第14話 百倍やった女

「百倍やろうね」

 幸子さんは、もの心ついた時から、お母さんがそう言うのを聞いて育ちました。

「うん。百倍やるよ」

 幸子さんは、それが靴下をはくことや、お皿を洗うことでも、計算ドリルや漢字の書き取りだとしても、一生懸命お母さんの言うとおりにやりました。

「お前の足は、どうやっても治らない。だけと、そのほかの部分では、努力すれば、絶対に人に勝てるんだよ」

 お母さんはそう言いました。

 幸子さんは友達と遊ぶ時間もほとんど持たないまま、勉強をしました。母子ふたりの生活でしたので、仕事に忙しいお母さんの代わりに家事をしながら、台所のテーブルで宿題や予習・復習をしました。

 夕方、お母さんは仕事から帰ってくると、まず幸子さんのやっていた勉強を確認します。そして、ノートの中の大事なところ、学校の小テストで間違えた問題を全部、チラシの裏に書きます。

「これ、やっておきな」

 お母さん手づくりのテストには、丁寧に名前を書く欄までありました。そして、幸子さんが沸かしておいた風呂に入るのが日課でした。

小学校から高校入試まで、お母さんが勉強を見てくれました。お母さんは勉強がそれほど得意ではありませんでしたが、塾に行かせるお金がもったいないので、本屋で分厚い参考書を買ってきてがんばって勉強をしました。

中学二年くらいからは、お母さんの教え方は、幸子さんにしか通用しないものになったのですが、(その解き方、ここに出てる。よく読んで、考えて。わかったらお母さんに言いなさいというような教え方なのですが)幸子さんには、ちゃんとヒントになっていたのでした。

その上、お母さんに聞いてもよくわからないという緊張感は、幸子さんを余計に授業に集中させました。実技のない五教科はずっと「5」でしたが、体育、美術、音楽、技術・家庭科は「3」や「4」で5はとれないのでした。

ペーパーテストはほぼ満点でしたので、「3」はないのではないか、とお母さんは三者面談のたびに先生に訴えました。

先生は黙ってうなづいていましたが、時々あきれて横を向く顔が、幸子さんを恥かしくさせて、たまらないのでした。

運動神経も、美的センスも、音感もないのは自分が一番良くわかっていましたし、正直、こうした教科が大嫌いだったのですから。

そんな時、家に帰るとまたお母さんは言うのでした。

「百倍やったの?」

 台所のテーブルに向かい合って座って、左手のデッサンや、刺繍の練習をしました。お母さんは、こうしたことは、得意でした。そして、チラシの裏に手本を描いて、同じように書くように言うのでした。

「人生っていうのは、苦の娑婆なんだから。辛いことがあったって、つらいなんて思うほうがおかしいんだよ。がんばるしかないよ」

そんな風に言って、お母さんは時々、おいしい煮物やてんぷら、お浸しなどを作ってくれました。カレーやサラダは幸子さんでもできますが、こうしたものをたまに食べると、幸子さんは自分の料理はなんてまずいのだろう、お母さんは我慢をして食べているのかもしれない、と思うのでした。

お母さんはさっさと風呂に入って、晩酌を始めます。

そして、勉強をする幸子さんの前で、いつも同じ話をします。

「お前も大変だけど、勉強なんか遊びみたいなものだろう。ちゃちゃっとやるしかないよ。・・・お母さんなんかさ、お前が生まれてすぐにお父さんが死んじゃって、すぐに働かなくちゃならないから、お前は隣の奥さんのおっぱいを飲んで育ったんだもんね」

 幸子さんは、正直、この話だけは聞きたくないのでした。当時は大きな家にローンを払いながら住んでいたので、隣の奥さんという人がどんな人だったか顔もわかりませんが、他人のおっぱいを飲んだ自分を想像すると、なぜか気持ちが悪くなるのでした。

「ああ、情けない。自分のおっぱいは湯水のように出るのにね。お母さんはおっぱいをかまぼこ工場のトイレで捨ててさ。あん時は痛かったな。寒い頃だったしね。それで半年検診で、お前の足が曲がっているなんて言われてさぁ・・・。あの時はねぇ、お母さん、お前を負ぶって電車に飛び込もうと思ったんだよ」

幸子さんは、ほとんど聞いていないのに、うんうんとうなづきながら、デッサンをしています。

「でも、生きていればいいこともあるね。お前とこうしている時、お母さん、悪くない気分だよ」

お母さんのつまんでいる、さんまの煮付けの汁が、デッサンを描いているチラシに飛びました。

一瞬、幸子さんは、眉を八の字に曲げましたが、お母さんのご機嫌そうな顔を見て、まあいいや、と思いました。

「はい、おしまい、もういい。風呂に入っておいで。ご飯だよ」

お母さんは、年をとるごとに少しずつ厳しさがゆるくなっていきましたが、高校入試まで、この特訓は続きました。

幸子さんは、お母さんの言うとおりにがんばって、高校も大学も希望通りに特待生として学費免除になりました。家庭教師のアルバイトで家計も助けました。

そこまでは良かったのですが、就職活動で初めて挫折を味わいました。周囲がどんどん合格していく中で、なかなか内定をもらえず、公務員試験にも落ちました。学科試験が良く出来ていたので、やはり面接で落ちてしまいました。

