(9)

 その一連の事件は、当日夜のニュースで速報として早速伝えられた。


 初めはまだ全容が分からないまま、単なる未成年者誘拐事件という話で進んでいた。それだけでも十分にニュースソースにはなったのだが、農家組合の資金の横領、上司の脅迫、理事への傷害、拳銃の所持・発砲と、やがてその事件の全貌が徐々に明らかになっていくと、事件の少ない地方ニュースを独占しただけでなく、当面の間は全国ニュースやワイドショーでも、連日大きく報道されることになった。


 警察の事情聴取や現場検証は、事件翌日である連休初日から早速始まった。朝から清太の自宅にも警察がやってきて、当時の行動を聴取された後、あの河川敷に警察の車両で連れて行かれ、現場検証に付き合わされた。さらにその後、県警本部に連れて行かれ、最近の結羽との関係についても詳細に尋ねられていく。事件の全容解明に必要とはいえ、知らない大人に彼女との関係を正直に話していると、さすがに恥ずかしくなってきた。


 結局、その日、県警から解放されたのは、夕方近くになっていた。正面玄関を出て、駐車場まで迎えに来ると言っていた母の車を探そうとした時、1台の車の周りが数人に取り囲まれているのに気付いた。それにドキッとして立ち止まると、その囲んでいた一人がこちらに駆け寄ってきた。すると他の人間もそれを追って近づいてくる。


「すみません。斎木清太さんですよね?」


 カメラを肩から掛けたショートカットの女性がこちらに笑顔を向けた。


「い、いえ……違います」


「隠さなくてもいいですよ。やっぱりカッコイイですね。昨日の事件の様子をちょっと聞きたいだけなんです。顔は映しませんから。犯人に立ち向かう時の気分はどうだったんですか。彼女を助けたいっていう一心だったんですか」


「それにしても、どうやって彼女の居場所を突き止めたんですか」


「彼女に今、伝えたいことは何ですか」


 清太の周りを囲んだ人間たちが次々と質問するのに、「すみません」と頭を下げて早足に母の車に向かう。そして、そのまま逃げるようにその助手席に乗り込んだ。母も車に乗り込んで窓を開けると、清太を追ってきた人たちに頭を下げる。


「すみませんねえ。もう帰りますので」


 そう言って彼女はゆっくりと車を発車させた。大通りに出たところで、清太は大きくため息をつく。


「何よ。ため息なんかついて。ちゃんと話してあげればいいのに」


「いや、ああいうのはちょっと……。それより母さんも何か聞かれた?」


「ええと……。お前がいつから結羽ちゃんと付き合っていたか、とか」


「なっ?! それで、何て答えた?」


「私、言ってやったわよ。子供とはいえ、もう高校生ですから、お付き合いしている相手の事までいちいち詮索しておりません。ただ、結羽ちゃんを助けた息子の事は誇りに思います、ってね」


 唖然としたまま母の顔を見ると、彼女はフフっと笑う。


「でも、あんた達がそういう関係だったってことは、本当に全く知らなかったけどね」


 母の声を聞きながら、もう一度大きくため息をついて窓の外を見た。空には青空が広がり、夕方に近いとは言え、まだ強い日差しが差し込んでいる。昨日の夕立がまるで嘘のようだが、清太にとっては、まだ昨日の事件そのものも嘘のように感じられた。


 父の清勝は、昨日の事件の後、すぐに県立病院に運ばれて診察を受けたが、スタンガンを当てられたショックで転んだくらいで、ほとんど外傷は見られなかったので、その日のうちに帰宅した。それでも傷害事件の被害者には違いないので、父の事情聴取は、朝方に清太が立ち会った自宅での現場検証の後にそのまま行われていたらしい。


「そう言えば、午後から智治さんが結羽ちゃんと一緒にウチに来てるよ」


「えっ?! どうして?」


「だって、どうせ警察がみんなを事情聴取するなら、一緒に対応した方がいいでしょう? それぞれ関係する事件なんだし。それに何より、智治さんと結羽ちゃんの強い希望よ」


「希望?」


「大恩人である斎木清太に、ちゃんとお礼を言いたいってね」



*****



 自宅の周りにもマスコミ風の人間が待っていたが、まだ現場検証で残っていた警察が帰る所だったのと、母が丁寧に「改めてお答えしますから、今日はお引き取りください」と説明したこともあって、彼らも次々にそこから立ち去っていった。


