第6話


「あそこに一際濃い残滓が見えます」



 雑木林の中を10分ほど進んだころ、オレンジ色に強く光っているところに辿り着いた。アバグネイルが僕が指差した方向に小走りで向かう。



「これ、燃やした跡じゃないですか? その……手足を」



 そこは、焚き火の跡のように炭で黒くなっていた。灰色の骨のようなものも見える。



「そのようだね。こちらへ逃げたようで間違いなさそうだ」



 ベイカーが頷いた。







 雑木林を抜け、そこからさらに数時間歩き続けた。朝出発したのに、太陽はすでに頂点を通り過ぎている。



「結構郊外まで来ちゃいましたね。もう建物も減ってきましたし。いったいどこまで逃げたんだ、クインタスの奴」



 アバグネイルが息を切らし、愚痴る。3人の中で一番体力がありそうな年齢なのに、見るからに一番疲れているのは彼だ。僕は日々の魔力循環のおかげか、まったく疲れていない。ベイカーは僕の父よりもう少し上の年代で、そろそろ体力の衰えを感じ始める頃だろうに、そんな素振りはいっさい見せない。犯罪者からしたら、彼のような男に追われるのはさぞ嫌なことだろうな。



 と、クインタスの魔法の残滓が突然見えなくなった。時間経過で光が消えてしまったのではなく、この場所で途切れているのだ。

 僕が立ち止まると、ベイカーとアバグネイルも少し遅れて足を止めた。



「ロイ君? どうしたんですか?」



 アバグネイルが僕の顔を見た。



「痕跡がここで途切れています」



「ここで?」



 ベイカーとアバグネイルが周りを見た。建物はまばらで、昼間だというのに人通りがほとんどない場所だ。



「この先って何かありましたっけ」



 アバグネイルが首をかしげた。



「この近くには来たことがあるよ。たしか、その丁字路を左に行けば主要道路に出るはずだ」



 ベイカーが前方を指差した。



「人通りの少ない道を使って逃げてきて、十分離れたと思って大きな通りに合流したってことですかね。ここら辺に住んでるとか」



「そうだと嬉しいね。周辺の宿屋なんかは後から調べるとして、もう少しだけ先に進んでみよう。痕跡がまた現れるかもしれない」



 ベイカーの言に従って、僕たちは再び歩き出した。



「どっちに行きます? 右に行っても何も無さそうですけど」



 丁字路に差し掛かり、アバグネイルが右を見ながら言った。その道は上り坂になっていて、ここよりもさらに奥まった場所に通じている感じだ。



「クインタスが拠点にしているのは、きっと誰も住んでいない空き家とか廃墟でしょう? こっちの寂しい道が意外と当たりかもしれませんよ。隠れ家に続いてそうじゃないですか?」



 アバグネイルが言った。



「いやあ、私もそう思うんだがね、迎賓館の講演会に現れたときはちゃんとした格好をしていたというのが引っかかってね。社会から完全に断絶された状態の人間が身なりを整えるのは、少しばかり手間だと思うんだ。意外と普通の生活をしているかもしれないよ」



「そういうもんですかね? じゃあ左に行きます?」



「……いや、先に右を潰しておこう」



 行く方向を決めて歩き出した二人に僕は黙ってついて行く。細い坂道を上る。一応舗装はされているから、この先に何もないということはないだろうけど、少し歩くと道の両側に枯れた木々が見え始めて、薄気味の悪さを覚えた。



「警部はこの先に何があるか知ってます?」



「さあ。私も来るのは初めてだからね」



 しばらく歩くと、道の両側に生い茂る木々が消え、ひらけた場所に出た。そして僕たちの前方に現れたのは、横に長い灰色の、二階建ての建物だった。もとは白かったものが年月を経て汚れていったような、時の流れを感じさせる色だ。門は赤く錆びついていて、素手で触るのが躊躇われた。



「――ああ、そういえばここに精神病院があったね」



 ベイカーが思い出したように言った。



「精神病院、ですか?」



 馴染みのない言葉を耳にしたみたいに、アバグネイルが復唱した。僕もそんなものがこの国に存在するとは知らなかった。



「ほら、そこに」



 ベイカーは顎をしゃくり、門の横を見るように促した。



 ――グレイリッジ精神病院――



「――クインタスが来るような場所には思えないですね」



 アバグネイルが首を傾げた。



「己の精神の異常性にようやく気がついて、自ら収容されにきたのかもしれませんね」



 そんなはずはないと思いながらも、少しだけ期待を込めて僕は言った。



「はは、まさか。でも、そうだったらいいですね! ん? 逆によくないのか? クインタスがここにいるとしたら、これから鉢合わせることになるわけで……」



 アバグネイルはベイカーの顔を恐る恐る窺う。



「このまま何もせずに帰ったら、ここまで来た意味がないじゃないか。当然中に入って調べるものは調べるよ。とはいえ、クインタスはロイさんの顔を覚えているだろうから、もし本当に中にいたらまずいことになるかもしれない。――そうだ、ここはいったんアバグネイル君に一人で行ってもらおうか。私とロイさんは近くの茂みに隠れているから」



「お、俺一人でですか? ロイ君はわかりますけど、警部もいっしょに来たっていいでしょう!」



 アバグネイルが顔を青くさせてベイカーに抗議する。



「人数は少ない方が怪しまれないよ。それに、アバグネイル君の方が素人っぽいからね。クインタスと鉢合わせたとしても一般人としてやり過ごせるさ」



 ベイカーにすげなく断られたアバグネイルが助けを求めるように僕を見るが、僕もベイカーに賛成だ。ベイカーの眼光はカタギのそれではないから、クインタスじゃなくとも怪しまれそうだ。



 僕はアバグネイルを応援するように大きく頷いた。彼は諦めて建物に向き直り、門に手をかけた。僕とベイカーは坂を少し下り、木々の中に身を隠す。



 少し待つと、アバグネイルがキョロキョロしながら坂を下りてくるのが見えた。ベイカーが彼を呼び寄せる。



「クインタスかはわかりませんけど、さっき背の高い男が面会に来ていたらしいです。その男はもうだいぶ前に帰ったみたいですけど。他には誰も来てないと言ってました」



 僕とベイカーは顔を見合わせた。当たりを引いたかもしれない。

 僕たちは再び坂を上り、精神病院の入口の扉を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る