愛する――ずっと愛してきた人の名前を。
「ふう」
フェリシアーデは、喧噪を離れ、ひとり息を吐いた。
頼まれた仕事は簡単なものだったが、とにかく人手が足りないようだ。
ユルグとの話にも上ったが、この辺境の民たちは何かにつけて騒ぐのが好きらしい。
煩わしい――と思うのだが、同時に、とても好ましく思う自分もいる。
フェリシアーデは元来、静かな環境が好きな方だった。
フェリシアーデが嫁いだ惑星は静かだ。だが、同時にやかましくもある。
新しく彼女の家族となった、イナーカス準男爵家の面々。それはアェリシアーデの知る貴族とはまるで違う。
そして、そこの領民たちも。
距離感がおかしいのだ。
いや――
(おかしかったのは、私たちの方だったのかもしれない)
フェリシアーデは思う。
ここは、肩肘を張らなくてもいい。気が休まる、そんなかんじがする。
(アリス――アリシアも、こんな環境で育ったのだろうか)
彼女の太陽のような笑顔を思い出す。
(だとしたら、勝てないのも仕方ないな)
フェリシアーデは、大きく深呼吸する。
――気持ちがいい。
(ああ、やはり私は、この辺境のことも好きになっているようだ)
その自分の思考に対し、笑ってしまう。
「――――だけで、よかったはずなのだがな」
まあ、それも悪くないと、フェリシアーデはそう思う。
自分は自分で思っていた以上に強欲なのだろうか。慎ましやかに生きているつもりなのだが。
ともあれ、フェリシアーデは頼まれた食料のコンテナを、フローティナグカートに載せる。
これをテントに持って行くのが仕事だ。元公爵令嬢の仕事ではないが――文句を言うつもりは更々無い。
テントでは現役の伯爵家の奥方が芋を切っていた。中央の貴族社会とは常識が違うのだろう。
フェリシアーデはそれを受け入れている。そもそも、嫁ぐと決めたときから、華々しい中央の貴族生活に未練など無いのだから。
さて、そろそろ帰らねば。夫が待っている――
「……?」
空気が変わった。
これは――殺気だ。いや、違う。瘴気か。
魔物の気配だ。それも、宇宙オークや宇宙ゴブリン程度のものではない――もっと邪悪な。
そして、響く羽音。
「これは……」
フェリシアーデの前に現れたのは、大きさ五メートルぐらいの、宇宙ドラゴンだ。
この程度なら、問題ない。ドラゴンの中でも小型だ。まだ稚竜と言ってもいい。
「イモだけでは味気ないからな。夕食にちょうど良い」
そう言ってフェリシアーデは腰の剣を抜く。
全く、随分と野性的になったものだとフェリシアーデは笑う。
昔は、狩ったモンスターの肉を食べるなど考えもしなかったものだが。
そしてフェリシアーデは、ドラゴンに切りかかる。
フェリシアーデの剣は、用意に小型の竜を一刀に斬り伏せる――はずだった。
だが。
「なっ……!?」
その竜の首の付け根。
そこにあったのは、全長30センチはある巨大な眼球。そしてそこから延びる黒い触手。
フェリシアーデは聞いたことがある。
“邪神の瞳”――
宇宙モンスターに寄生し、精神や魂を喰らい、その見聞きした情報を邪神だか魔王だかに送っていると言われている、神話級宇宙モンスター。
寄生した魔物の力を数倍、数十倍に引き上げ酷使し、そしてその母体が力つきたら次の寄生先に乗り移るという。
歴戦の宇宙勇者でも苦戦すると言われている凶悪な魔物だ。
そんな魔物が、こんな星に――!?
そもそもこのシヴァイタールは、守りの要であの、成層圏にはバリヤーも張ってある。かつてユルグのウインドブルーム号を撃墜したのと同じものだ。
それなのに、バリヤーをかいくぐり、地上にいるなど、ありえない。
もしや何者かが――?
そんなフェリシアーデの混乱をよそに、邪神の瞳から延びた触手が、フェリシアーデの剣を掴む。
そして、容易にへし折った。
「ぐあっ――!!」
寄生された竜が、腕を振る。その腕にフェリシアーデは殴り飛ばされ、地面に転がった。
「がっ、うぐ……っ!」
まずい。
骨は折れていないようだが、叩きつけられて息が出来ない。
激痛で魔力を練ることも間に合わない。
邪神の瞳に寄生された竜が、近づいてくる。
竜の動きが緩い。これは疲労している、いや――力尽きかけているようにも見える。
そしてフェリシアーデは気づいた。
(これは――私に乗移る気だ!)
