〈6日目/表〉

 翌日になり、三毛猫の清太と白猫は組合本店にやって来た。どこでどう動けば良いのか分からなかったが、やはり智治と、そしてあの松上という男の動きを見るしかないとの考えからだった。


 正面入口から中の様子を見ていると、松上が自分の席に座っているのが見えた。そしてしばらくすると、立ち上がり、鞄を持ってどこかに出かけていく。


(普段通りか)


 明日には事件が起こる。そのために、何かその準備をするのではないかとも思ったが、どうやら違うらしい。確かに、普段どおりに行動している方が、自分に疑いがかかる可能性も少ないのかもしれない。それに、事前に何か準備が必要であれば、白猫が目撃した共犯と思われる男も手伝えるのだ。


(せめて横領事件だけなら……)


 初めはそう思っていた。横領事件も傷害事件も、智治はきっと無実で、誰か別に真犯人がいる。智治は事件に巻き込まれただけなのだと。しかし、白猫の話からすると、もう一つ、結羽を拉致するという事件が起こる。これらを総合すると、おそらく結羽を人質にとって、智治を脅迫し、罪を着せるというのが一番考えられるシナリオだ。そして、真犯人は松上と、白猫が目撃したもう一人の男だ。


 そうすると、まずは結羽の拉致を防ぐことだ。そうすれば、智治は脅迫されずに済む。いや、仮に何かの理由で脅されていたとしても、結羽が無事であれば、拉致事件が明るみになるだろうし、そこからすぐに松上たちが犯人だと分かるような気がした。


 結羽が自殺した原因は、クラスで仲間外れの扱いを受ける中で、智治が容疑者となる事件が起こり、さらに居場所が無くなることを悲観したものだと思っていた。しかし、白猫が言う通りならば、それに加えて、彼女自身を襲うあの男どもの悪行も原因の一つであることになる。その3つが原因であるとしたら、やはり直接的に彼女を傷つけることになる結羽の拉致は、最優先に阻止しなければならない気がした。


 そう思いながら玄関の近くの木の影から様子を窺っていると、見覚えのある青いトラックが組合の駐車場に入ってきた。


「あれ? 清太の家のトラックじゃない?」


 白猫もそれに気づいて言った。見ると、運転席から父が降りてきて、玄関を入って行く。父は窓口で声をかけると、そこにいた職員が後ろに声をかける。すると、智治が立ち上がり、父とともに奥の方に姿を消した。


「行ってみよう」


 通用口の方に走っていく。彼らが出て来る確約は無かったが、何か話があるのなら、愛煙家の智治ならば喫煙所に向かうだろう。白猫も後ろからついてきた。


 しばらくすると智治が通用口から出てきて、その後ろから父も続いた。そして、もう一人出てきたのは、もっと髪が薄くなった高齢の男性だった。


「武田理事長ね」


 白猫に言われて思い出した。そうだ。確か理事長だ。前は信金か何かの理事をやっていたが、退職してこの組合に招かれたと聞いたことがある。あの事件で引責辞任してしまったので、記憶から遠ざかっていたが、父は「あの理事長は今までの名誉職の人達とは違う」と言って、とても評価していたような気がする。


 父はタバコを吸わないが、理事長と智治はタバコの箱を取り出して火をつけた。


「斎木さん。忙しい時期にすみませんね」


「いえ。こちらからのお願いですから」


 父が答えると、理事長は胸ポケットに入れていた封筒を取り出した。そしてその中から紙きれを取り出して見せる。カラーで印刷されているチケットのようだ。


「これです。ペアシートのチケット2枚。本当に1万円で買っていただけるんですか」


「ええ。本当は1万5千円なのでしょう。それだけ出しても良いんですが」


「とんでもない。捨てようと思っていたものですから」


 どうぞ、と理事長は言うと、父はそれを受け取り、財布から1万円札を理事長に渡した。彼はそれをポケットにしまうと、タバコを吸った。


「それにしても清勝。お前が花火を見に行くなんて珍しいな。この時期は忙しいだろ」


「まあ、せっかくの機会だから、たまにはいいんじゃないかと思ってな」


 父は言いながらチケットを財布の中にしまい込む。


「お前は今年も見に行くんだろう?」


「もちろん。既に理事長にも休みをもらっているからな」


「望月くんは、花火が好きなんだねえ」


「ええ。毎年、家族用の有料席を買って、家族と見に行っていますから。ただ、だんだんと子供も来るのか来ないのか分からなくなってきましてね。去年も結羽は同級生達と行ったようですし、結局、家内と二人で行くことになるかもしれません」


「まあ、それは仕方ないことだな。知らぬ間に子供は成長しているものだから」


 理事長はそう言ってタバコを吸いこむ。そして、思い出したように言った。


「そうそう。斎木さん。来週火曜日の定例理事会ですが、ちょっと時間がかかるかもしれません」


「そうなんですか。何か難しい話でも?」


「まあ……ちょっとややこしい話なんです。これは望月くんと私しか対応していない話でしてね。斎木さんは信用できるから良いのですが、色々と事情があるのでこの事は誰にも言わないでください」


 父は智治の方に顔を向ける。すると智治も黙って頷いた。


「分かりました。では、来週の火曜日までに仕事も前倒しでやっておきますから」


 そう言って父は理事長に頭を下げて、駐車場の方に歩いて行った。



******



 三毛猫と白猫は昼頃まで組合本店にいたが、松上も戻ってくることもなく、智治もずっと本店にいて何の動きもない。それで、午後になってから松上の自宅に行くことにした。


 昨日はほぼ一日中雨が降っていたのが嘘のように、今日は完全に夏の空で、大きな入道雲が湧き上がっている。蝉の音が耳に響く中、白猫とともに果樹園の中を駆け抜けていく。彼女も快調に走っているようで、たまに立ち止まると、「今日は気持ちいね」と笑顔を見せた。


