7月14日 ①

 翌日は、普段の通学と同じくらいに家を出た。母の運転する軽ワゴン車に乗り、桃畑に行ってみると、既に祖父母と父が作業を始めていた。清太も昨日の午後は父に呼ばれて仕方なく数時間だけ手伝ったが、それでも疲労感が残っている。改めて両親や祖父母の仕事ぶりに驚いたのだが、畑の入口近くには既に箱に入れられた綺麗な桃が並べられていた。母の指示でそれをワゴン車に積み込んでいく。今日のイベントで販売する商品だ。


 積み込みが終わると、ワゴン車は山を下っていく。今日の販売イベントが開催される風吹農家組合の本店は隣町の五坂町にある。車は県道に出て五坂町に入り、程なくして組合本店に着いた。


 そこは町の中心部からやや離れているが、その分、広い敷地が確保されていて、駐車場も相当に広い。今日のイベントはその一角で開催されることになっており、既にテントが立てられて、準備する人々が動き回っている。


「さあ、どんどん運んでよ」


 母がワゴン車の後部ドアを開けて、折りたたみの台車を取り出した。それに桃の入った箱を置いていく。あまり上に積む訳にもいかないので、数段ずつ乗せて慎重にテントに運び、その下にある机の上に並べていく。

 

「おはようございます。斎木さん」


 一人の恰幅の良い男が声を掛けてきた。


「ああ、理事長さん。早くからお疲れ様です」


「いえいえ。斎木さんこそ、早くから準備されてきたんでしょう? 収穫で忙しい時期にすみませんね」


「ああ、それは大丈夫です。今日はウチの子を連れてきましたから。私のかわりに働いてもらいますよ」


 そう言って母は清太を振り返った。


「ああ、息子さんですか。ええと……確か、清太くんだったかな」


「はい……おはようございます」


 こちらを向いた組合の武田理事長に頭を下げて挨拶する。


「あら。よく覚えてくださって。しばらく手伝いに来ていなかったから、てっきり忘れているかと」


「いえいえ。そう言えば今日は、向こうに望月くんの娘さんも来ていましたよ」


 理事長は振り返って遠くを見てから、「では、また」と言って去っていく。彼が見ていた方のテントの中でも、何人かが動き回っているのが見えた。


(結羽——)


 彼女の姿をそこに見つけてドキッとする。彼女は髪を後ろで縛り、茶色のエプロンを着て、ポット苗のようなものを並べているようだ。


「さあ、ボーっとしていないで」


 母に言われてハッとする。しばらくテントの中で準備をしていると、「おはようございます」と再び声を掛けられた。


「あら、晴代さん」


 母が明るく答えた。結羽の母の晴代だ。その姿にハッとする。


(おばさん——)


 彼女は、ウチの母と年齢は同じくらいのはずだが、綺麗で若く見えた。しばらくイベントにも来ていなかったので彼女にも久々に会った筈なのだが、彼女の疲れ切った姿の方がハッキリと脳裏に浮かび、思わず寒気がする。すると彼女から元気な声が聞こえた。


「忙しい時期に悪いわね。私も手伝うから、畑の方に戻ってもらってもいいわよ」


「ありがとう。でも、今日は私の替わりに清太に任せるつもりだから。しっかり仕事しているか見ていてよ」


 母がそう言うと、晴代は頷いて清太の顔を見た。


「清太くんも久しぶりねえ。今日は結羽も来ているから、向こうの仕事が終わったらこっちを手伝わせるわね」


「はい……あの、ありがとうございます」


 母も「ありがとう」と答えると、晴代は去って行った。



******



 イベントが始まると、次々と客がやってきた。ちょうど桃のシーズンが始まった時期で、スーパーで買うよりも値段も安く新鮮なことから、どんどん売れていく。周りにもいくつか桃を売る農家のテントがあるのだが、いずれも人が集まっている。在庫の桃もかなり減ってきていた。


(ヤバイな)


