2 大きな世界

7月13日 ①

 急に目が覚めて起き上がった。


「ハアハア……」


 息を上げながら、周りを見回す。カーテンの向こうからは光が差し込んでいる。エアコンも動いているのだが、体中に汗をかいている気がした。


(俺の部屋……だよな)


 もう一度周りを見回していく。カーテンが閉められた窓の上にエアコンがあり、静かに音を立てている。壁際には本棚、そしてその隣に勉強机。


 ハッとしてベッドから降りて、その机の前に立った。机の前の床には、通学用の黒いリュックサックが無造作に置かれているが、その机の上には黒い照明が置いてあるだけで他には何もない。机の周りも見回すが、特に目立つものも落ちていない。


(夢——か)


 まだフラフラとする頭のまま、光が漏れるカーテンの前に立ち、それを一気に開けた。眩しい陽射しで思わず目を閉じるが、その次に入って来たのは実家の周りの果樹園や畑の風景だった。その時だった。


 プルルル、プルルル——。


 急に電子音が聞こえた。枕元に置いたスマホが音を立てている。慌ててそれを手に取りアラームを止める。そして、そこに表示された日付をまじまじと見た。


 20XX年、7月13日、土曜日。


「清太。そろそろ起きなさい」


 急に母の声が聞こえてハッとした。もう時刻は8時に近い。部屋を出てドタドタと階段を下りていく。


 キッチンでは母が食洗器に食器を入れているところだった。


「もう私も行くから、食べ終わったら食洗器に皿を入れて回しておいてよ」


 分かった、と答えて、自分で炊飯器を空けてご飯を盛り始める。すると、母はキッチンを出るときに、思い出したように言った。


「そうそう。そういえば、明日は時間あるんだろう?」


「えっ? 明日って……何かあるの?」


「畑の手伝い」


「マジで……」


「と言いたいところだけど、別の用事。ほら、組合の直売イベントよ」


 ああ、と言ってそのことを思い出す。父が所属する風吹農家組合では、3か月に1度くらい、農産物や加工品などの直売イベントを大々的に行っているのだ。特に、夏場はこの辺りの名産品である桃のシーズンでもあり、一年のうちでも一番の人手となる。ただ、農家側からすれば忙しい時期でもあるため、販売に人手を取られるのは悩ましいところでもあるのだ。


「今年は梅雨も早く明けたから生育が良くてね。収穫が忙しいから、朝だけは行くけど、後は桃の補充をするくらいしかできないから、基本はお前に任せるからね」


「ちょっと、それってマジで……」


 尋ねようとしたが、母は手を振ってすぐに立ち去ってしまった。



 ******



 食事を終えて、ジャージに着替えると、黒いリュックサックを持って外に出た。蝉の声が響き渡り、ムッとした空気が漂っている。納屋の中に停めてある緑色のモトクロスタイプの原付バイクに跨り、エンジンをかける。ブルルンという音とともにバイクが振動を初める中、ヘルメットを被り、アクセルのスロットルを回した。


 清太が通う県立香南高校は、甲府盆地の中央部にあり、この家からは約10キロほど離れている。香南高校は公立高校だが、文系と理系の進学クラスがあり、毎年、国立大学や有名私立大学に進学する生徒を多く出している。そのため、やや遠い地域からも進学する生徒も多いことから、概ね学校から6キロ程度離れている場合は、原付バイクでの通学が認められていた。


 フルフェイスのヘルメットを被った顔の辺りは暑苦しいが、今日はジャージでの通学なので、バイクが動いていれば体には風が当たって涼しい。それでもその風もほぼ熱風に近いのだが、制服の長ズボンに比べればまだマシだ。


(夢、だったんだよな――) 


 信号機で停まった時に、改めて思い出してみて寒気がした。怖い夢を見ることはあるが、大抵は起きてすぐにその内容を忘れてしまう。しかし、その夢は強烈に記憶に刻まれてしまったかのように、まだそのほとんどを覚えている。実際の清太の家族、友人、知人に起こる取り返しのつかない事件。そして、ぽっかりと心に穴が開いてしまった自分自身。どうやっても這い上がることができない深い暗闇に落ちていく自分をはっきりと感じた。


 信号が青に変わり、アクセルのスロットルを回す。盆地を取り囲む山を下り、片側2車線の大通りに入ると、交通量も増えてきたが、今日は土曜日のため渋滞するということはない。大通りは甲府盆地を南北に縦断し甲府駅まで続いているが、それが盆地を東西に横切る国道のバイパスと交差する辺りが、香南高校がある場所だ。大通りはスピードも出せるが、感じられる風は清太の家の辺りよりもさらに不快な熱風のような感じがした。

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