 玄関を入って「ただいま」と声をかけて靴を脱ごうとすると、客間のドアが開いた。


「清太くん——」


 智治と、その後ろから結羽がそこから現れた。そして二人とも玄関先に正座して深く頭を下げる。


「本当にありがとう」


「い、いや……やめてください」


 余りに丁寧な対応に清太も思わず頭を深く下げる。すると、後ろから父が顔を出した。


「そのくらいにしておけよ。さあ、こっちに戻れ」


 父が智治の腕を引くので、彼は立ち上がって客間に戻っていく。残された結羽はまだこちらを見ていたが、清太が「行こう」と声を掛けると、頷いて立ち上がった。


 客間に入ると、そこにもう一人、知った顔の人間が座っていた。


「おお。ようやくヒーローの登場だな。お疲れ様」


 武田理事長は座布団に座ったまま、こちらに笑顔を向けた。見ると、テーブルの上には寿司桶が置かれ、その他にも母が作ったと思われる煮物や揚げ物など、様々な料理が置かれている。まるで正月かお盆に親族が集まった時のような感じだ。皆がそれぞれ座っていた自分の席に戻っていく。


 母が後ろから入ってきて、「早く座りなさい」と促した。空いている席は結羽の隣しかなく、ややドキドキしながら彼女の隣に座る。母は清太の前にペットボトルのお茶を置いて、その隣に座った。すると父が楽しそうに尋ねてきた。


「どうだ? 警察には相当絞られたんじゃないか」


「まあ……俺が一人であの河川敷に行った事には、相当チクチク言われたけど」


「ハハハ。それがあったからヒーローなんじゃないか」


 武田理事長が笑いながら言った。だからこそ、マスコミに追われるような状況になってしまっているのだろうが、警察からすれば犯人のいる危険な場所に、自分達よりも高校生の子供に先に行かれてしまったことが面白くないらしい。「何かあったらどうするつもりだったんだ」と、まるで容疑者扱いのような勢いでまくし立てる刑事もいた。ただ、警察でも、結羽と清太自身のスマホの二つのGPSが同一の場所を示していたことで、事件発生の事実把握とその解決を早めたことは確かだろう。 


「しかし、本当に清太くんが行ってくれたおかけだよ。ありがとう」


 智治がもう一度頭を下げると、隣にいる結羽も頭を下げた。それに「いえ」と応えて、もう一度頭を下げる。


 昨日、結羽は警察に保護されてから念のため県立病院で検査を受けたが、腕と足をきつく縛られた跡が残っていた他には、何も異常は無かった。彼女が拉致されてから保護されるまでの経緯については、女性警察官が彼女から事情聴取したらしいのだが、保護された時に彼女が「大丈夫」と言った通り、何をされた訳でもなかった。ただ、彼女を監禁していた大村という男は、以前にも女性に乱暴して逮捕歴のある男だったようで、危ない所だったことだけは確かだ。


 彼女は昨日、帰宅してすぐに、真犯人である松上という男と大村にスタンガンを当てられて、彼らの車に乗せられた。そして縛り上げられ、松上にスマホでその写真を撮られたそうだ。松上は、自首をほのめかして智治を呼び出し、その結羽の写真で智治を脅迫する。結羽を助けたいなら、組合の金を横領したのは智治の指示だったことにしようとしたのだ。


「松上の事は、半年以上前から疑っていました」


 智治が語り出す。


「アイツの両親は建設業者でしたが、数年前の談合事件をきっかけに会社は倒産し、辛うじて自宅だけは残ったものの、両親は無一文になったはずでした。しかし、いくらアイツ自身には影響が無かったとは言え、まだ若いのに、車や服などで見るからに高そうなものばかり持っているのはおかしいと思ったんです」


「私も、組合の取り扱いの中で、事務所外での顧客のお金の受け取り方法に問題があると思っていたところに、望月くんからそういう話を聞いたので、二人だけで調べてみようということにしたんだ。望月くんにはこの半年くらい、休日も返上して何度も顧客に足を運び、調査をしてもらって、本当に申し訳無かった」


 理事長もそう言って智治に頭を下げる。それに対して、智治も慌てて頭を下げた。


「いえ。理事長には専務の方の動きを監視してもらっていたので、却って大変だったと思います」


 内田という専務とは、清太自身は面識が無く、午前中の父の事情聴取の時に初めてその名を知った。彼は智治がなる前の金融部長で、顧客からの資金の横領は彼が金融部長時代から始まったらしい。当初はそれを手伝わされていた松上だったが、次第に悪知恵を働かせてもっと多額の資金の横領を始めるようになり、内田の言う事を聞かなくなってきた。そこで、いよいよ横領の事実がバレそうになった気配を感じて、内田は松上と共謀して、智治を犯人に仕立てようとした。そして、松上は内田と大村にも横領金から相当の資金を渡した上で、自分は残りの多額の資金を持って逃亡し、密かに整形手術を行って別人として生きていく計画だったようだ。