「人の百倍やって、それでも足りない。しょせんこの世は、見た目と金とコネだね」

お母さんはそう言ってため息をつきました。

「人生っていうのは、苦の娑婆というからね」

『くのしゃば』

小さな時から聞かされてきたこの言葉が、『苦の娑婆』という字を書くのだと知ったのは、実はこの就職活動中が初めてでした。

やっと内定をもらえた会社は、私鉄系の広告代理店でした。お母さんは、

「つぶしの利かない水商売か」

と言った後で、満面の笑みでこう言いました。

「お前を採ってくれるなんて、見る目があるよ。きっと将来性のあるいい会社だよ。お母さん、人事課の人に、リンゴでも贈りたいな、住所聞いてきてよ」

贈り物は、旬の果物が一番だと信じているお母さんは、その時もリンゴを贈りたいと言ったのですが、それはしないでいいと、幸子さんが言いました。

配属された営業所では、営業も、販売も、製作も、事務も、もちろんお茶汲みも、何でもやらなくてはならず、それが「百倍」をモットーとしてきた幸子さんの性に、大変合っているのでした。

三年ほどして、幸子さんは、仲良しの先輩からプロポーズされました。ドライブや食事に何回か二人で出かけたことはあるのですが、結婚なんて考えてもいなかったのです。

ある日、家まで送ってもらう車の中で、先輩は言いました。

「君は専業主婦になってラクをしたいなんて言わなそうだから、好きだな。結婚しよう」

家に帰ると、お母さんはテーブルに座って焼酎を飲みながら、テレビを観ていました。幸子さんの顔を見ると、

「風呂に入っておいで」

といつものように言いました。

湯船に浸かり、幸子さんはここからずっと出たくないような気がしました。どうしたらいいのかわからなかったからです。

自分のような者にプロポーズをしてくれたというだけで、先輩には感謝すらしていました。しかし、お母さんをここに残して一人でお嫁に行くことなんかできないだろうと思っていました。

何日かして幸子さんは、お母さんに話しました。お母さんに反対して欲しかったのです。

『お前は結婚なんかしないでここにいればいい』

そう言うに決まっていると幸子さんは思っていましたから、もう二度と先輩と出かけない。いいきっかけになると考えました。

ところがです。

お母さんの言葉は、今までの幸子さんの人生で最も意外なものでした。

「その人が好きなのか」

お母さんは、少しあきらめたような、ほっとしたような声で聞きました。

幸子さんは、戸惑いました。

「そんなこと・・・。結婚と、好きとは違うでしょう」

幸子さんが照れて言うと、

「お前も変なこと言うね。好きじゃない男と結婚してどうするんだよ。ねぇ、お父さん」

お母さんは、立って行って、仏壇に線香を上げて、いつものようにおりんをせわしなく三回鳴らして、手を合わせました。

いつもより長く、そうしていました。

「お前は料理でも何でも、小さいときから仕込んできてるからね。いつでもくれてやれるよ」

お母さんは、戸棚からグラスを出して、焼酎を注いだり、つまみを用意し始めました。

「結婚しても、いいの」

幸子さんは、お母さんの背中を見ていました。

「当たり前だろう。それを望まない親がどこにいるよ」

幸子さんは、いまさらながら、結婚が現実味を帯びてきて、胸が少し、熱くなりました。

「お母さん、どんな人か、聞かないの」

幸子さんは、お母さんが切った明太子が入った皿を、テーブルに運びました。

「お前が好きになった男なら、いい男なんだろうよ」

お母さんは、明太子の端をつまみ食いしました。


「忙しくなるね。嫁入り準備だ」

お母さんは、幸子さんのグラスに少しお酒を注いで、二人で乾杯をしました。

幸子さんは、苦手な焼酎をなめながら、先輩が好きかどうかを考えていました。

好きと結婚は違う、と幸子さんはまた、思っていました。

先輩に対して、好ましいと感じているのは他の人よりも、仕事ができるところです。

がんばれる人なのです。

そんなところは、自分と似ているかもしれないと思っていました。

半年後、幸子さんは、ジューンブライドになりました。花嫁だけに降り注ぐ、まぶしい光につつまれた笑顔の幸子さんを見て、お母さんは、式の間ずっと、笑いながら泣いていました。

