〈3日目/表〉

 翌朝、三毛猫は車のエンジン音で目が覚めた。見ると、庭から白いセダンの車が走り出していた。智治が出勤したらしい。


(そうだ。調べてみようか)


 ここが本当に8年前の世界なら、結羽の父の智治は、あと数日で行方不明になり、横領事件と、父への暴行事件の容疑者となってしまう。彼が悪事を働くとは到底思えないが、それも絶対だと言い切ることもできない。それはやはり、証拠がないからだ。彼は8年後でも行方不明なのだ。しかし、今なら智治の行動を調べれば何か手掛かりが出てくるのではないか。彼が犯人であった場合はともかく、そうでなかった場合は、彼が何か知っていて、それで事件に巻き込まれたということは十分に考えられる。


 ちょうど、隣にいる白猫はまだぐっすりと眠っている。三毛猫はそっと足を忍ばせて立ち上がり、屋根の上から二階のベランダに降りてみた。目の前の部屋は網戸が閉まっているが、窓は開いている。そこで、網戸をそっと手で開けて中に入ってみた。


 その部屋の端の方にはベッドが置かれ、その反対側の壁にギッシリと詰まった本棚と勉強机が置いてある。本棚の端には、記憶にある制服がハンガーに掛けられているのが目についた。


(ここって……もしかして)


 そう思った時だった。足音が近づくのが聞こえ、慌ててベッドの下に潜り込む。すぐにドアが開いて、目の前に誰かの足が近づいて止まった。


 ファサッ——。


 目の前で何かの服が床に落ちた。ドキッとして思わず俯く。しかし、そっと上を見上げる。


(結羽……)


 そこには、夏服の制服のスカートを履いた結羽の後ろ姿があった。彼女は着ていたTシャツを脱ぐ。彼女の白い背中に下着が見え、驚いて反射的に顔を背ける。再び彼女の方を見ると、既に白い夏服を着ていて、鏡の前で髪をとかして縛った。それが終わると窓を閉め、リュックを持って部屋を出ていく。


 しばらくして、スクーターのエンジン音が聞こえた。結羽が登校したのだと思った。それからは部屋の外で誰かが歩くような音が聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなり、その後に車のエンジン音が遠ざかっていくと、家の中はしんと静まり返った。彼女の母の晴代も出かけたのだろう。


「清太? どこ?」


 白猫の結羽の声が聞こえた。慌てて窓に近寄り、そのロックに手を掛けてみた。力づくで動かすと、ようやく鍵が開いた。窓の端に手を掛けてゆっくりと動かしていく。


「結羽。ここ」


 窓の隙間から声をかけると、白猫の姿が見えた。


「ええっ! どうして私の部屋にいるのよ」


「い、いや……さっきまでこの部屋の窓が開いてたから」


「ヤダ……もう」


 そう言いながら、白猫は隙間から中に入ってきた。


「何してたの?」


 白猫は不審そうに見つめてきた。確かにどう説明すればいいか分からなかった。まさか、「智治の横領事件のことを調べたい」ということを正直に伝えることはできないが、よりによって彼女の部屋にいたということの言い訳が難しい。


「あ、あのさ……。ウチの父さんが言ってたんだけど、結羽のお父さんは働きすぎじゃないかって。それで、家でも仕事してるんじゃないかって、心配していたんだ」


「仕事? そういえば、結構遅くまで隣の書斎にいるときもあるけど……」


 そこまで言って、白猫は急にハッとしたように黙ってしまった。その様子を見て尋ねる。


「……どうしたの?」


「なっ……何でもないよ。じゃあ、ちょっと書斎に入ってみる?」


 白猫も少しだけ興味はあるような感じだった。そこで、彼女の後ろについて、その部屋の隣の部屋のドアの前に立った。


「開けられるかな?」


 ジャンプしてドアノブに手をかけて体重をかける。猫の手ではノブを掴みにくいが、何度かやっているとノブが動きドアが少しだけ開いた。鍵はかかっていないようだ。白猫が隙間に体を入れてドアを開けて中に入る。


 その部屋はカーテンが閉められていて、まだ薄暗かった。部屋の中には本棚が2つほど置かれていて、ここにもぎっしりと本が詰まっている。窓に近い場所には机が置かれていて、その前に背もたれのある椅子があり、いかにも書斎風だ。その机の上に飛び乗ってみる。


「何もないね」


 そこから周りを見回しながら言った。確かに本棚に入った大量の本には威圧感があるが、机の上には何も置いておらず、端の方にシャーペンやボールペンが何本か入ったペン立てがあるだけだ。


 一度、床に降りて机の脇の引き出しに手をかけた。しかし、ガタっと音を立てるだけで開かない。鍵が掛かっているようだ。


「大事な書類があるから、鍵をかけてしまっているのかもね」


 後ろから白猫も言った。もう一度周りを見回してみるが、何も変わったところはなさそうだ。仮に、この大量の本のどこかに何かの書類を隠しているとしても、この猫の姿でそれを探すのは不可能だろう。


「じゃあ、出ようか」


 そう言ってドアの方に向かおうとした時だった。白猫が本棚の脇の辺りを見上げて立ち止まる。


「どうしたの?」


 その隣に立つと、そこには1枚のA4サイズの紙が貼られていた。「金融部連絡網」と書かれたそこには、人の名前と住所、電話番号が書かれている。その一番上に、智治の名前が見えた。


「いや……お父さんの部下って、結構いるんだなあって」


 白猫が答える。確かに、そこには20名程の名前が見える。住所まで書かれているのは丁寧だが、清太の会社でも何かあったときの連絡網を常に携帯するように言われている。ただ、それがありがたいと思った経験は一度もない。


「そうだね」


 それだけ答えると、白猫も頷いて先に部屋を出ていった。

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