(10)

 辺りはすっかり暗くなり、涼しい風が吹き始めていた。清太は庭に出ていたが、客間からはまだ父たちの声が聞こえてくる。少し前に、晴代と真羽も車でやって来て、安那もそれに加わり、話は相当に盛り上がっているようだ。


「星が、綺麗ね」


 隣に立った結羽が夜空を見上げて呟いた。甲府盆地の夜景とは逆に山側の空を望むと、真っ暗な背景に輝く星の姿が数えきれないほど見える。辺りに人家が少ないこともあるのだろうが、普段、夜空など見上げることなどない清太にとっても、その輝きは本当に美しく感じられた。


「一つだけ気になってることがあるんだけど」


「何?」


「あの猫のこと。三毛猫と、白猫」


 隣にいる結羽は夜空を見上げながらそう言った。清太が彼女の方に顔を向けると、結羽もゆっくりとこちらを向いた。


「信じてもらえないかもしれないけどね」


「うん」


「私が拉致された時に位置情報を清太に発信できたのは、三毛猫のおかげなの」


「えっ――」


「私があの男たちに連れ去られる時、三毛猫と白猫が彼らに飛びかかってくれた。それだけじゃなくて、あの三毛猫は、私のスマホを持って、私が拉致されたあの車にいつの間にか乗り込んでいたの。そして、その車の中で、私のスマホを持って画面を向けてきた。偶然かもしれないけど、それは位置情報を送信する画面でね。……しかもあの子は、清太が来てくれる前に、あの男が私に手出ししようとしたとき、必死になってあの男に飛び掛かってくれた。だから、私の本当の恩人は、清太はもちろんだけど、三毛猫と白猫もそうなのかも」


 彼女は真っすぐにこちらを見ていた。彼女の表情は至って真面目だ。それに、その三毛猫が大村に飛び掛かっていたのは清太も目撃している。それを見てゆっくりと頷く。


「実は俺も、その三毛猫と白猫に助けられたのかもしれない」


「清太も?」


「俺は、三毛猫が気を引いてくれたおかげであの大村って奴に勝つことができた。それに、白猫も……」


 そう言いかけて、清太は口をつぐんだ。結羽が不思議そうにこちらを向く。それに、黙って頷いてから、大きく深呼吸した。


「信じられないかもしれないんだけどさ。結羽が拉致されたことを、白猫から教えてもらったんだ」


「ええっ!」


「あの猫から、声が聞こえたような気がしたんだ。『結羽を助けて』って。そして、結羽の家で、男たちが結羽を連れていく様子も、頭の中にはっきりと見えた。まるで、目の前で起こっているかのように」


 清太はそう言いながら夜空を見上げた。自分で言いながら、それはおかしな話だと思った。しかし、それは事実だ。あの声が聞こえたおかげで、そして結羽が拉致されたようなあの様子が見えたおかげで、清太はすぐに動くことができたのだ。隣にいる結羽がどう思おうとも、清太はもう気にならなかった。


「実はさ。少し前に、白猫が出てくるすごい怖い夢を見た気がするんだ」


「夢を?」


「ああ。すごい怖かったってことしかもう覚えていないんだけどさ。だけど、今にして思うと、その夢も、白猫も、結羽のことを助けるためだったのかもしれない」


 そう言って結羽の方に顔を向けた。すると彼女も真っすぐにこちらを見つめた。


「ごめん。俺、何言ってるんだろうな。もうこの話は忘れて」


 そう言うと、結羽が呟いた。


「清太……」


「何?」


「私も、少し前に、すごく怖い夢を見たの」


 そう聞いて息を呑んだ。


「どんな夢?」


「私がね……死んでしまう夢」


 結羽は真面目な顔つきでそう言った。暗闇の中で見える彼女の顔が白く輝くような感じがする。唖然とした清太の前で、結羽は静かに続ける。


「私、たぶん清太になってたの」


「俺に……?」


「うん。だけど、もっと大人になった清太だと思う。その清太になって、お墓参りに行くの。そこで墓誌を見ると、自分の名前が書いてある。しかもそれは今年の夏の日付だった。すると、後ろからお母さんがやって来るの。やせ細ったお母さんに連れられて、ウチに来て、そこでお母さんが私からの遺書を渡した」