 そろそろ補充を依頼しようと、一旦、販売用の机に「休憩中」の札をかけた。そして、母に電話して補充を依頼していた。


「お待たせしました。いくつお買い上げですか?」


 急に後ろから声が聞こえた。振り向くとそこには、いつの間にか茶色のエプロンを着た結羽が立っていて接客を始めていた。慌てて電話を切り、結羽の隣に並ぶ。


「あっ……ありがとう」


 そう言うと、彼女はチラッとこちらを見て笑顔を返した。そして、客の求めに応じて、半袖のTシャツから伸びた白く細い腕で、緩衝材に包んだ桃を袋に入れていく。今日も彼女は眼鏡をかけておらず、エプロンを着て働いているその姿は、ずっと大人っぽい感じだ。


「はい。次、4個だって」


 結羽の声にハッとして、箱からパックに入れた桃を袋に入れていく。それを客に渡すと、隣から「ありがとうございました」と結羽の声が聞こえた。


 しばらく接客を続けていたが、ふと会場の端の方で人だかりができているのが見えた。目を凝らすと、そこに智治の姿を見つけた。彼は、何か白いものを抱えるように人だかりから離れて行ったが、それとともにもう一人知っている顔を見つけてハッとした。


(あれは……彩菜か?)


 人だかりの辺りで、同じクラスの渡辺彩菜の姿が少しだけ見えたような気がした。彼女は去年から同じクラスだったが、結羽と同じくこの五坂町に住んでいるので、ここにいてもおかしくはない。その時ちょうど母がやって来た。


「お待たせ」


 母は補充の桃をカートで運んできた。清太もそれを見て慌てて手伝っていく。母は桃を運び終えると、結羽に頭を下げた。


「ありがとう、結羽ちゃん。助かるわ」


「いえ。それにしても、売れ行きがいいですね」


「今年は梅雨も早めに終わったし、品質も良いからね。この前、組合もテレビ取材を受けてその事を伝えたから、結構みんなに知られてるのかも」


「そうなんですか」


「あっ、そうだ。少し清太に任せて休憩にしようか。桃をむいてあげるから」


 遠慮する結羽の前で、母は桃を手に持ちながら、果物ナイフで器用にむき始めた。それを紙皿に置いて楊枝を刺す。差し出された皿の前で、結羽は「ありがとうございます」と言って、一口食べた。


「美味しい! みずみずしくて甘さもちょうど良いです」


「フフ、ありがとう。そう言ってもらえるのが一番嬉しいわ。どんどん食べてね」


 母が答えると、結羽は次の桃に楊枝を刺した。すると彼女はそれを清太の前に差し出す。


「はい。清太くんも食べて」


 目の前に急に差し出された彼女の手にドキッとする。そして、その楊枝にそっと手を伸ばした時、少しだけ彼女の指に触れた。彼女から視線をそらせてそのままその白い果実を口にする。みずみずしい水分とともに、口いっぱいに甘い香りが広がっていく。


「ありがとう」


 チラッと彼女の方を見てそう答えると、彼女も軽く笑顔を返してきた。


「あっ、そうそう。結羽ちゃんにお願いがあるんだけど」


 後ろから母が声を掛けて、結羽がそちらを振り返る。


「よかったらなんだけど、ウチの安那の受験勉強を少し見てあげてくれないかしら。あの子も勉強していない訳じゃないんだけど、この前の模試の結果が悪かったみたいで少し落ち込んじゃってね。結羽ちゃんなら、きっとあの子も話を聞いてくれると思うんだけど」


「安那ちゃんですか。でも、私なんかで大丈夫でしょうか」


「大丈夫よ。毎日じゃなくても、毎週1、2回だけでもいいんだけど。しばらくの間だけ、ウチに来て教えてくれないかしら。もちろん、バイト代は払うから」


「いえ、そんなのはいいんですけど……。でも、分かりました。いいですよ」


「良かった。じゃあ、詳しいことはまた打ち合わせようか。清太の連絡先は知ってるよね?」


「はい。大丈夫です」


「じゃあ、改めて清太から連絡させるから。ちょっと今日は畑の方も忙しくてね。私もう戻るわ」


 それだけ言って母は再びテントを去っていった。

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