幸子さんは、お母さんが泣くのを初めて見ました。

「ああせいせいしたよ」

「やっと、苦労の種が出て行ったよ」

そう言いながら、ウェディングドレスの肩を叩いて、笑って、泣いていました。

次の年の夏に、幸子さんに男の子が誕生しました。

ぽろろんと胎内から赤ん坊が出て行った感覚のあとで、激しい痛みを押し殺し、幸子さんはただひとつの言葉を叫びました。

「足は曲がっていませんね?」

産婦人科の院長先生は、幸子さんのことも取り上げてくれたおじいちゃん先生でしたので、健康な赤ちゃんの誕生を喜んでくれました。

「ほら、見てごらん。すごいよ」

そう言いながら、まだ臍の緒がつながったままの赤ん坊を、幸子さんのお腹の上に立たせました。

血まみれの赤ん坊が、か細い足を、よろよろと左・・・、右・・・と交互に出していました。

「ほうら、すごいねぇ。これは原始歩行というんだ」

院長の興奮した様子に、幸子さんは、本当に健康な子なのだ、とほっとしました。

同じ頃に出産をした、母親五、六人を集めて行う育児指導で、見本になるのは、いつも幸子さんの赤ちゃんでした。

正常の証である、両手をびっくりしたように上げる『モロー反射』『原始歩行』、そして、おっぱいの飲み方・・・。

うっすらと白い膜がかかったような肌で、まだよく目も開かない様な幸子さんの赤ちゃんは、まっ裸に大きなオムツ姿で、いつも一生懸命に見本を演じてくれました。首をうなだれ、疲れきった表情で、必死に見本になる我が子に、幸子さんは感動すらしていました。

この子は、百倍の努力の結晶なんだ・・・。

いつでも、誰もが、こんな風に言ってくれました。

「なんてお利口な子なの」

「素敵な赤ちゃんだわ」

幸子さんは心底、幸せでした。何て親孝行な子だろうかと、思いました。

福ちゃんと名づけられた赤ん坊は、生まれて三ヶ月の時にはもう、保育園に預けられました

旦那さんのお母さんは

「まあかわいそうに。私が面倒を見るわよ」

「せめて三歳までは保育園に入れたらだめよ」

福ちゃんを抱きしめて言いました。幸子さんはが旦那さんの顔を見ると、うなづいてくれましたので、そうしようかな、と幸子さんは思いました。

しかし、幸子さんのお母さんの反対で、それはなしになったのです。

「ありがたいけどさ、子育てっていうのは、そんなに甘いものじゃない。向こうのお母さんには無理だから、プロに任せておけばいい」

幸子さんのお母さんと、旦那さんのお母さんとは分かり合えない部分がどうしてもあって、それはもう、どうしようもないのですが。

幸子さんのお母さんに言わせれば、旦那さんのお母さんはあまりにものん気な怠け者なのだと言うのです。

「今の生活が永遠に続くと信じて、コーラスだフラメンコだのって、毎日がお祭り気分。あんな人に孫を見る覚悟なんかあるもんか」

幸子さんはお母さんの言うことに反発を感じたとしても、どうしても心のどこかで納得してしまい、同じように見てしまう自分がいるのでした。

旦那さんのお母さんは、とても残念そうでしたが、

「じゃあ、何かの時には頼ってね」

と言ってくれて、実際にそうなることも多いのでした。

経済的に恵まれた専業主婦で、精神的にもゆとりがある旦那さんのお母さんと、食べるために今も必死で働く自分のお母さん。

女の人生には、いろいろあるのだと幸子さんは思いました。自分はといえば、そのどちらにもなりたくないのでした。何せ幸子さんは、人の百倍やらないとならないのです。十倍やっていてもその十倍も足りない。常に不足しているという焦りとともに生きていました。そしてそれは人として生まれた限り、正しい生き方だと信じてもいました。

 築五十年の小さな貸家で生まれ育った幸子さんには、大きな一軒家に住み、福ちゃん良い学校に入れて、一流の教育を授け、一流の人生を歩ませたい。そして、お母さんを迎え入れたい、という夢がありました。

 だからご主人と力を合わせて、まるで福ちゃんを乗せて走る、スーパーカーの両輪みたいになって必死に働いたのです。

幸子さんの給料には一切手をつけず、旦那さんのものだけで生活して、せっせと倹約をしました。

内緒ですが、福ちゃんが保育園にいる間、時々は旦那さんも幸子さんもお酒を飲んだり、気晴らしの恋なんかもして、結構楽しんでいました。

なるほど、仕事というのは、時として最高の隠れ蓑にもなるのだということを、幸子さんは知りました。旦那さんのお母さんのような専業主婦のほうが、かえって自由がなくて、働く女のほうにこそ、自由があるのかもしれません。

だけどそんなものはエンジンオイルみたいなもので、人生を楽しむためにはそんな遊びも必要だと、幸子さんに教えたのは旦那さんです。

稼げること、儲かることなら何だってする。そのために必要な体力、気力は、遊びから得る。旦那さんは、良く働き、遊ぶ人でした。

営業マンという仕事柄、家族と過ごす時間はほとんどありませんでした。しかし、幸子さんにとって最も恐ろしいのが、福ちゃんを乗せて夢へと突き進むスーパーカーが事故を起こしたり、故障して止まってしまうことなのです。旦那さんと自分が元気に働くことができれば、それで幸子さんはいいのでした。