 清太はハッとしたが、結羽は夜空を見上げて話を続ける。


「その遺書をきっかけに、清太は昔のことを思い出すの。私のお父さんは横領の犯人になる、清太のお父さんは私のお父さんに酷い怪我をさせられてずっと後遺症が残る、そして、私のお母さんは……」


 そこまで言って、結羽は口をつぐんだ。そして、ふと清太の家の方に顔を向けた。開け放った窓から、清太と結羽の家族たちと武田理事長が楽しそうに話をしている姿が見える。結羽はじっと黙ってその方を見つめていたが、清太はたまらなくなって口を開いた。


「その話って……まるでこの事件みたいじゃないか」


「そう……予知夢みたいな」


 清太の方を向きながらそう呟いた結羽は、少しだけ黙ってから静かに口を開いた。


「それでね。その夢に、白猫が出てきた気がするの」


「えっ?!」


「はっきりと覚えている訳じゃないんだけど、何度か白猫の姿を見かけた気がするの……。それでね。私、清太の話を聞いて思ったことがあるんだけど」


「何?」


「もしかして……清太の見た夢って、私と同じ夢だったんじゃないかって。だから、清太は、私の方を向いてくれたんじゃないか。そんな未来を迎えたくないから、って」


 清太はそれを聞いて絶句した。確かに、自分が見た夢の事は全く思い出せないが、結羽に言われるとなぜかそんな気がしてきた。しかし、慌てて首を振る。


「い、いや……でも俺は、もしそんな夢を見たとしても、夢のせいじゃなくて、本当に結羽のことを……」


「分かってる」


 結羽は少しだけ笑いながらそう言って話を遮ると、再び空を見上げた。


「私が言いたかったのはそういう事じゃないの。その夢の中で、清太は私のことをずっと好きでいてくれた。私の遺書を読んで、昔のことを思い出して、死んでしまった私の想いに応えられなかったことを泣いてくれた。その事が、夢だとしても、私、嬉しかった。だから私も、もっと清太に素直になろうと思ったの。私は清太のことが好き。そして、クラスの雰囲気にも負けない。絶対に、こんな夢のような結末は迎えないって」


「結羽――」


 彼女が見上げる空には雲が少なくなり、月と、星の輝きが増していた。その月の明かりに照らされて、結羽の顔がさらに白く輝いている。すると、彼女はハッとしたように清太の方を向いた。


「おかしいよね。こんなのただの夢の話よ。……だけど、私、思うの。もし、私が清太と付き合っていなかったら。あの松上って男が捕まらなかったら。そして清太が私の拉致に気づかなかったら。いいえ、たとえ清太が私のことを好きでいてくれたとしても、お父さんが犯人扱いをされて、私自身もあの男に乱暴されたとしたら、私は、そして家族はどうなっただろう、って」


「それは……そんなことは分からないよ」


 すると結羽はゆっくりと頷いた。


「そう。そんな事を考えても仕方ないことは分かってる。だけど、まるで予知夢みたいなその夢と、あの猫たちのおかげで、私も、お父さんも、清太のお父さんも救われたような気がするの……」


 結羽は静かにそう言ってから再び空を見上げて黙り込んだ。確かに、結羽の言う通りなのかもしれない。だが、自分たちが今ここで無事に存在していることだけは確かだ。それを確かめるように、そっと結羽の手を握ると、結羽はこちらを振り向いた。そして、静かに笑って言う。


「あの猫たち、きっと元気にしてるよね」


「うん」


 そう頷くと、結羽は再び空を見上げた。清太も同じように空を見上げると、そこには無数の星が優しい輝きを放っていた。

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