「それにしても、昨日の理事会で内田に先を越された時はやられたと思った。彼らは、自分達がやった手口の証拠をいくらでも出せる。しかし我々にはまだほとんど証拠が無い。しかも当の望月くんもいない。それで、理事会は望月くんを犯人として警察に告発することになってしまった」


 理事長が悔しそうに言うと、父がコップを口にして頷く。どうやら焼酎の水割りのようで、その顔がほんのり赤くなっている。


「俺は内田の言うことなんか信じませんよ。アイツは昔から組合の金儲けのことしか考えずに、農家に厳しかった。頑張る気があって、もう少し金があれば生き残れる農家でも、平気で潰してきた。だから俺は、智治に直接話を聞こうと思ったんです」


「しかしまさか、松上が奴の両親の事で清勝を逆恨みしているとは思わなかった」


「ああ。本当に危ない所だったな」


 父は智治に答えながらその時のことを思い出したようで、真面目な顔つきをした。


「まったく、斎木さんの電話が切られた時は、正直なところもう駄目かと思った。私が電話を切るなと言っていたばっかりに、斎木さんに何かあったらどうしようかと」


「いえ。でも、助かったのは、ウチの家内がいてくれたおかげです」 


 父は「ありがとう」と母の方に頭を下げた。


「やめてくださいよ。私がたまたま家にいて、外から何か声が聞こえたから玄関を開けただけよ。そうしたら、庭にあなたが倒れていて、あの男が銃みたいなものを持っていたから、びっくりして思わず叫んじゃって」


「でも、そのおかげでアイツは逃げて俺は助かったんだ。それにしてもお前、まだ家に帰るには少し早い時間だったんじゃないか?」


「そうなんですけど、その少し前に清太から電話があってね。結羽ちゃんが誘拐されたかもしれない、って言うから、びっくりして。それで、晴代さんのスマホにすぐに電話したけど、繋がらないじゃない。固定電話に掛けようとしたけどスマホに登録していなかったから、一度ウチに帰ってから調べてから晴代さんのウチの電話に掛けたのよ。そしたら、車庫の中のスコップとかが散らかってるし、教科書や図書館の本も散らばっているのにバイクも無くて、晴代さんも何かおかしいって、すぐに警察に連絡してくれたらしいわ」


 母が答えると、皆が一斉に清太の方を向いた。慌てて頭をかく。


「いや……あの、結羽から急に位置情報の共有が来て、何て言うか……悪い予感がしたからです。それで、とにかく結羽のことが心配になって」


「そりゃ、まるで超能力じゃないか。さすがヒーローは違う」


 ハハハと理事長が大声で笑った。彼もやや酒が入っているようだが、それにつられて父も笑った。


「でも、結羽ちゃんも自分のスマホからうまく連絡できたものよね」


 母が言うと、結羽は少し頷いてから答えた。


「そうですね。どうやらあの男たちは、たまたま母が庭に落としていたスマホを私のだと勘違いしていたみたいです。それで何とか位置情報の共有ができたんです」 


 そう言って彼女はこちらに軽く頷いたので、慌てて同じように頷く。


「なるほど。そういうことか。アイツらも、まさか結羽ちゃんの本物のスマホで場所がバレているとも知らずになあ」


 ハハハと理事長は再び大声で笑う。すると、智治がそれに続けた。


「しかし、大村というのは前科者だそうですし、本当に危ない所だったと思います。清太くんにもナイフを向けて飛び掛かってきたんだよな」


 その事を思い出すと今でも身震いする。必死ではあったが、あの時、うまく面が決まらなかったら、ナイフで刺されていたかもしれない。間一髪であったことは確かだ。


「まあ、それが愛の力ってやつじゃないか?」


 父はそう言ってニヤッとすると、理事長も笑って続けた。


「全く、若者が羨ましいよ。……それはそうと、望月くん。今年の花火大会に、娘さんは一緒に来てくれるかな?」


「そうですね……。しかし、俺にはかなり良い有料席のチケットがありますからね」


 智治が結羽の方に顔を向けながらそう答えると、父がハハハと笑った。


「何だ、智治。チケットで釣るとは姑息な手段だな。それなら俺にも考えがあるぞ」


 そう言って父はポケットから財布を取り出した。そして、その中からカラー刷りされた紙きれを取り出して、テーブルに置いた。それを見て、理事長も「ほう」と驚いた顔をした。


「これで条件は同じだろ。どっちに行くかは、結羽ちゃんに選んでもらうことにしよう」


 テーブルに置かれたその紙きれにハッとする。そこには「市山の花火20XX 特別ペアシートチケット」と書かれていた。

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