福ちゃんが熱を出したり、伝染病の時には、旦那さんのお母さんが預かってくれました。時々、お母さんにもうつってしまい、大変な思いをさせてしまいました。だけど、そんな時には、謝礼をうんと弾みました。

そんなある日のこと。

旦那さんが貯金通帳を見せてというのでした。幸子さんは、定期預金二冊と、普通預金の通帳を見せました。

幸子さんは、お母さんに成績表を見せる時の気分になって、旦那さんを上目遣いで見ていました。旦那さんは厳しい表情をしていましたので、失望を先回りして、叱られる覚悟をしているところも、昔のこども時代を思い出させました。

「よし、思った通りだ」

旦那さんは顔をあげると、ほっとしたように幸子さんを見ました。

「ありがとう、よくやった。君と結婚して六年。やっぱり僕の目に狂いはなかった。独立しよう。二人で会社を始めよう」

旦那さんは幸子さんをねぎらうように、背中をとんとん叩きながら、抱きしめました。

旦那さんの幸二という名と、幸子さんの名、そして福ちゃんの名を全部入れて、『トリプルハッピー』と名づけた新会社は、南青山のビルの一室を借りてスタートしました。

広告代理店の顔を持ちながら、広告戦略と経営コンサルティングを合わせて提供する、総合経営プロデュース業を目指すと、旦那さんは言いました。

事務所のドアを開けると、旦那さんが左で、幸子さんが右の机。間の壁には元同僚たちがプレゼントしてくれた大きな柱時計。

机にはそれぞれ、電話とパソコンが置かれ、ファクス付のコピー機と、応接セットと小さな冷蔵庫。それが最初の事務所のすべてでした。

幸子さんは毎日出社をして、電話での応対や営業、ダイレクトメール送付作業、接客などを担当しました。最初の三年は本当に苦しい時でした。

大看板を失って、一から仕事をもらうことの厳しさは、独立した者でなければわからないでしょう。しかし、旦那さんには、持ち前のガッツと、粘り強さがあり、収益を上げるようになったのです。

親孝行の福くんは、旦那さんのお母さんが保育園の年中から塾通いをしてくれたおかげで、めでたく一流小学校に入りました。それに合わせて、幸子さん一家は、郊外から都心に引っ越しました。中古の家を買い、中古の外車を買いました。

幸子さんは満足でした。心の中で、何回も何十回もガッツポーズをしました。幸子さんは、自分の前にいた、何百人もの平凡な女たちを、右からサーッと抜き去ったのです。

自分の前に多くの人が背中を見せて走っている焦燥感や、絶望感とともに生きてきた人生でしたが、世界は一変したのです。

しかし、抜き去ったつもりの世界には、生まれながらのお嬢様がそのまま母親になったみたいなお嬢様ママが、わんさかいました

その世界で、また幸子さんは多くの人の背中を追う立場になっていました。

真の金持ちというのは親から受け継いだ色んなものを所有しています。ハンドバッグひとつ、車から家まで、自分で苦労して一から買いそろえる必要がないのです。

簡素に見えて、すべてが一流品でした。だけど幸子さんには、親から受け継いだものなんかひとつもありませんから、一流品をそろえるのにとても経費がかさみました。リサイクルショップやレンタルを利用して、たくさんの一流品を持っているように見せることにも腐心しました。

ただ、幸子さんには会社がありました。他のお嬢様ママたちは、ボランティア活動に精を出して、幸子さんのように稼ぐことに躍起になる人はいなかったのですが、幸子さんは会社が唯一のプライドでした。

仕事はいつも幸子さんを待っていてくれて、そこへ行くと自分の机と椅子があり、日本中、世界中に無尽蔵のお客様がいる。まして自分の会社というのは、どんなに力を尽くしてもやり過ぎというはこともない。どんなにやってもかまわない。がんばった分だけ収入が増える。

その世界でだけは、幸子さんは自然体でいられるのでした。幸子さんは今まで以上に貪欲に仕事をしました。

売り上げの伸び悩む企業や店舗の広告を、今や最も裕福なリタイア世代に向けて発信すること。つまりは、健康・美容・安全。この世代がもっとも求めていることの不安をまずはさんざん煽っておいて、そして手を差し伸べるやり方を提案したのは幸子さんです。

不安に対して、人はいくらでもお金を出すのです。それは小さな頃から幸子さんは、よそのお母さんに対して感じてきました。学習塾、予防接種、流行の服など、どれも『あんなものは商売だから、私はだまされないよ』というお母さんの言葉で、与えてもらわなかったものです。

不安と安心。

これはどんな商売の広告戦略においても、通用するものでした。

幸子さんが提案したアイデアを、腰が低く愛嬌のある旦那さんが売り歩く。二人三脚はうまく回りました。旦那さんには、だんだんと経営者らしい風格が備わっていくのが感じられました。

