3 小さな世界
〈1日目〉①
気が付くと清太は深い暗闇の中にいた。周りには何も見えない。そして、何も聞こえない。
(どこだ……ここは?)
目を開けている筈なのだが、何度瞬きしても何も見えてこない。不思議に思っていた時、どこからか光が差し込んできた。その光に照らされて、誰かが近づいてくる。
その姿を見て、息を呑んだ。
(俺——?)
暗闇から姿を現したのは、清太本人だった。彼は手に丸めた新聞紙を持っていて、すぐ目の前まできて座り込み、新聞紙を広げた。そこには、黄色い小さな花が入っている。思わずハッとして周りを見回すと、右側の低い位置に石板のようなものがあった。そこに書かれている文字を見て思わず目を見張る。
『7月20日没 俗名 望月結羽』
一瞬訳が分からなくなる。それは、昨日行ったばかりの結羽のお墓だ。しかも、そこに墓参りしている自分自身の姿を正面から見ている。服装も昨日着ていたシャツにジーンズだ。目の前の清太は、線香を置いて手を合わせる。そして、すぐにこちらに向き直って、花瓶から枯れた花を除き、持って来たその黄色い女郎花を飾る。すると、その花が見る間に輝きだした。
(何だ。これは——)
光は一気に眩しくなり、目を固く閉じた。
******
誰かが近くにいるような気がする。それが誰なのかは分からない。ただ、ゆっくりと背中を撫でられているような気がする。その手は温かく、そして心地よいことだけは確かだ。ほとんど夢心地のような気分で、ずっとそのままでいたいと思った。
「可愛いね」
誰かの声が聞こえる。女性の声だ。すぐ耳元で聞こえたその声には記憶があった。遠い記憶、懐かしい記憶。しかし、どうしても思い出せない。
(思い出したい。今すぐに——)
そう強く願う。そして、閉じた目をゆっくりと開けた。
すぐ目の前に青いスカートが見える。そして、そこから伸びる細い足。「えっ」と思って、慌てて飛び起きた。まだ焦点が合わない。何度か瞬きすると、ぼんやりとした視界がはっきりと見えてきた。
「えっ……」
目の前の存在を見上げる。そこには、青いスカートに白いTシャツを着た少女が座っていて、穏やかな表情でこちらを見ていた。
「まさか、君は……」
じっと彼女を見つめる。そこにいるのは、清太の記憶にある結羽だった。そして、目の前には彼女のスカートから伸びる足が……。
それに気づいてハッとして起き上がる。いや、起き上がったはずなのだが、まだ地面が近い。
「どうしたの? 急に」
結羽が声を掛けてきた。そして、こちらに手を伸ばしてくる。しかし、その手が信じられない程に大きい。
「ヒイイ!」
思わず叫んで彼女から走って離れ、近くの草むらの中に逃げ込んだ。その時、ふと気づいた。足を出したつもりが、手を地面についている。余りに慌ててしまったと思って自分の手を見下ろすと、そこにどこか違和感があった。そこには茶色と白色の毛がびっしりと生えている。
「何だよ! これ……」
再び叫ぶ。両腕を見下ろすと、右腕には茶色と白色の毛が、左腕は黒色と白色の毛が生えている。そして、手のひらを返してみると、そこにあったのはピンク色の可愛らしい肉球。
(これは夢だ。何かの夢を見ているんだ……)
冷や汗が止まらない。目を閉じて首を振る。そして、恐る恐る自分の体を見回してみた。すると、そこにあったのは、全身が茶色と黒色と白色の毛に覆われた体だ。それは、紛れもない三毛猫の体。
「どうして……」
余りの事に言葉を失う。すると、どこからか大きな音が聞こえてきた。
ブルルル——。
音が近づいたと思うと、少し先に緑色のバイクが止まったのが見えた。乗っていた人間がヘルメットを脱ぐ。その姿を見て息を呑んだ。
「あれは、俺……?」
そこには、青いジャージを着た清太自身の姿があった。そのジャージには見覚えがある。それは高校時代の剣道部のジャージだ。そう言えば、その清太は髪も短く、顔も若々しい。彼はまだこちらには気づいていない様子だ。すると、結羽が立ち上がる。
「清太……くん?」
結羽の向こうにいた人間の清太が、慌てたように周りを見回し、結羽に気づいた。
「ゆ、結羽――」
「どうしたの? こんな所で」
結羽が尋ねると、人間の清太は早口で何かを答える。その時、ふと周りの様子に気づいた。
(ここは……あの墓地じゃないか)
そこは、昨日来たばかりの結羽の墓地だった。天気もよく晴れていて陽射しは強い。しかし、昨日は汗だくになって墓参りしたというのに、今はその暑さを全く感じない。
(そうか。きっと夢を見ているんだ)
だから、暑いという感覚もないのだろう。これは、清太が高校時代の夢なのだ。結羽の墓参りの記憶、そこで結羽の母に会い、あの手紙を渡される記憶、そして、その彼女が火事で亡くなった記憶。昨日からの僅か1日に起こった強烈な記憶の断片が、まだ結羽が生きていた高校の頃の自分の記憶を呼び覚まし、夢を見せているのに違いない。それにしても、自分が猫の姿になっていて、高校時代の自分自身を見ているというのは、何と不思議な夢だろう。いや、そもそも夢の中で夢を見ているということを自覚すること自体が全くおかしな話なのだが。
そう考えているうちに、いつの間にか人間の清太と結羽は墓地の中に向かって進んでいた。それを追いかけようとして草むらを出る。その時だった。
「ウウウ――」
唸り声が近くで聞こえた。振り返るとそこに、茶色の大きな猫がこちらを睨んでいる。
「何だよ……。お前も猫じゃないか?」
そう言ったが、相手は唸っているだけで何も言わない。ただ、聞こえるのは唸り声だけだ。すると、その猫が急にこちらに飛び掛かってきた。「うわっ」と声を上げて体を横にかわしたが、腕の付け根の辺りに痛みを感じた。見るとそこに傷ができている。
「ま、待て。何なんだよ」
そう言うが、茶色の猫は再び飛び掛かってきた。その爪が空を切る音が耳元で聞こえる。必死に身体をかわす。
(コイツ……俺の言葉が分からないみたいだ)
そう思うと、すぐに相手に背を向けて一直線に走り出した。
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