4 新しい世界
(1)
望月智治は、農家組合本店の裏口の喫煙所から自分の席に戻って、自分のパソコンの画面を見つめていた。
(どういうことだ……)
先ほど、内田専務は「臨時理事会を開く」と言っていた。通常は理事会には部長級以上の人間は同席することになっている。これまでも臨時理事会を開くことはあったが、それは理事が重い病気や死亡などで急に交替したりする必要があった時だけだ。昨年、6月の理事会では、斎木清勝をはじめ何人かの理事が選任されたが、任期の2年も経っていない中で、現在の理事にそうした急な変更を行わねばならない理由は何も見当たらない。
社内システムから職員の予定表を確認する。今日、理事長は夕方近くまで外部の会議で不在だ。ちょうど戻ってきたところで理事会に出ることになるのだろう。ふと、顔を上げて部内の職員を見回す。営業部隊はほとんど姿が見えない。その他の職員もパソコンや書類を見ながら業務をしている。普段と何も変わらない職場の光景だ。智治もしばらくパソコンに向かっていたが、思い直して立ち上がり、裏手にある通用口を出た。
いつもの喫煙所ではなく、本店の敷地の端の方にある倉庫の方に歩いていく。その辺りは普段は誰もいない。ポケットからスマホを取り出して、通話履歴からその相手を探して発信した。
『おう。どうした?』
「悪い。今、電話大丈夫か、清勝」
いいぞ、と相手が答える。
「今日なんだが、夕方に臨時理事会を開くと聞いたんだが」
『ああ、専務から連絡があったぞ。内容は言えないと言われたが、何か経営上の重大な問題だと言ってたな。どういう事なんだ?』
「いや……俺もさっき聞いたばかりで、内容も全然分からないんだ。部長も入れないらしいから」
『何だろうな。こういうのは、どうも悪い話のような気がするがな。ほら、何だったか……ああ、そうだ。ハラスメントってやつだ。いつか理事長が言ってただろ? 今時、そういうことは許されないって』
確かに、職員のハラスメントは、今の理事長になってから特に厳しく処罰されている。実際、降格や減給になった職員もいる。ただ、そういう話ならば、今日急いで対応しなくても、来週火曜日には定例理事会があるのだから、その時に報告すれば良いはずだ。
『まあ、終わったらお前にも伝えるよ』
智治が「分かった」と答えると、電話は切れた。
事務室に戻る前に、智治は喫煙所のベンチに座ってタバコを取り出した。火を付けて煙を吸い込んで、それをゆっくりと吐き出しながら考える。
(やはり、気づかれたのか——)
専務の言い方からすると、おそらく自分があの男を調べていることに彼は気づいたのだ。だからと言って、臨時理事会まで開いて何を伝えようと思っているのだろうか。まさか、あの男の悪事を暴くことを積極的に行うとは思えない。それはすなわち、自分の身にも災いが降りかかってくることになる。専務とあの男は同じ穴のムジナなのだ。
これまでの半年間、必死に顧客のデータを当たり、土日を使って何人もの顧客に会い、そして空振りを続けた。露骨に嫌な顔をされる顧客にも何度となく足を運び、顧客のための調査であることを語り続けた。そうしてようやく最近、何人からの顧客から重要な証言を引き出すことができたのだ。
あの男は、高いリターンを狙える金融商品の販売を装って、顧客から資金を集めていた。それは特別な商品だから誰かに話したことが分かれば自動的に解約扱いにすると言って、誰にも言わないように口止めするのだ。初めは少額を預かり、それに対して1月後に高い配当金を出す。喜んだ顧客は、さらに資金を追加する。次の配当は1年後と言って、その間に別の顧客を勧誘するのだ。しかし、おそらくこれは氷山の一角で、他にもまだ分からない手口があるのだと思う。
智治が金融部長になったのは去年の6月からだが、それ以前は内田専務がその職にいた。専務はおそらく金融部長の時代から、あの男と結託して顧客の資金の横領を続けていたのだ。
******
ちょうど昼近くなった頃だった。智治のスマホに着信があった。相手を確認してハッとしたが、「ちょっと待ってくれ」と答えてから、急いで通用口から外に出た。
「いいぞ。どうした?」
『部長。折り入ってお話があるんですが』
「何だ、一体」
『警察に行こうと思うんです』
彼の声を聞いて息を呑んだ。
「どういうことだ?」
『自首です。横領の』
言葉を失った。彼が自首する。黙っていると、向こうから声が聞こえてきた。
『部長は、俺の事を調べていたんでしょう? だから一緒に行って欲しいんです』
「お前……本気か」
『本気です。それでお願いがあるんです。実は、俺が持っていた横領関係の重要な資料は内田専務に握られているんです。だから、上手く説明できるか分からないので、部長が調べた資料も持ってきてもらえませんか。俺も家に残っている資料を探して、午後2時までにまた連絡しますから、それまでに準備してほしいんです』
分かった、と言って電話を切る。スマホを持っていた手にはじっとりと汗をかいていた。
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