〈6日目/裏〉

 白猫は三毛猫の背中に乗らせてもらい、天井に手を伸ばしていた。そこには車内灯のスイッチがある。それを付けようとしていたが、なかなかうまくいかない。何度か背中から落ちながらも、ようやく手がそのスイッチに触れた。車内に薄暗い明かりが灯る。


「ようやくできたわ。ごめん、時間かかって」


「大丈夫だよ……あっ、そうか。それよりも、ヒューズがあるかな」


 三毛猫は運転席の下に潜り込み、手でアクセル近くの辺りを叩いたり引っ張ったりしていたが、そこから器用に何かの小さな部品を引き抜いていく。すると、先ほどまでついていた車内の明かりも突然消えた。


「これで電気が流れなくなるから、車も動かなくなると思う。この車が動かないとなれば、逃げるとしても組合の車か自分の車になるだろうから、すぐに見つけられるよ。本当はボンネットが開けられればバッテリーを外せるから確実だろうけど、この体じゃ無理だな」


 三毛猫はようやく一息ついた感じで運転席に座った。


「よく知ってるわね」


「車持ってるし。結構、こういうの好きなんだ」


 三毛猫は得意げにそう言うと、運転席に座った。白猫も助手席に移動してそこに座り、ふと横を見る。


「何だか変な感じ。清太とドライブしてるみたい」


「ああ……確かに」


 何か可笑しくなってしまい、白猫はフフっと笑った。


「車って、結構使ってるの?」


「うん。会社に行く時は自転車か歩きだから、休日だけかな。でも運転は好きだよ。今乗っているのは会社のボーナスを頭金にしてローンで買った中古車だけど、結構快調に走るし」


「楽しそうね。それで、仕事って、忙しいの?」


「そうでもないよ。会社っていっても、研究所みたいなところだから。だけど、大学院まで行ったから、まだ就職2年目の若手社員扱いでさ。人数も多くないから、何かと雑用が多いかなあ」


「そうなの――」


 思わず、清太の働いている姿を想像する。彼は真面目で頭も良いから、きっと何でも頼まれてしまうのだろう。


「大学って、楽しかった?」


「そうだな……。まあ、バイトも結構やって授業もサボったりして、勉強はそこまでしなかったかな。友達とは結構楽しく遊んだけど」


「何それ。めっちゃ楽しんでるじゃない」


 咎めるように言ってから、フフっと笑うと、三毛猫も恥ずかしそうに俯いた。そして、しばらく会話が途切れてから、白猫は呟くように言った。


「どうだったの? 彼女とかは」


「えっ――」


「清太だったら、誰かと付き合うくらいはしたんでしょう? 怒らないから、正直に教えてよ」


 三毛猫の方を真っすぐに見つめる。彼もこちらを見つめていた。


「いや……誰とも付き合ってはいないよ」


「本当?」


 そう尋ねると彼はこちらを見つめて大きく頷いた。その姿を見て、本当のことを言っているのだと実感する。「どうして?」と尋ねようと思って、その言葉を飲み込んだ。その答えは既に分かっているのだ。白猫は車の前方の窓の方を向いてから言った。


「誰かと一緒にいた方がいいよ」


「えっ?」


「私ね。清太と一緒にいる時間が一番楽しかった。どんなにクラスの中で冷たくされても、清太と話をする、いや顔を見て視線が合うだけでも嬉しかった。だから、私と同じように、清太に一緒にいて欲しいって思う人は絶対にいると思う。私は、清太にはそういう人と一緒にいてほしい」


「結羽――」


「うん、絶対、それがいい」


 白猫は窓ガラスの方を見たまま、自分に言い聞かせるように明るく言った。そうだ。自分はもう死んでいる存在なのだ。生きている清太の事をとやかく言う筋合いはない。だから、清太が自分のために、誰かの想いに応えられないというのはおかしな話だ。それは分かってはいるが、心のどこかでそれを否定する自分もいる。そのモヤモヤした気持ちを振り払うように、白猫は「そうそう」と明るく言って三毛猫の方を向いた。