夢は次々とかないました。最初の家は売り、一等地の高層マンションに移り住みました。庭で虫を採ったり、地面に穴を掘って水を入れて、ハダシになって遊ぶなどすることが好きだった福ちゃんにとって、高層マンションは外に出づらいから良くないと、旦那さんのお母さんが言いました。そこで、幸子さんは、積極的に森林キャンプや海洋キャンプに参加させました。おばあちゃんと庭で遊ぶより、同じくらいの年齢の仲間と一緒のほうが、楽しいに決まっています。

旦那さんのお母さんには、

『福ちゃん、知らない人とキャンプに行くのは辛いって泣いていたわよ』

と言われましたが、私は旦那さんのお母さんの作り話だと思いました。

中古車は売り、ピカピカの外車も買いました。三階建て自社ビルを建て、従業員は二十人に増えました。旦那さんは幸子さんのお母さんに、同じマンションに引っ越してくるようにと言ってくれました。 

しかし、幸子さんのお母さんは、全然喜んではくれませんでした。

「そんなことより、最近、福ちゃんちょっと元気がないから、仕事は旦那に任せて、お前は今、一番大事な時期の福ちゃんを、見てやれ」

その言葉を、百回くらい幸子さんに言うのでした

福ちゃんは、あんなに良い子だったのに、中学に入った頃から無表情になって、何も話さなくなり、何を考えているのかさっぱりわかりませんでした。しかし、旦那さんが、『学校の成績が良いのはがんばっている証拠なのだから、そっとしておこう』と言うので、幸子さんもその言葉にすがって、気にしないようにしていました。

仕事は今、最もうまみのあるところでした。ここまで苦労してがんばって、一番おいしいところを他人である社員に持っていかれるのは、悔しいのです。だから、幸子さんは、会社に出続けました。

幸子さんは、お母さんの苦言を聞き流すようになっていました。『百倍の努力』だとか、『苦の娑婆』なんていうのは、間違っていたのではないかと、お母さんを、疑うこともありました。

お母さんは確かにがんばった。だけど、悲観的に過ぎたのではないか。いつだって、こんなのじゃ足りない。人生は苦の娑婆。

そんなことを呪文のように繰り返して、幸せが来るだろうか、と。

なんといっても安定航行を始めた会社の経営ほど、楽しいものはありません。事業計画の中に、社会貢献を加える余裕まで生まれてきて、幸子さんはかねてから興味のあった身体障害者スポーツへの寄付や、大会ボランティアなどの活動を始めました。

水泳大会や陸上競技会の手伝いをするたびに、幸子さんは感動して、涙が出ました。選手達はどんな障害があろうと、いい顔をしていると思いました。そんな場所にまで、お母さんは電話をしてきました。

「福ちゃんのことで話があるから、今日うちに寄りなさい」

幸子さんは久しぶりに実家のお母さんを訪ねました。福ちゃんはなぜかこの古い貸家が好きで、良く泊まりに来ているのですが、幸子さんは忙しくて訪ねる暇はないのです。

お母さんは、昔は夏でも冬でも窓を開け放って、家中を水拭きしているような人でしたが、この日は窓もカーテンも閉め切った薄暗い部屋で、電気をつけていました。

「何が悲しくてこんな貧乏な街に泥棒が出るんだろうね。このごろは家にいても窓は開けないんだ」

お母さんのさびしげな顔を見て、幸子さんは胸が締め付けられました。

「だから、お母さん、うちのマンションに来てよ」

冷蔵庫も、ガス台も、昔のままです。幸子さんのマンションの最新式の家電に比べたら、目を覆いたくなる代物でした。

お母さんは、怒鳴り出しました。

「冗談じゃないよ。そんな、婿が買ってくれたマンションに住んで、事務所の掃除婦をやれば金をやるって?馬鹿にするのもほどがあるよ。私はここで生きて、ここで死ぬんだ。ほっといてくれよ」

テーブルから立ち上がって、背中を向けて洗い物を始めました。

何が何でも、ここを出て、幸子さんのマンションに引っ越してきてもらいたいのですが、お母さんは家の話をすると怒るだけです。

幸子さんはお母さんの横に立って、昔のように布巾で洗ったものを拭き始めました。

お母さんは年を取った。お椀の裏に泡がまだ残っている。こんな事、昔なら絶対になかった。今のマンションはね、洗い物なんかみんな機械がやってくれるのよ・・・。

「だからね、お母さん。事務所のお掃除なんて、建前なの。何も、大変な思いをしてもう病院の掃除なんかに行かなくても、私のところに・・・」

お母さんは水道を止めて、

「図に乗るんじゃないよ」

と、幸子さんの手から布巾を引ったくりました。

布巾の端が幸子さんの顎を、ぴしっと鞭みたいに叩きました。。やっぱり、この世で一番この人が怖い、と心臓は破裂しそうにどきどきしていました。

「福ちゃん一人、面倒見られないお前が、何が親の面倒だ。最近はボランティアだかなんだか知らないけど、しょっちゅう出かけて。百人の他人に親切にできて、たった一人の息子が見られないかっ」