 松上の自宅はひっそりとしていた。家には白いワゴン車が停まっているが、人の気配はない。白猫はその車の脇に座って見上げた。


「この車は、松上と話していた男が持ってきたの。松上がお金を渡してたから買ったのね」


「ふうん……でも、松上も自分の車は持ってるよな。どうして敢えて買ったんだろう? 何か、話している内容で気になることが無かった?」


「そうねえ……。確か、名義がどうのって」


「名義?」


「うん。『バッチリ変えた』みたいなことを言っていたような気がするけど」


 それを聞いて三毛猫は考え始めた。


「名義を変える……つまり、名義が松上になっていないっていうことだよな。そうするとこの車は、たぶん、逃走用の車なんだろう」


「この車で?」


「ああ。8年後の世界でも、犯人は捕まっていない。結羽のお父さんと松上は、一緒に行方不明になっているから、お父さんが容疑者なら、松上だって容疑者になってもおかしくない。でもそうならなかったのは、ウチの父さんが『犯人は智治』だって言い張ったからなんだ。父さんの記憶が怪我でおかしくなっていたのは後で分かったから、きっと、松上は横領金を持ったまま別人として生きているんだろう」


 そこまで言った時に、思わずハッとした。


「どうしたの?」


「思い出した」


「えっ?! 何を?」


「確か、犯人の足取りは、丘陵公園に乗り捨てた組合の車で途絶えたんだ。だから、きっとそこで車を乗り換えたんだと思う」


「じゃあ、そこで待っていれば、松上たちが来るってこと?」


「ああ。だけど、そこで待つとしたら、結羽を守れないし……。ううん。とりあえず、松上もいずれ帰宅するだろうから、もう少しここで様子を見よう」


 そう言うと白猫も頷いた。



 ******



 盆地を囲む山際に陽が落ちてきた頃だった。松上の家の庭に黒いセダンの車が入ってきた。車から降りたのは松上だけだ。彼は家の中に入っていったが、しばらくすると、再び外に出てきた。彼の手には大きな黒いバッグが抱えられている。ワゴン車の後部のハッチを開けて、その荷物を中に積んでいく。そして再び家の中に戻っていく。


(行こう、結羽)


 白猫を振り向いて、三毛猫はすぐに車の中に飛び乗った。白猫も同じようについてきて、急いで一緒に座席の下に潜り込む。松上はそれから何度か同じようなバッグを運び込んできたが、やがて運転席に乗ったようだ。車がゆっくりと動き出す。


 座席の下の狭いスペースでじっと待った。どれくらい走った所だろうか。車がバックして停まると、ドアをバタンと閉める音が聞こえた。ガチャという音がしたので車のロックがかかったのだろう。


「早かったな」


 別の男の声が聞こえた。おそらく共犯者の男だ。


「お前にしては早いな、大村。さあ、行こうぜ」


 松上が答える声が聞こえた。すると、車の外の方でドアがバタンと閉まる音が聞こえて、車の音が遠ざかっていく。そして、辺りは静まり返った。


 隠れていた座席のシートの下からそっと窓の外を見る。外はかなり暗くなっているようだ。座席の上に立って外の様子を見回す。


「ここは……」


 そこは50台ほどが停められるような広い駐車場だが、周りには一台も車が停まっていない。その向こうには、トイレのような建物とその向こうに遊具のようなものが見える。


「やっぱり、丘陵公園みたいだね」


 隣から白猫も外の風景を眺めた。


「確かに……そうみたい」


 そこは清太の家からもほど近い場所にある、県営の丘陵公園だ。遊具があり広々しており、遊ぶだけではなくバーベキューなどもできるため、家族連れには人気の場所だ。清太も小さい頃はよくここに連れてきてもらい遊んだ記憶がある。しかし、もう薄暗くなってきた時間帯であり、今は誰の姿も見えない。


 車の後部の荷物スペースは、青いビニールシートで覆われている。いくつものバッグのようなものを積んでいたはずだが、それを隠すようにビニールシートが掛けられている。それに、窓にもスモークがついているので、外からは見えにくくなっているようだ。そのビニールシートの下に潜り込んでみる。


 そこには大きなバッグがいくつも積まれている。後ろから白猫もやってきて不思議そうに眺めた。


「何なの? この荷物は」


 チャックが閉められているので、口でチャックをくわえてそれを開けようとした。何度か動かしていると、それが少しだけ開く。


「あっ!」


 そこに見えていたのは、一万円札だった。バッグの中に無造作に入れられているようだ。思わず周りのバッグも見回した。衣類もあるのかもしれないが、大部分がお金だったとしたら、一体どれくらいの金額になるのだろう。


「これって……もしかして、横領したお金?」


「だろうね」


 そこで絶句してしまった。松上はやはり横領していた。それも相当多額の資金だ。このお金のせいで、智治は犯罪者扱いされ、結羽はそれを原因の一つとして自殺するのだ。そう思うと、その目の前の大量の札束が許せないものに感じられてきた。


「クソッ! これさえ無ければ……」


 思わずその札束を手で叩く。すると白猫が、「落ち着いて」と声を掛けてきた。


「何ができるか考えようよ」


 彼女の静かな声が心の奥に響いていく。ハッとしてその顔を見つめると、大きく頷いた。

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