「全然違う話なんだけどね。私、秘密にしていた夢があったの。玲ちゃんにしか話していなかったと思うんだけど」


「夢?」


「そう。私ね。アナウンサーになりたかったの」


「ええっ!」


 明らかに意外だと言わんばかりに三毛猫は目を丸くした。それを見て可笑しくなってフフっと笑う。


「意外だったでしょう? 私みたいな静かなタイプの人間が、アナウンサーになりたい、だなんて」


「いや……まあ、そうかも」


「テレビみたいな華やかな場所じゃなくてもいいの。ラジオでも、ケーブルテレビでも良かった。私みたいにクラスから無視されるような経験をした人間でも、いつか立ち直って、そういう職業に就ける。そして、その事を話してあげることで、同じような経験で苦しんでいる誰かの励みになればいいと思った」


 話しながら、前方の窓ガラスの方を向く。車内は真っ暗なはずだが、猫の視界の中で月明かりがはっきりと見えていて、まだ薄暗く感じる程度だ。隣から三毛猫の視線を感じたが、そちらは振り向かずに続けていく。


「ううん。別にそういう発信できる立場になって、クラスメイトに復讐しようだなんて、全然思ってはいなかったの。たぶん、美弥ちゃんも、彩菜も、その他の女子も男子も、どうして私に冷たくしているのか分からなかったんじゃないかな。だって、美弥ちゃんだって、清太と付き合おうが振られようが、清太が私と付き合っている訳でも無かったんだから、私に嫉妬なんかする必要は全然無かったはず。だけど、私がクラスの中でも少し勉強ができること、私が清太と仲良く話していること、その間に割って入ることができないことみたいな、何かそういう小さな嫉妬が積み重なってきた。そして、清太と別のクラスになった瞬間、その気持ちを抑えていた蓋が一気に無くなって爆発したんじゃないかな。それが、たまたまクラスの中心にいた美弥ちゃんだったから、クラス全体にその雰囲気が蔓延しただけなんだと思う」


 自分でそう言ってみると、それが改めて真実であるような気がした。美弥とも、彩菜とも、誰とでも1年生の頃は同じように普通に話ができていた。だからきっと、それはちょっとしたきっかけだ。逆に、自分ではない誰かが皆からそういう冷たい態度を取られていたら、その中で私はそれに従わずにいられるのかと思うと、正直自信がない。たぶん、それが普通の人間の弱さだ。


 しかし、そういう状況はずっと続く訳ではない。いつの日か、その見知らぬウイルスに侵された雰囲気は消え去り、何もなかったかのような日常に戻る。そう信じていた。そして、それまでは清太を頼れば良い。彼だけは絶対に結羽を見捨てることはしない。そう確信していたから。だから、もし本当に自分が死んだのだとしたら、その理由は、きっとクラスメイトのせいだけではないはずだ。


「結羽……何だか、凄いね」


 静かに三毛猫が言った。白猫はハッとして彼の方に顔を向ける。


「俺なんか、別に将来の夢なんて何も無かった。結羽が死んでしまってから、君を救えなかったことだけを後悔し続け、そして、美弥も、賢斗も、いや1組の全ての奴らをずっと恨んできた。そんなことをしても何もならない、それが違うということは自分でも分かっている。だけど、どうしようも無かったんだ」


 そう言って彼は俯いてしまった。それを見て白猫は腰を上げると、運転席にいる三毛猫の隣に座り直した。彼が体をビクッとさせる。


「バカ! しっかりしなさいよ」


 隣で急に大声を出したので、再び彼が体をビクッとしてこちらに顔を向けた。


「明日、事件が起こることは分かっているのよ。私たちなら、絶対にそれを止められる。いいえ。仮に事件が起こったとしても、少なくとも、誰も傷つけないようにすればいいの」


「結羽――」


「そうすれば、私が死ぬことも、お父さんが冤罪でいることも、清太のお父さんが大怪我をすることもない。……うん。大丈夫、きっとできるわ」


「そう……だよな」


「そうよ。……あっ、そうだ! そんな事より、私、楽しみにしていることがあるの」


「楽しみ?」


「そう。だって、もう少しすれば、市山の花火大会よ。私たち、猫の姿でしょう? そうしたら、川沿いの一番近い所でも自由に行けるのよ。ねえ、そうじゃない?」


「そ……それは、そうだけど……」


「一度、立ち入り禁止区域になっている打ち上げ場所の近くで見たかったのよね。それに、清太と二人だけで花火大会に行けるなんて、本当に楽しみ」


 そう言って清太の方に笑いかけると、彼は恥ずかしそうに窓の外の方を向いて頷いた。


「フフッ……ありがとう」


 そう言って、彼の胸元に顔を擦り付ける。柔らかな体毛の向こうから、彼の心臓の音が聞こえて来るような気がした。

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