お母さんの言葉は、いつも日本刀みたいに、幸子さんの心をまっぷたつに切ります。幸子さんの心は、一気にあの、万人の一番後ろから、足をひきずって追いすがって生きているような日々に戻されました。

築いたものなど、煙のように消えてなくなりそうでした。お母さんに喜んでほしくて、百倍がんばってきたのに。

ほんのひとつだけの気がかりは、確かにありました。

しかし、その上には、きらびやかな夢や、豊かな財、無限の可能性もある。ひとつの気がかりは埋もれてしまって、ないものとしてみんな認めてくれている。

世の中のすべての人は、そう思っているのに、自分さえもだましてきたのに、この人だけは、お母さんだけはたったひとつの気がかりをほじくり出して、幸子さんの顔の前に突きつけて怒っている。

福をどうするのか、と。

幸子さんが目に涙をためて顔をあげると、お母さんは口を真一文字に結び、鬼みたいな顔で立っていました。

「何でお前が泣くんだよ。泣きたいのは福ちゃんなんだよ」

お母さんはそれで涙を拭けというのか、布巾を幸子さんにぶっきらぼうに渡すと、テーブルに座って、もうほとんど残っていなかったお茶を飲み干しました。

「福が・・・、お母さんに何か言ってた?」

幸子さんは、布巾を水で洗うと、干しました。

「お前は何を見ているんだよ。何か言わなきゃ、わかんないかい」

お母さんは、振り向いて、幸子さんを見上げました。

「お前は親だろう。私なんか、お前が何を考えているかなんて、手に取るようにわかったよ」

幸子さんは、流し台に両手をついて、身体を支えました。

「顔を見りゃ、全部わかるだろうよ。顔に書いて帰ってくるだろう。お前みたいにさ。『今日は男子に足を蹴られて泣いた』とか『今日は体育で五十メートル走が辛かった』とかさ」

幸子さんは、目を閉じました。懐かしい痛みが蘇りました。遠く、二度と戻れない、戻らなくて良い世界で、今でも小学生の幸子さんは、めそめそ泣いているようでした。

幸子さんは、急須に湯を注ぎ、お母さんの湯呑みと、自分の湯呑みにお茶を注ぎました。新鮮な緑茶の香りが立ちのぼります。

「福が何を考えているか、わからない」

幸子さんは、お母さんの前に座って、手を組みました。

テーブルには、無数のシャーペンやボールペンの跡が、残っていました。わからないことは、ここで勉強したものだった。お母さんの背中を見ながら、何時間も。

「わからないなんて、ありえないんだよ。お腹にいる時から、こどものことをずっと見ていれば、全部わかるんだ」

「・・・・」

幸子さんは、昔、お母さんは絶対に日記を盗み見ていると思っていました。なんでもかんでも当てるからです。だから、必死で色んな場所に日記を隠しました。しかし、それでも変りませんでしたし、

『今日はナプキン持って行けよ』とお母さんが言えば、その日に必ず生理が来るのも、まるで魔法みたいでした。

「お前は生まれてからずっと、他を見ていたさ。テレビを見たり、教科書を見たり、花火を見たりさ。でもね、親っていうのは、ずっとこどもの顔を見ているんだよ」

お母さんは、昔に勉強を教えてくれた時みたいに、人差し指と、中指をくっつけた指先で、テーブルをとんとん叩きながら話しました。

幸子さんが何かを言いかけると、バッグの中で、携帯電話が鳴りました。鳥のさえずりの着信音は、旦那さんです。

「なんだ、こりゃ」

お母さんは、天井を見回しています。

「電話。だけど、いい、出ない」

幸子さんは、テーブルに肘をついて、両手で顔を覆いました。

「よくないよ、早くでなよ」

お母さんが大変なことみたいに言いましたが、電話は切れました。

お母さんの前で、旦那さんと話をするのは、苦手です。元気で幸せな女をいつも、演じているのかもしれません。それをお母さんに見られるのは、恥ずかしいし、裏切るような気もします。

「ほら、そうやって、まったく心ここにあらずだ。誰がやってもかまわないようなことは必死でするくせに、代わりのいない福ちゃんのことは、ほったらかしだ」

お母さんは、腕組みをしました。

心底、厳しくて、正直な、この世で唯一の人です。もしかしたら、今も幸子さんを、じっと見ているのでしょうか。

旦那さんを見たり、福ちゃんを見たり、会社を見たり、花火を見たり、今も両手の中で泣いている幸子さんを、見ているのでしょうか。

「私ね、福が怖いの」

幸子さんは、両手の中で、顔をくしゃくしゃにして、泣きました。

「福はね、私みたいに、いい子じゃないのよ」

幸子さんは、テーブルに突っ伏して泣きました。湿った木と、油のような、このテーブルの匂い。

私はここにいた。

いつもここにいた。

どうして過ぎたことは、きれいに見えるのでしょう。ここで、この台所のテーブルで、お母さんと『百倍の努力』をしていた時代が、今は澄みきったダイヤモンドみたいに見えます。