「ふざけ、る……な……」
そんなことは許さない。
フェリシアーデはまだ、目的を果たしていないのだ。
惑星イナーカスに嫁いだときに誓ったのだ。必ず、目的を遂げると。絶対にだ。
なのに、ここで終わるというのか。
嫌だ。
嫌だ。
「いや、だ……」
触手が延びる。
逃げようにも、身体が動かない。
痛みで動かない。そしてそれ以上に、あの巨大な眼球が、その深淵のような瞳の闇が、フェリシアーデを射抜き、恐怖で身体が動かない。
何も考えられない。
ただ。
「――――」
フェリシアーデは、その人の名前を、最後に呼んだ。
愛する――ずっと愛してきた人の名前を。
◇
「――こういう時に俺の名前を呼ばれると、なんというか、張り切っちゃうよな」
俺は。邪神の瞳とフェリスの間に割って入った。
触手は、俺の手足にからみついている。
――間に合った。
嫌な予感がして、テントでフェリスの行き先を聞いて向かったら、みれだ。
L3も騒いでいたしな。感謝だ。
「ユルグ……!」
フェリスが、俺の名前を呼ぶ。
振り返ると、全身が擦り傷だらけで、土にまみれている。
思いっきり殴られたか。骨は折れていないようだが、所々を痛めている。
それでも、生きている。生きてくれている。
「――てめぇ」
俺は、邪神の瞳に向き直る。
「よくも、俺の妻を殴ってくれたな」
後ろで、息をのむ気配がしたが、気にしないでおく。
俺の怒気、いや殺気に反応してか、触手が脈打ち始めた。
「いけない! ユルグ、その触手は――」
フェリスが慌てるが、問題ない。
「大丈夫だ」
こういうのは――慣れている。
何しろ、この星系は辺境だ。
宇宙における辺境――それは、俺たちの銀河とは別の宇宙と隣接している領域である、ということを指す。
何しろ辺境伯様は、外宇宙の驚異と相対するために、その血縁は蟲毒の壷もかくやというほどの戦いで鍛えに鍛えまくっているという話だ。
その寄子であるところのうちも、当然、そういった嫌ーな脅威に晒されているのは日常だ。
年に一度、こいつらの大群がやってくるからな。
俺も何度もたかられたし、二回ほど乗っ取られかけたこともある。
だったら何故無事なのか――
簡単だ。
邪神の瞳は、パスを繋げ、そこから魔力を流し、意識を乗っ取ろうとしてくる。
だったら、相手が流してくる魔力以上の魔力をぶちこんでやればいいだけだ。
親父にそれを言ったら、出来るのはお前ぐらいだと言っていたけど。
ちなみに親父やケルナー兄貴はそもそも筋肉というか、皮膚で弾く。流石に色々しおかしいと思う。
俺はユクリーンと違って、微細で繊細な魔術の構築など出来ない。だから、ひたすら力任せに流し込む。
「吹き飛びやがれ――――!!」
『GGYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
邪神の瞳は、沸騰するように全身を泡立たせ、そして――弾け飛び、消滅した。
もっとスマートに退治出来ればいいんだけどな。
「グルル……ゥ」
子ドラゴンが、ゆっくりと顔を上げる。
……力を吸われすぎててやつれているのか。あまり旨そうじゃないな。
だが、ドラゴンは俺に顔をすりよせきた。
なるほど。助けてもらった、と思っているのか。
まあ、結果はそうだな。
こいつはフェリスをぶん殴ったやつだが、操られていただけなら、まあ恨むのも筋違いだろう。
「……ユルグ……」
フェリスが立ち上がる。怖がらせてしまっただろうか。
「だ、大丈夫なのか? 邪神の瞳の触手に……」
「ああ、問題ないよ。全部吹き飛ばした」
「……すごいな。お前は……強いのだな。学園にもお前ほどの強さのものはいないぞ……」
「そうでもないぞ。妹と喧嘩したら俺は負けるだろうし」
「……それは、お前が家族に甘いだけではないだろうか」
「いや、俺って魔力が高いだけだからな。魔力容量が高いとそれだけで無敵、なんて都合良くいかないさ」
魔術を使うというのは、知識であり、技術だ。
魔力だけがありあまっていても、俺にはそういう適性が無かった。
「……そうか。だけど、本当に助かった……」
そして、フェリスはふらつく。
「おっと」
俺はその身体を抱き止めた。
……いい匂いがする。
香水の匂いではない。それでころか、たった今の戦いで、土と血の匂いすらするのに。
それとも俺はそういう匂いに興奮する性癖だったか? いやいやそれはない。
フェリスは、震えていた。
「――殺される、と思った」
フェリスは、俺の胸に顔を埋めながら、言った。
「私には、やりたいこと、やらねばならぬことがある。そのためなら何でもする、そう思っていた。
だけど、眼前に死が――
邪神の瞳が現れると、恐怖でもう、それどころではなくなった」
邪神の瞳の、麻痺の魔眼か。
その視線にやられると、恐怖で動けなくなるという精神攻撃だ。
「ただ、最後に思い浮かんだのが――」
皇太子の顔か何かだろうか。
「あなただった」
え、俺?
「最後に、会いたいと思った。色々と不満を抱かせただろう、不快に思わせただろう、重荷だっただろう、それを謝りたかった――
そしたら、来て、くれた」
「……」
「うれしかった。うれしかった、うれしかった。
今まで、私は英才教育を受けてきて、その使命に、期待に応えるべく、頑張ってきて――
そして、誰も私を守っても、助けてもくれなくなっていた。
それでいいと、私は思っていたが……
本当に、死を直前にしたとき、私は思い知ったんだ……
私は、こんなにも、弱くて……」
「もういい」
俺は、フェリスを抱きしめる。
強く、強く。
「ユルグ……」
「俺は、フェリス。君を……お前を不満に思った事など一度もない。そりゃ、最初にこの結婚話を聞いたときはふざけるなと思った。とっととこの星から逃げてやるとも思った。
だけど、お前を見たとき、そんな考えはなくなった。
お前とすごして、嫌なことなどなかった。重荷なんてことは全くない。
つらいのに、頑張ってるフェリスの姿に、俺は元気づけられ、癒されたんだ。
だから――自分を責めないでくれ。
俺が、君を守るから。
俺は、お前の夫なんだから」
そして、俺たちは見つめ合い――
どちらからともなく、口づけを交わした。
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