7月14日 ②

 その日は結局、片付けを含めて4時過ぎまでイベント会場にいることになった。桃の販売自体は2時頃で終わりになったが、それ以降は結羽がいた方のテントでも販売の手伝いをしていた。ただ、晴代が「折角だから少し見てきたら」と言って千円をくれたので、最後の1時間くらいは結羽と2人でイベント会場を見回ることができた。農産物はもちろん、手芸品や工芸品も販売していたり、地元の有名な土産物であるきな粉のお菓子やアイスクリームも販売したりしていて、一通り回るだけでも楽しむことができた。


 夕方になり、晴代の運転する車で家まで送ってもらった。しばらくして父と母が帰宅したので、送ってもらったことを伝えると、母は晴代に丁寧にお礼の電話をしていたようだった。そして結羽の家庭教師の予定について安那に確認すると、早速明日からでも良いと言うので、結羽にそれをスマホのメッセージで伝える。するとすぐに「OK。明日の放課後に行くね」と返事が帰ってきた。


 食事を終えて居間で何気なくテレビを見ていた時に、スマホにメッセージが届いた。見てみると、美弥からで、今日行ったジェラート屋がとても美味しかったと書いてある。美弥とその友人の南波がジェラートを美味しそうに食べている写真もあったが、これは南波の彼氏である賢斗が撮ったものだろう。「今度行こうね」と書かれたコメントに「OK」のイラストを返した時だった。居間に母が入ってきたので、慌ててスマホをポケットにしまってテレビの方に顔を向ける。母はテーブルを挟んで清太の向かいに座ると、5千円札と千円札をそれぞれ一枚、テーブルの上に置いた。


「何これ?」


「今日のバイト代。8時から実質6時間勤務で時給千円。悪くないでしょう? 結構売上もあったし、よく働いてくれたから」


「どうせなら1万円くらい……」


「馬鹿! そんなに甘くないわよ。桃を取ってあそこまで運んだのは私なんだから。あんたはテントで売ってただけでしょう? 要らないなら回収するけど」


 言われて慌てて札に手を伸ばして、丁寧に「ありがとうございます」と頭を下げた。


「はい。それで良し。次もよろしく。あっ、それからそのお金は結羽ちゃんの分も含めてだからね」


「マジ?」


「だってアンタ、晴代さんにもお小遣い貰ったんだろう?」


 言葉を返せない清太の姿を見て、フフっと笑った母はテレビ画面の方に顔を向けた。バラエティー番組で、何人かのお笑い芸人が軽妙なトークをして笑いを取っている。


「あのさ、清太」


「何?」


「結羽ちゃんって……最近、学校の様子はどうなの?」


 母はそう言ってチラッと清太の方を見たが、すぐにテレビの画面の方に顔を向けた。


「どうって言われても……。クラスも別になったから、最近はよく分からないよ」


 やや胸の奥が痛む気がした。母から顔を背けたまま、辛うじてそれだけ答えると、母の大きなため息が聞こえてきた。


「ちょっと気にしてあげてよね」


 それだけ言って、母は立ち上がり、居間を出て行った。


(気にしてるさ——)


 母に言われなくても気にしている。特に、あんな怖い夢を見た後だ。だからこそ彼女のことが気になっていたのだ。


 結羽とは高校に入る前から顔見知りだ。親同士も公私ともに頻繁に会う友人で、結羽と清太が同級生だったこともあって、幼い頃からよく会っている。小中学校の同級生の友人とは違い、隣町の人間であるということからすると、こういうのを本当の幼馴染と言うのかもしれない。


 そんな彼女とは高校で1年生の時に同じクラスになり、毎学期初めに行う席替えでも、2学期、3学期と連続してたまたま席が隣になったこともあって、普段から何気なく話ができる仲だった。それに彼女は学年トップクラスの成績であり、勉強の面では目標とすべき存在でもある。彼女は感情を表に出すことが少なかったし、部活もやっておらず、勉強以外ではクラスでも常に目立たない方の存在だったが、清太以外にも何人かの生徒とは楽しそうに話をしていた。


 しかし、2年生になってからのことは正直よく分からない。共に進学クラスである文系の1組と、清太のいる理系の9組は、3階の両端に位置しているため、結羽のいる1組の教室に行くことはない。体育の時間だけは両クラスが合同で行うのだが、その時はいつも彼女は端の方に一人でいるような気がしていた。元々、彼女は運動が嫌いで、1年生の時も体育はいつも端の方にいたのだが、去年と違って、1組の女子が誰も彼女に声を掛けていないのに気付いたのは、つい最近のことだ。


 それに、彼女は2年生になってからのこの1学期の間に明らかに痩せた。元々細身ではあったが、顔色も悪く、余りに不健康に痩せてきたような気がしていた。清太だけでなく9組の他の生徒達もそれに気づいていて、「勉強しすぎじゃないか」という声もあったが、少なくとも清太にはそれが勉強によるストレスだとは思えない。


(秋山さんにも、今度聞いてみようかな)


 1年生の頃から結羽と仲が良い9組の秋山玲の事を思い出した。彼女自身も普段は物静かな存在で、結羽と同じように部活をしていないが、クラスで特に浮いているということはない。


 しばらくして、テレビを消し、2階の自分の部屋に戻った。スマホを見ると、美弥から「今日はしっかりお手伝いできたの?」とメッセージが入っていた。それに返信しようと少し考えたが、すぐに諦めてベッドに横になった。


 そのまま寝ようとしたものの、意外に眠れない。それで再びスマホを手に取り、メッセージを開く。今度は結羽とのチャット画面を開き、さっき安那の家庭教師のことを話したチャットの後に、文字を打ち始める。


『この前、夢を見たんだ』


 そこまで書いて、慌ててそれを全部消した。

 

(駄目だ……。馬鹿か、俺は)


 まさか、「君が自殺した後の世界のことを夢で見た」などと、当の本人に伝えられる訳がない。それだけではなく、彼女の父は組合から横領して失踪し、妹は家出し、母は自宅とともに火に包まれて命を失う。改めてその夢の内容を思い出すと、そんな夢を見た自分自身にも嫌悪感を覚えてくる。一方で、どうしてもその夢の事を忘れることができず、強く気にしていることも確かだ。


(そんなの、ただの夢なんだ……)


 もう一度、自分自身にそう言い聞かせてから、スマホをベッドの脇に置き、そこに横になった。

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