第24話


 劇が終わり、歓声が講堂に鳴り響いた。席に座っていた生徒たちも、立ち上がって拍手をしている。彼らの称賛に応えるため、出演者たちは客席に手を振りながら幕の前に出る。裏方の僕とエリィ、ピアノ担当のマッシュも舞台に上がる。主役のエベレストと敵役のペルシャを中心に横並びになり、みんなで手を繋いでお辞儀をすると、もう一度大きな拍手が鳴り響いた。



「楽しんでいただけたようでなによりですわ。それではみなさん、またどこかでお会いしましょう」



 エベレストが彼女らしい挨拶で締めくくり、僕らは歓声に包まれながら舞台袖にはけていく。

 全員が舞台から下がると、女子三人が手を取り合い、興奮冷めやらぬ様子できゃあきゃあと声を上げている。



「お疲れ」



 僕はペルシャに近寄り、肩を軽く小突いた。



「……ロイ様」



 ペルシャが僕の方を向いて言った。彼にしては動きが緩慢だ。



「拍手に圧倒されたのか?」



「……そうかもしれません」



 大勢から称賛を浴びるときはいつも、そのエネルギーの大きさに圧倒される。一人一人の感情が集まり、津波のように押し寄せてくるのだ。ペルシャはいつも進んで裏方に回るから、意外とこんなふうに生の感情をぶつけられることは少ないのだろう。



「いい悪役だった」



 そう言うと、ペルシャはふっと表情を緩めた。



「ありがとうございます」



 僕はペルシャに頷きを返した。



 と、そのとき舞台の方からどよめきが聞こえてきた。そちらを向くと、二人の生徒が舞台に立っているのが見えた。リアムとデズモンドだった。ざわめきがだんだん大きくなっていく。講堂の生徒たちの多くが二人のことを認識したらしかった。

 なぜ二人がいるのだろう。彼らは謹慎中だったはずだ。

 殺人を犯したとされる二人が今度は何をしでかすのか。舞台袖から見える生徒たちの顔には怯えがあったが、それだけではないようだ。これから、また何か刺激的なことが始まるのではないかと、期待の色も浮かんでいた。



「人殺し!」



 誰かが叫んだ。それを皮切りに、リアムたちを罵倒する言葉が次々と投げられる。



「聞いてくれっ! 俺たちはやってないんだ!」



 魔信がリアムの声を拾い、増幅された音声が生徒たちの声をかき消した。



「本当なんだ。本当に俺たちじゃない! ルビィ・リビィをいじめたことは認めるさ! 俺がそういうやつなのは認めるよ! でもひ、人を殺すなんて、俺がそんなのするわけないだろ? なぁ、普通に考えろって。そんなこと、普通の人間はしねぇだろうが!」



 リアムの声には余裕がなかった。舞台の袖から見ている僕には、彼が精一杯強がっているとわかった。口が引きつっていて、うまく笑えないみたいな顔をしている。



「嘘つけ! お前ら以外にいないんだよ!」



「言い逃れようったってそうはいかないわ!」



 舞台の下から怒声が飛んでくる。リアムが苛立たしげにダンッと床を踏みつけた。舞台袖にいる僕のところまで振動が伝わってくる。

 ふと、違和感を覚える。リアムがこれほど感情をあらわにしているのに、隣のデズモンドは異様に大人しい。彼の横顔を注視すると、表情が少しも動いていないことに気づく。あの感じ、最近どこかで見た覚えがある。どこだったか……。



「嘘じゃない! あいつらは勝手に死んだんだ! いきなりナイフを振り下ろして……うっ」



 リアムは手で口を押さえた。



「そんなわけないだろ」



「もっとマシな言い訳しろー!」



「同情でも引きたいわけ?」



 リアムは舞台に膝をついた。彼の言い分は信じられるものではなかったが、気分が悪いのは本当みたいだった。彼の目には涙が浮かんでいる。



「ねえ、あれ……」



 異変に気づいたのは、デズモンドの正面の女子生徒だった。彼女はデズモンドの足元を指差した。見ると、そこには赤黒い液体が溜まっていた。デズモンドの左足を伝って床に液体がこぼれ落ちているのだ。彼女の近くの何人かもそれに気づき始める。



「な、なんだよ。……うん? デズ? おい、デズ。どうし――」



 デズモンドがリアムの方を向く。その顔は気味の悪い笑みを浮かべていた。デズモンドはおもむろに床に仰向けになった。赤黒い液体で背中が汚れることもいとわないようだった。