もしもあの頃に戻って、もう一度やるかと言われたら、お母さんと二人、ここにいたいような気がしました。そうしたら、もう、どこにも行かないで、一生、お母さんとここにいればいいと思うのでした。

「馬鹿っ」

お母さんは、幸子さんの頭を叩きました。頭頂部がぴんぴん痛みました。お母さんは拳骨の中指だけをトゲみたいに突き出して、叩くのが得意ですが、いったい叩かれたのなんて、何年ぶりでしょう。

「福ちゃんはお前に叱られたくて、わざと悪いことをしているのが、わからないのかよ」

お母さんは、幸子さんの髪を、ぽんぽんと軽く叩きます。幸子さんは、頭を振りました。

「もう、いやだ。どうしていいいかわからない。福のことはお母さんがやってよ。福はお母さんが好きなんだから」

お母さんは、ため息とともに、頬杖をつきました。

「どこで間違ったかね。勉強も仕事もできるけど、子育ては落第かよっ」

落第・・・。幸子さんの辞書にそんな言葉はないはずでした。

「だって・・・努力したって・・・」

「努力じゃないよ。福ちゃんを見るのは面白いだろう。こどもを見るのは親の唯一の趣味で、特権じゃないのかよ」

幸子さんは、長い時間、泣き続けました。

福ちゃんを見ることよりも、仕事のほうが面白い。

それも、何倍も。

仕事はやったらやっただけ、成果が上がる。

だけど、子育ては、やってもやっても面白いことなんかない。成績が優秀なのは確かに安心だけど、何を考えているのかわからないで、怖い。共通の話題がない。いつのまにか、他人みたいになってしまった。

お母さんは言いました。

「いくら私が福ちゃんにしてやっても、だめなんだよ。いくら私が福ちゃんを見ても、わからないこともあるんだ。どうしてかね。大体はわかるけど、奥のところに何かがあってさ」 

お母さんは、やはり、年をとった、と幸子さんは思いました。こんな優しい言い方も、するようになったのですから。

「もう遅いよ」

幸子さんは、母さんに甘えるように言いました。

「遅いもんか。福ちゃんはお前を待っているんだから」

そんなことない、と幸子さんは思いました。

福は私と違う、と言いかけて幸子さんはやめました。

さんざん泣いて、幸子さんは、昔みたいに、テーブルに伏せて眠ってしまいしまた。そして起きて、お母さんの作ってくれたけんちん汁とご飯と漬物を食べました。

そして、お母さんの言うことを信じてみようと思ったのでした。幸子さんは温かなものをひとつ胸に灯して、帰りました。


その日福ちゃんは、塾に行かず、電車に乗っていました。新宿まで行って、それから今度は、小田原に向かっています。いつも塾をサボる時、使う手です。小田原に着いて、家に戻ればちょうどいいということは、もう何回もやっているから、わかっていました。

だけど、今夜はもう、戻りません。

福ちゃんにはもはや、どこにも居場所はありません。

中学校でも、塾でも、同級生三人からひどくいじめられています。休み時間に、屋上やトイレで殴られたり、水をかけられたり、蹴られたり、お金を取られたりしています。

福ちゃんが『死ぬ』までいじめはやめないと言っています。だから、福ちゃんはもう自分が死ぬしかないことは、はっきりとわかってるのです。

小学校二年生からずっと人をいじめていじめ抜いて、六年生の時に自殺未遂にまで追い込んだ自分だから、誰よりもよくわかっています。

電車の窓は、鏡になって、白っぽい福ちゃんの顔を映していました。

福ちゃんは長い、長いメールを打ちました。


『それにしても、疲れてしまった。これはなんだろう。生まれたときからずっと続いている、この疲れ。

いらいらだとか、何かに追いかけられている感じとかがあって、僕はそれがつらかった。

ごめんね。おばあちゃん。

お小遣いくれたのに。何回も万引きでつかまるたびに、警察に来て、謝ってくれて、僕をかばってくれて、ありがとう。

最初はコンビニで、おかしとか、ボールペンを盗った。お財布には、いつも親が三万円を毎日入れてくれていたけど、僕は十五円のガムを盗んだ。そうすることで、心の中がすっきりした。

だけど、だんだんそれもつまらなくなって、弱そうなやつをいじめた。

「お前が学校に来ると迷惑なんだよ」

とか

「みんなお前のこと、くさいとか、うざいって言ってるよ、どうする」

などと言った。

みんな面白いように不登校になるんだ。弱いやつらだよ。親が怒鳴りこんできて、わーわー言って、そんなに愛情かけて育てて、不登校ですかって、僕、本当にそのたびに、救われる感じがした。

