7月16日
翌日の昼休みだった。清太が自分の席で弁当を食べていると、誰かが近づいてきた。
「清太、ちょっと」
それは中田だった。「何?」と尋ねると、周りを見てから教室の外に出ようと小声で言うので、席を立って廊下に出た。窓の方を見ながら中田と横に並ぶ。
「どうした?」
もう一度尋ねると、中田は言いにくそうに俯いた。
「何か……ヤバイ感じがして……」
「どういうこと?」
「さっき、教室で美弥ちゃんが泣いてた」
その言葉にハッとした。
「どういうこと?」
「分からない。彼女は何人かの女子達と小声で話をしていたんだ。そうしたら、急に泣き始めて。あの美弥ちゃんが泣くなんて、絶対にヤバイ話だよ。それに……」
「それに?」
「何か……『裏切られた』って言葉が聞こえて」
その言葉にドキッとした。中田はチラッと清太の方を見てから、慌てて首を振る。
「ごめん。今のは聞かなかったことにして。じゃあ」
それだけ言って、中田は逃げるように廊下を走って行ってしまった。
******
その日の放課後、部活を終えていつものように藤山とペットボトルを買い、武道場まで歩いて戻る途中のことだった。
「清太くん」
体育館の方から声が聞こえた。振り向くと、そこには同じく部活を終えた美弥がオレンジ色の半袖ウエアを着て立っていた。日も暮れた中で、そのウエアの色が妙に鮮やかに感じる。
「ちょっと、いい?」
こちらに近づいてそれだけ言った。その見るからに硬い表情と、いつもと違う彼女の小さな声にドキッとする。隣にいた藤山もそれを感じたのか、「俺、先に帰るわ」と言って一人で歩いていってしまった。
「ちょっと来て」
美弥はそう言って先に歩き出した。清太がその後ろからついていくと、体育館の脇を通って学校の裏手の方に向かっているようだった。部活を終えた生徒たちの姿も、その辺りには見えない。すると彼女はこちらを振り返った。
「清太くん。聞きたいことがあるんだけど」
彼女は大きな瞳でこちらを見つめた。
「何?」
「望月さんのこと」
ハッとしたが、彼女はじっとこちらを見ている。
「……どういうこと?」
「この前の日曜日って、望月さんと一緒にいたんでしょう?」
「えっ……」
「彩菜から聞いたの。産直のイベントで、一緒に桃を売ってたって。二人で楽しそうにしてたって」
やはり渡辺彩菜はあの場にいて、清太達に気づいていたのだ。彩菜は結羽と同じ中学の出身だが、結羽に一方的なライバル意識を持っているようで、二人はほとんど話をする姿を見たことがない。そこで清太は正直に答えた。
「それは……確かに一緒にいた」
すると美弥はキッと眉根を上げた。
「どういうつもり? この前、私がそのイベントに行きたいっていうのは断ったのに、どうして望月さんと一緒にいたのよ。初めからあの子と行くつもりだったんじゃないの?」
「それは、たまたま会場で会って——」
「たまたま? 嘘でしょう。昨日だってそうじゃない。中田くんを誘って秋山さんと同じチームにしてあげたんだと思ってたけど、よく考えたら望月さんとも一緒だったよね」
彼女の声が次第に胸の奥を刺すように感じてくる。
「いや、それは……」
「ねえ、清太くん。私と一緒に花火を見に行くんだよね。この前、そう決めたよね?」
大きな瞳でじっとこちらを見つめる美弥の前で、黙って俯いてしまった。花火大会には、賢斗とその彼女の南波、そして清太と美弥の4人で行こうと決めて、既に賢人からチケットも受け取っているのだ。すると、美弥は一歩近づいて、清太の手を握った。
「ごめんなさい……。責めている訳じゃないの。清太くんと望月さんが昔から知り合いだってことは分かってる。だからあの子と仲良くしないでとは言わない。でも、私たちは付き合っているのよ。だから、私は清太くんにとって特別な存在でいたい。花火大会にも一緒に行きたい。ただそれだけなの……お願い」
美弥が懇願するように清太の顔を見上げる。
「美弥ちゃん——」
胸が高鳴っていく。美弥が自分の気持ちを抑え込み、結羽の件について清太に大きく譲歩してくれたのをはっきりと感じた。彼女はそこまでして清太と一緒にいたいと思っているのだ。思わず美弥に一歩近づこうとしたその時だった。
『大丈夫よ、私は』
突然、その声が聞こえた気がした。ドキッとして足を止める。それは、この前あの墓地で会った結羽の声だ。花火に行きたいかと尋ねた清太に、彼女は少しだけ笑顔を見せながら、優しい声ではっきりとそう答えた。
なぜ、あの時自分は結羽にそんな事を尋ねたのだろう。それはあの絶望的な未来の世界の夢を見たからだ。確かにしょせん夢に過ぎないのだが、そのことがどうしても忘れられないでいる。夢の中で清太は、美弥と花火大会に行ったことを何度も後悔していた。たとえ、結羽が「大丈夫」と言ったとしても、美弥と花火大会に行くことを選んでしまえば、その夢の通りになってしまうような気がするのだ。
夢の中で結羽を失って、どうして自分はあれほどまでに絶望のどん底に沈んでしまったのか。
(俺は……本当は……)
その時の感情が、今、はっきりと清太の中に思い出されていく。
「ごめん……俺は、美弥ちゃんとは花火大会に行けない」
そう言って彼女の前で思い切り頭を下げた。
「どうして……」
頭の上から彼女が呟いた声が聞こえる。しかし、彼女はそのまますぐに駆けて行ってしまった。
「ま、待って」
頭を上げてそう声をかけたが、そこには暗がりの中に美弥のオレンジ色のウエアの背中が遠ざかっていくのが見えただけで、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。
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