「ルビィ、どこにいるんだぁ? 早く来てくれぇ!」



 デズモンドは床で手足をバタバタと動かした。

 この状況には既視感があった。これはルビィの父親の真似だ。これが原因でジェラールとの喧嘩になったのだ。



「お、おい。今はやめとけって……」



 リアムは制止の声をかけるが、デズモンドは止まらない。



「手足がないから動けないんだぁ! 早く来てくれぇ!」



 裏返った声が講堂に響いた。おかしな声なのに、笑う者は一人もいない。

 デズモンドは突然ピタリと動きを止め、上体を起こした。床にあった液体は中途半端に拭かれていて、デズモンドの制服の背中はべったりと濡れている。彼は何かを探すように制服の中に手を差し込んだ。取り出したのはナイフだった。その先端から何かが滴り、床に落ちた。

 デズモンドは立ち上がった。ナイフを持った右手がガタガタと震えている。放心していたリアムが何かを察したように、急いで立ち上がり、デズモンドの右手に手を伸ばした。



「やめろ!」



 リアムがデズモンドのナイフを持つ方の腕を掴んだ。その直後、腕が勢いよく振り上がり、握りしめていたナイフがデズモンドの目に突き刺さった。人形の糸が切れたように膝がカクンと折れ、デズモンドは前に倒れ、舞台から落ちた。

 講堂は一瞬のうちに阿鼻叫喚となった。舞台から離れようとする者、講堂から出ていく者。残った者も「人殺しだ」などとリアムを非難しながら、舞台に近寄ろうとしない。その中で一人だけ舞台に駆けつける者がいた。



「リアム!」



 ウェンディだった。彼女がリアムの姉であることを思い出す。ウェンディは舞台に上がり、呆然と舞台で立ち尽くすリアムの肩を抱いた。



「同じだ……この前と……。俺じゃない。俺がやったんじゃ……」



 リアムの目は舞台の下に落ちたデズモンドに向いていた。リアムがデズモンドの手を掴んで目にナイフを突き刺したように見えたが、同時にどこか腑に落ちない、不可解さも感じている。デズモンドの足元に溜まっていた液体は血だった。リアムが無実を訴えているとき、ナイフはすでにデズモンドに刺さっていたのだ。でも、もしそうだとすると、デズモンドは制服の内側からナイフを取り出したのではなく、胴体に刺さっていたナイフを引き抜いたことになる。

 僕はなんとなく直感に従って、目に魔力を込め、床に転がるデズモンドを見た。彼の目の上のあたりが微かに発光していた。そして、そこから細い光の糸が講堂の壁に向かって伸びている。あれは……。



「リアム・ドルトンから離れるのです!」



 講堂に慌ただしく入ってきた男性教師――ナッシュ先生が杖を構えながら叫んだ。



「離れたら撃つんでしょ?」



 ウェンディはナッシュ先生を睨みつけた。彼女に離れるつもりはないらしい。



「いいえ。拘束するだけです」



「嫌です。だって、こんな状況で、私が離したらもう……」



「……離せよ」



 リアムが低い声で言った。



「え? ――きゃっ」



 ウェンディが困惑の声を上げたと同時に、リアムが両手で彼女を突き飛ばした。次の瞬間、ナッシュ先生の杖から水魔法が射出され、リアムの胴体に直撃した。リアムは舞台を転がり、鳩尾みぞおちのあたりを押さえて苦しそうに体を折り曲げた。



「リアムっ!」



 ウェンディが起き上がって駆け寄ろうとするが、その前にナッシュ先生がリアムのもとにたどり着いた。それでもリアムのもとに行こうとするウェンディの腕を僕は掴む。ウェンディが僕の方を振り向いた。



「あんた……」



「今は先生に任せた方がいいと思います」



 リアムが犯人ではないと、僕は半ば確信している。でも、状況だけ見たらリアムは同級生を三人殺した殺人鬼だ。ただでさえ、身内という危うい立場だ。これ以上庇う姿を晒して周りに悪い印象を持たせるのは得策ではない。

 僕の意図が伝わったのかはわからないが、ウェンディは体の力を抜き、項垂うなだれた。

 家族とは関係が良くないと言っていたのに、それでも弟を庇うだなんて。しかも、こんな問題だらけの弟を。何が彼女をそうさせるのか、僕には不思議でたまらなかった。

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