うれしかった。だって、親の愛情なんかあってもこの程度なんだなって思ったから。

教室でシャーペンとか、財布を盗んで、弱いやつのせいにするいじめは超、たのしかったよ。

 腹をかかえて笑ってしまった。

 トイレや屋上で暴力を振るういじめは、がり勉の僕の、唯一の運動だった。人を殴ったり蹴ったりするのって、すごくこっちも痛いからね。体力ないと、いじめもできないんだよ。

自殺未遂事件を起こしたAのことだけど、原因は、僕が園芸店で買ったPという薬剤を、公園で飲ませてみたことが発端だ。

P剤を牛乳に混ぜて飲ませたら、そいつが吐いて、僕達まで気分が悪くなった。どうやらP剤が気化したことが原因だったみたいだけど、頭に来てぼこぼこにしてやった。

明日はもっと飲ませる、と言ったら、その夜、そいつが首を吊ろうとして、縄跳びの縄が切れたというわけ。

あの時は、P剤をおばあちゃんちに隠して、『知らない』とウソをついてごめんなさい。

Aは中学に入って強くなって、僕をいじめるようになった。

中学に入って、様子が変わったのは、新入生がきたから。

新入生は庶民だから強いんだよ。ナイフも持ってた。俺はいきなり、右の手のひらを切られて、シャーペンが持てなくなった。

『死ねよ』

『早く死ね』

学校でも、塾でも、毎日言われた。

殴られ、蹴られ、ナイフで髪の毛を切られた。

P剤も飲まされそうになった。

万引きをさせられて、警察に捕まって、何回もおばあちゃんに迎えに来てもらった。

おばあちゃんはいじめのことも、気がついてくれて、学校にも来てくれた。だけど、余計にいじめられた。

いじめって、そういうもの。一度始まったら、誰が出ていこうが、たとえ警察が行こうが、自衛隊が助けてくれようが、死ぬまで終らない。

標的が死ねば、また新しい標的。

でもね、本当に殺したいのは、誰だと思う。

親だよ。

気に入らないのは、親。

できれば、二人とも殺してやりたい。

でも、関わりたくない。それくらい憎い。憎い理由は、たくさんありすぎて言えない。

僕の部屋にあった、小遣いでは買えない量の電気機器やソウト類。いじめたやつの動画や写真。

親は知っていたのに、何も言わなかった。

面談のたびに、僕がいじめていることを遠まわしに先生が注意しても、母親はこう言った。

『いじめているつもりはないのだと思いますし、仮にそうだとしても、いじめられた方は、絶対に強くなられます。私がそうでした』

あの人たちは、僕をテレビの中のキャラクターだとでも思っているんだよ。

僕の汗とか、体温とか、息遣いとか、知らないと思うよ。

そうじゃなければ、言えないよねっていう言葉、たくさん言われた。

あげればキリがないけど、いつも僕の『本当』はへし折られてきてる。僕の中に、例えば一本のツクシが自然に生えてきて、僕はそれがうれしくて、親に見せたとする。

そうしたら、親はそれを雑草だと引き千切って捨てて、死んだ造花を僕の魂に突き刺す。

たとえればそういう人生。

おばあちゃんに、僕からのお願い。

もしも、お母さんがお父さんに捨てられたら、助けてあげてね。

お父さんには、恋人がいる。僕は何度も家で会っている。

あの男は許さない。


僕が今までの人生で一番楽しかったのは、小学生の時に、おばあちゃんと行った、ミステリーツアー。

おばあちゃんが北海道だと言うと、九州だったり、山陰だと言うと、東北だったりして、向こうでコート買ったりしたこともあったね。

なつかしいな。

奈良の大仏のそばの、レモンのカキ氷、また食べたかった。

今まで迷惑かけてごめんなさい。

それから

もうひとりのばあばへ。

ごめんなさい。

悲しませて、ごめんなさい。

だけど、いらいらして、万引きとか、人をいじめないと、自分が生き延びることができなかった。

ばあばのかわいいところが、大好きでした。

いつも遊んでくれてありがとう。 福』


福ちゃんのメールが、二人のおばあちゃんの携帯電話に届く頃、福ちゃんは、夜の海で、P剤を飲んでしまいました。

福ちゃんの、モロー反射や原始歩行時代から続けてきた優等生人生が、終りました。


福ちゃんの遺体と対面した幸子さんは、大きな声で叫びました。

「ママはあなたの幸せのためだけに働いてきたのに、あなたは何をしているの」

 幸子さんは福ちゃんがどうしてこんなことになってしまったのか、さっぱりわからずに、ただ、泣きました。

ひとつ思い当たるのは、あのことでしょう。

百倍やらなかったから、だめだった。

人生なんて、やっぱり苦の娑婆なんだ。

幸子さんは、泣き続けました。

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