7月13日 ②
清太は剣道部に属している。香南高校は進学校であるが、数年前に剣道の強豪大学の出身の平野先生が体育教師として赴任して、剣道部の顧問になって以来、公立高校としては意外なほどの実力校に育っていた。清太はそれを知らずに入部したのだが、普段の稽古はもちろん、体力づくりや筋トレなど基礎練習もしっかりと行うため、校内でも一番ハードな部活だった。もちろん、これまで剣道の経験もないので周りとの実力差は大きいが、何とか続けてきたこともあり、少なくとも体力だけは他の部員に引けを取らなくなってきた。
それにこの高校は、進学校として培った私立大学への推薦枠を多数持っていることもあって、それを目当てに、剣道の実力があり大学進学を希望する生徒も集まるようになり、近年では更に実力を上げてきていた。一方で、そうした生徒はいわゆるやんちゃな生徒も多いのだが、そういう生徒と同じ部活であることは、他のやんちゃな生徒に目を付けられないというメリットもある。さらに言うならば、平野先生が生徒指導に厳しく、校内でも相当恐れられていたことが、何よりのメリットかもしれない。
「ああ、暑い!」
部活が終わっていつものように自販機で買ったジュースを飲みながら、隣を歩く藤山が叫ぶように言った。彼は2年生の中では最も実力があり、一学期で3年生が引退すれば、次の部長に決まっている。例によって藤山もやんちゃ系の生徒で体も大きく、清太とは実力差も大きいのだが、不思議と彼とは仲が良かった。
「暑いから今日はキツかったな」
「まあ、まだ平野先生がいなかったから助かったけど」
平野先生は昨日の夕方から遠征で不在だったので、今日は副顧問で数学教師の横田先生が来ていたのだが、特に指導ができる訳でもないので、暑そうに見ているだけだった。だから、自分達のペースで休憩しながら、いつもよりは早めに切り上げた感じだった。
2人で歩きながら体育館の脇を通り過ぎようとしたところだった。
「清太くん!」
体育館の方から呼びかけられて顔を向けた。そこに座っている女子の姿を見つけてドキッとする。
「あっ……美弥ちゃん」
「部活終わった?」
「うん。さっき終わったところ」
そう答えると藤原美弥は立ち上がって近づいてきた。彼女は1年生の時は同じクラスで、今は文系進学クラスの1組にいる。
「ちょっといい?」
隣にいた藤山の方をチラッと見て美弥が言った。すると藤山は、「先に行ってる」と言って清太を置いて行ってしまった。
「あのね……。明日なんだけど、時間ある?」
「明日?」
「うん。甲府駅の北口の方に、新しいジェラート屋さんができたらしいの。私、行ってみたくて」
「ジェラートか……」
「うん。賢斗くんと
それを聞いてドキッとした。三田賢斗も南波も1年生の時に同じクラスで、美弥とも仲が良く、クラスが別になってからも清太は何かと彼らと一緒にいることが多い。目の前の美弥はその大きな瞳で清太を見つめている。胸が高鳴るのが自分でも分かる。汗に濡れた彼女の首筋から瞳を逸らす。
「あ、明日は……家の手伝いがあって……」
「手伝い?」
「俺のウチ、桃農家だから、この時期結構忙しくてさ。明日、直売のイベントがあって、それを手伝えって言われているんだ」
「へえ……そうなの。それも面白そう! 私も手伝いに行ってもいいの?」
「い、いや……田舎の方だし、たぶん、そこまで大変じゃないから大丈夫。……それよりその店の様子を聞かせてよ」
「そう……分かった。そういえば、市山の花火大会のチケットは賢斗くんから貰った?」
「あっ……ああ。この前、貰った」
「私、楽しみにしてるから。じゃあね」
美弥はそう言って笑顔で手を振ってきた。それに軽く手を振り返して、剣道場に戻っていくと、藤山が入口の日陰にだるそうに座っていた。
「ハア……。アイツもよくやるな。俺に対して完全に邪魔者扱いの視線だし」
「そうだった?」
「お前、本当に美弥と付き合ってるのかよ」
「えっ……それは」
「まあいいけどさ。でも、お前も知っていると思うけど、アイツは昔から熱しやすく冷めやすい女の代表格だからな。結構、一方的なところもあるし」
「うん——」
それだけ答えると、清太は持っていたスポーツドリンクをゴクッと飲み込んだ。
******
帰りのバイクに乗りながら少し前のことを思い出していた。
美弥から告白されたのは、ついこの前の期末試験が終わった頃だった。部活を終えて帰ろうとしていた時に、体育館の傍で呼び出されて告白された。ドキドキしてしまいそれにどう答えようかと黙っていた時、美弥が同じバスケ部の同級生に後ろから声を掛けられ、それで美弥は逃げるように去ってしまった。しかし、それ以降は、周りからは「清太と美弥は付き合っている」と見られていて、美弥自身もそのように清太に接してきていた。そもそも、去年同じクラスの時から、彼女が清太に好意を持っていることは知られていたし、清太自身も彼女に対して好意を覚えていたのは確かだ。
賢人も、清太と美弥のことを応援していて、今年は県内で最大規模を誇る市山の花火大会に、賢人とその彼女の南波、そして清太と美弥の4人で行こうとチケットの手配までしたのだった。
一方、藤山は美弥と中学時代から同級生だったこともあり、彼女が昔から「熱しやすく冷めやすい」人間だとかなり批判的だ。前に彼女と何かあった訳ではないようだが、少なくとも藤山は彼女のことを嫌っていることは確かだ。
(俺は——)
美弥は性格も明るく、いつもクラスの中心にいる完全な陽キャだ。大きな瞳にショートにした髪も爽やかで、誰が見ても可愛い部類に入るだろう。彼女の告白にはっきりと答えてはいないものの、清太も彼女と付き合っているという状況を受け入れていたはずだった。
しかし、もう一つの光景がどうしても頭から離れなかった。それは、強い怒りの感情をもって賢斗の胸倉を掴んだこと、そしてその脇に立って真っ青な表情のまま清太を制止しようとする美弥の姿だ。それは現実ではないことは分かっている。ただ、賢斗の胸倉を掴んだ感覚がまだこの手に残っているような気がしていた。その美弥の姿と、彼女から賢斗の名前を聞いたことで、その時の彼女たちの姿が頭に浮かび、思わず彼女を避けたくなってしまったのだ。
その時、道路上にある青い看板の文字が目に入った。
(五坂町、か……)
信号で止まり時計を見ると、時刻はまだ11時半。早く帰宅しても、畑の手伝いをするように言われるだけだろう。そう思うと、バイクのウインカーを出してその交差点を曲がった。
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