〈1日目〉⑤

 ブルルル、と車が近づく音で目が覚めた。屋根から見下ろすと、清太の家の青いトラックが庭で止まったところで、運転席から父が降りて来るのが見えた。やや太り気味ではあるが、父は、清太の記憶にある昔の健康な姿そのものだ。その後ろから、清太のバイクもやって来て、納屋に入っていく。


「清太。箱を降ろすのを手伝ってくれ」


 父の声が聞こえ、人間の清太がトラックの後ろに回って、荷台に乗った父からコンテナの箱を受け取っている。この時期は桃畑の収穫作業で忙しい時期だ。手伝いは正直嫌だったが、否応なしに手伝わされることが多かった。


 しばらくすると、母が夕飯を準備したらしく、味噌汁のような香りが鼻をついてきた。そこでようやく白猫が目を開けて辺りを見回した。


「あれ? 私、結構寝ちゃった?」


「俺もさっきまで寝てたよ。父さんたちも帰って来たから、もう夕方だとは思うけど」


 言いながらそっと屋根瓦の上を歩き、清太の部屋を窓から覗いた。そこにある時計は6時を少し過ぎたあたりを示している。


「猫の体だから、明るいうちは眠いのかも」


 そう言うと、白猫も「ああ、そうか」と妙に納得した様子だった。しかし、完全に眠って目を覚ましても猫の姿のまま。これで夢ではないことを確信する。


「ちょっと、下の様子を見に行こうか」


 そう呼びかけると白猫も頷いて、屋根から降りて居間の辺りに向かった。居間の内側にある障子は閉められているが、外に声が漏れてくる。


「今日はよく働いてくれたな」


 父の声が聞こえた。


「そうね。明日も頑張って稼いでもらわなくちゃね。あっ、そうそう。晴代さんが言ってたけど、明日は結羽ちゃんも来るみたいよ」


 母の声も続く。家族の会話とテレビから流れる音が聞こえてくるが、障子が閉められているので中の様子は分からない。隣の白猫に尋ねる。


「明日って、何かあったっけ?」


「明日……ああ、明日は組合の直売イベントの日じゃないの?」


「ああ……それか」


「でも私、明日は行くつもり無かったんだけど」


 白猫が言うのに「そう」と頷きながら、昔の事を思い出していた。確か、1年生の時は夏のイベントに参加して結羽にも店を手伝ってもらい、彼女の母親の晴代にウチまで送ってもらったのだ。その時に、女郎花の前で、あの彼女の写真を撮ったのだが、そういえば、2年生の時はどうだっただろうか。親友だった三田賢斗や美弥たちと遊びに行ってしまった時も度々あったが、あまり思い出せない。


 その後もしばらく話を聞いていたが、何気ないやり取りがあるだけだったので、白猫とともに再び屋根に上がった。空を見上げると、雲が少し出ていたが、三日月が綺麗に輝いている。白猫はそこで再び横になった。


「何だか、昼も寝たのに夜も眠い感じがしない?」


「確かに……。疲れてるのかな」


「特に何もしてないのにね。フアア」


 白猫は欠伸が止まらないようだ。暗くなってくる時間の筈なのに、猫の体のためなのか、視界だけはまるで辺りが白夜の中であるように薄明るく見える。それでも眠気だけはしっかりと感じている。夜行性の体だと思ったのに、不思議だ。


「そうだ。そう言えば清太くん、昨日、教室に来てたよね」


「昨日?」


「三田くんと話してたでしょう?」


 賢斗の名前が出てドキッとした。


「あのね……」


 白猫は何かを言いかけたがそこで口をつぐんでしまった。その方をじっと見つめて次の言葉を待っていたが、彼女はそのまま顔を背けて黙ってしまった。賢斗とは高校1年で同じクラスになってから親友だったが、結羽の通夜で彼がマスコミ風の男と話していたのを目撃し、喧嘩になって以来、全く話をしなくなっていた。


「どうかした?」


 白猫を促すようにもう一度尋ねる。すると、彼女は「何でもない」と言って空の方を見上げた。同じように空を見上げると、三日月は少し雲に隠れたものの、雲の間からは星の輝きが見え隠れしている。白夜のような猫の視界ではあるが、人間の時に見た星空の記憶が残っているからなのか、その夜空の輝きは不思議な風景に感じられる。


「きれいね――」


 白猫が呟いたので、それにそっと頷く。彼女も同じように不思議な光景だと感じているのだろう。


「それにしても、どうして私たち、猫になったんだろう?」


「うん――」


「でも……これも悪くないかも」


 白猫が明るい声を出したので、彼女の方を向く。すると彼女は、こちらの方を向かずに自分の腕の上に顔を乗せた。


「ど……どういうこと?」


 そう尋ねたが、白猫は眠そうに目をそっと閉じた。


「ううん……おやすみ」


 彼女はそれだけ言うと、そのまま黙ってしまった。

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