第5話 過去を変えるべきではないのか

俺はクラスの帰りの会に出ることなく、小学校の空き教室で成瀬と共に使われなくなった椅子にそれぞれ座っていた。

俺はあの後、成瀬を保健室に連れて行こうとしたが、断られたので共に空き教室で成瀬の服が乾くまで待つことにしたのだ。


そして、空き教室に入ってから15分、成瀬はずっと俯いたまま何も話さずにいた。

俺も成瀬になんて声をかけて良いのか、そもそも声をかけるべきなのか、わからない。

そんな沈黙の状態が続く中、遠くからは楽し気に騒ぎながら階段を降りていく声が聞こえてくる。


俺はなんでこいつに対するいじめに気が付いてあげられなかったんだろうか。

確かにこいつは生意気で、暴力的で、理不尽な性格をしているけど。

それら全てに悪意を持っているわけじゃない。

それにこいつの理不尽な性格は今日見ている限りでは俺以外のクラスメイトや先生への態度も悪くはない。

今はまだ今日だけだが、こいつに非はないはずなのだ。


俺がそんなことを考えていると、成瀬がこの沈黙の空間を破った。


「ごめんね、八輪。関係ないのに巻き込んじゃって」


「い、いや俺は………………」


俺は、の後の言葉が出なかった。

こいつに、成瀬に俺は何を言ってあげられる。

俺は成瀬より8年も生きてんだ。何かこいつのためになれることは言ってやれるはずだ。


「俺は………………」


俺がここまで言ったのを遮るように成瀬が口を開いた。


「八輪はここで何も見なかった」


「え?」


「八輪は今日、私の下着も見てないし、私とこの空き教室にもいなかった。明日から普通に何も考えず、いつも通り学校に通うこと。そうじゃないと私が、さ」


と、成瀬はここまで言うと俺の腕を掴んだ。

成瀬の手は氷のように冷たく、震えている。

そして、俺を軽々と空き教室のドアの傍まで引っ張っていくと、涙ぐんだ目で俺を見て。


「辛くなっちゃうから」


と言うと、空き教室のドアを開け、俺だけを外に引っ張り出した。

そして、尻もちを着いた俺は成瀬を見上げると、成瀬の頬には涙が伝っていた。


「………………じゃあ、また明日ね」


成瀬はそう言うと、空き教室のドアを閉め、がちゃりと教室の内側から閉めるカギをかけた。

俺はただドアを茫然と閉められたドアを眺めることしかできなかった。

成瀬は俺の助けなんて必要としていないのかもしれない。

むしろ成瀬自身が言っていたように、巻き込んでしまったことを後悔していたのだろう。


だが、あの一言は?

俺がトイレで聞いたあの「たす、けて」という言葉は成瀬の心から叫びじゃないのか?

本当は助けてほしいんじゃないのか?


俺は今までの人生でいじめの現場に遭遇したことはない。

だから、その時のそうすれば良いのかなんてわかりはしない。

何が成瀬より8年も生きているだ。

そんな8年なんてここでは何の役にも立てないじゃないか。


俺はそう思うと同時に立ち上がり、その空き教室の前から背を向け、学校の外へと出て行った。


そう。俺にできることなんて何一つもない。

できることがないならそれでいいんじゃないだろうか。

俺は俺の彼女を殺されて、死に際で過去に戻って来た。また彼女と出会い、殺人女から彼女を護るためには元の歴史を辿るしかない。

そして、元の歴史で俺は成瀬へのいじめの現場に出くわした経験はなかった。だが、成瀬の口ぶりから成瀬へのいじめを俺は知らなかっただけなのだ。


だからこそ、元の歴史に戻るためには俺は成瀬の言葉の通りに、成瀬のいじめの現場を俺が見なかったことにしてしまえば、歴史は正常に戻るはずだ。


そう。それで良い。俺には最愛の彼女がいる。彼女さえいれば他の人間がどうなろうとどうだっていい。

俺は本当に最低だ。だけど、仕方がないことだ、と俺は自分に言い聞かせた。

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