俺は再び絶叫した。俺の頭の中で羞恥心が何回転も回り、暴れまくっている。もはや妹の口を封じるほかない。

俺はそう思い、まだテレビ画面を見てゲームをしているいる妹に向けて、大手を広げながら駆け出した。


「うわ、なに!!」


俺の奇襲は想定していなかったのか、慌てて目線を向け、手に持っていたゲームのコントローラーを適当に投げ捨てて、俺の奇襲を防ぐために両手を前に出した。

当然、腐っても兄の俺は妹に力で負けるはずもない。

だが、何故だろう。今、俺がやっていることから犯罪臭がするのは。

けど、やめない!!これ以上、俺のプライドを傷つけるわけにはいかないからな!!

と、妹と取っ組み合いの喧嘩を始めたとき、それを眺めていた母さんからふとこんな言葉が聞こえてきた。


「良かった。元気でたね」


と。本当に小さな声だったが、確かに聴きとることができた。おそらく妹も母さんも俺を心配してくれていたのだろう。朝に俺が泣いてしまったことではなく、帰って来てからの俺の暗い雰囲気に。


余計なお世話だ。


俺はそう思ったが、何故か心は晴れ晴れしていた。少し成瀬へのいじめを解決することに俺は少し不安に感じていた。成瀬は俺にこの件に関しては何も見なかったことにしてほしいと言っていた。けど、それは俺をこのいじめに巻き込まないためで、助けてほしくないわけではない。

もし本当に助けてほしくないだけだったら、あのトイレの中で「たすけて」なんて呟いたりはしない。


余計なお世話でも、どんなに偽っても、助けてほしい人間は助けてほしいんだ。


「はーい!!そこまで!!もうカレーできたから、ご飯を盛ってー!!」


母さんの声と共に俺と妹の動きはピタリと止まった。そして、俺と妹はすっと立ち上がると、キッチンの方へと歩みを進めた。

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