〈1日目〉④

 野良猫を避けて落ち着いて話をするため、2階のベランダの前に伸びた屋根に上がる。かなり高いと思われる場所でも、ジャンプすると一気に体が浮き上がるような感じだ。木の影になった日陰に座り込んでから、彼女は猫になるまでのことを語り始めた。それによると、自分の部屋でいつものように寝ていて、朝になって目が覚めたと思ったら、そこの納屋の中にいて、猫の姿になっていたらしい。


「もう、全く訳が分からない。目が覚めたら猫になっているなんて」


「確かに……。他には何か変わったことは無かった?」


「変わったこと? そう言われても……。昨日は、家に帰っていつも通り本を読んで寝ただけなんだけど……」


 白猫はため息をついてこちらの方を見た。しかし、「あれ?」と不思議そうに首を傾げる。


「そういえば、少し前にバイクに乗った清太くんが帰ってきて、また出て行ったけど。あれってどういうこと?」


「ああ。俺も、結羽の家の方で、人間の結羽と俺を見かけたよ」


「私の家の方で?」


「そう。家の近くに墓地があるだろ? あの辺りに二人がいたんだけど」


「お墓? 何で、そんな所で……?」


 不思議そうに尋ねる白猫に頷く。どうしてあの墓地にいたのか分からないが、人間の清太の姿は確かにその墓地で見かけたし、そのバイクにもすれ違った。そして、人間の結羽にはその胸に抱かれたばかりだ。その彼女の体温も、はっきりと覚えている。彼女はここにしっかりと存在している。そこで、ふと白猫に尋ねてみた。


「あのさ……今年って、何年だっけ?」


「えっ? 今年は20XX年でしょう? それがどうしたの?」


 白猫は不思議そうにこちらを見て答える。


「あ、ああ……ええと、そうそう。今日って、何日だっけ?」


「えっ? 昨日が12日の金曜日だったから、13日じゃないの? 7月13日の土曜日」


 13日、と繰り返しながら、彼女から視線を逸らして空を見上げた。目の前で確認したその事実を心の中で噛みしめる。


 20XX年、7月13日。


(じゃあ、やっぱりここは、俺たちの高校時代の世界……?)


 ここは間違いなく8年前の世界だ。そしてそこに清太が存在している。いや、姿は人間ではなく、三毛猫になっているのだが。そう思いながら、白猫の顔を見つめる。


(すると、この白猫は——?)


 人間の結羽が存在することは確かだ。しかし、この白猫も自ら結羽だと言う。同じ人間の意識が二つに分かれて同時に存在するとは思えない。ただ、そもそも自分が8年前の世界にタイムスリップしたことだって非現実的なのだ。何があってもおかしくはないのかもしれないが……。


「どうしたの? 清太くん」


 白猫が不思議そうに尋ねる。思わずハッとして顔を背けた。


「い、いや……。その……何で俺たち、猫になったんだろうなって」


「そうねえ……。人間の姿の私も清太くんも存在するのよね。そして、猫の姿になった私も清太くんもここにいるのだとしたら、それって一体……。ううん、ダメだわ。頭が混乱する」


 白猫は困ったように首を振ってうなだれた。確かにまだ分からないことだらけだ。


「まあ、あんまり考えるのはやめよう。とりあえず少し様子を見てみようよ」


「そうね。でも、同じように猫になっていたのが、清太くんで良かった」


 そう言うと、白猫は顔を上げて少し笑った。



******



 それからしばらく屋根の上でゴロンと横になっていた。日差しは強いが、この猫の体はそこまで暑さを感じない。それに、少し日陰にいれば屋根瓦の温度も高くないので、十分に快適だ。知り合いに会った安心感もあったのか、白猫はいつの間にか隣で眠ってしまったようだ。


(この世界が、本当に8年前の世界なのだとしたら――)


 人間の結羽がまだ元気でいることは、さっき確認した通りだ。それに人間の清太も同じように存在している。記憶が正しければ、7月19日に清太の父が何者かに大怪我をさせられて入院し、翌日20日にその入院先の病院で、母から結羽が死んだと聞かされることになる。今日が13日なのだとしたら、その日まであと1週間しかない。


(でも……間に合うかもしれない)


 自分はこの先に起こる悲劇を知っている。だから、人間の清太に、何とかして結羽の近くにいてもらえれば、彼女の事をきっと救えるように思う。いや、それが仮にうまくいかなくても、こんな猫の姿だとしても、自分が人間の結羽の近くにいることさえできれば、少なくともその最悪の悲劇だけは防ぐことができるのではないか。そう思うと、まずは改めてこの頃の記憶を思い出そうとした。


 結羽が1組の中でやや浮いた存在になっているのではないかと気づいたのは、クラスが別々になった2年生の1学期の中盤以降のことだった。それで、唯一授業で一緒になる体育の時には、特に意識して話しかけていたとは思うが、それ以外ではあまり彼女との記憶がない。それよりも、美弥からは一度告白された後に、確か地元のジェラート屋に行った帰りに改めて告白されて付き合うようになり、完全に美弥の方ばかり気になっていたはずだ。そんな中で、人間の清太の心を美弥よりも結羽に向けるには、一体どうすればよいのだろう。


(いや……待てよ)


 そう言えば、気づいたら猫の姿になっていたあの墓地に、人間の清太がやって来ていた。自分の家の墓がある結羽ならばともかく、どうして清太があの場所に来たのだろう。小学生の頃は、結羽の家に遊びに行った時にあの辺りでも遊んだような気もするが、高校生になってから清太がその場所に行ったのは、彼女が亡くなって数か月が経った後だ。せめて彼女の墓参りだけはしようと思い、母とよく相談して、父にバレないようにこっそりとそこに向かったものの、その墓の場所が分からなくて探し回った記憶がある。しかし、あの人間の清太は、どういう訳かあの墓地にやって来て、しかもそこにたまたま結羽もいて、二人は顔を合わせているのだ。


 自分の記憶にある世界の中で、記憶にない行動をとる人間の自分自身。


 8年間という時間の経過で記憶が曖昧になっているのだろうか。それとも、やはりこれは夢なのだろうか。頭の中でしばらく考えていたが、ここまで走ってきた疲れもあったのか、急激に瞼が重くなってくる。少しだけと思って目を閉じると、すぐに意識を無くしてしまった。

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