第15話


 十二月に入ってからはあっという間だった。精霊祭まであと三日となり、生徒たちはみな浮かれている。正常化委員会発足以降は締め付けが厳しかったから、いい息抜きになるだろう。

 ルビィの脚本のクオリティは期待以上だった。『境界の演劇団』のお披露目に相応しい劇になりそうだ。

 話の内容はヴァン演じる名探偵がペルシャ演じる仮面の怪人を打倒するというものだ。ヴァンはヒーローにぴったりだし、ペルシャは恐ろしい怪人の役を持ち前の能力の高さで上手に演じている。エベレストは怪人の仲間を演じることになったが、その悪女っぷりはとても様になっていた。

 ルビィは演者を想定しながらキャラクターを書いたのかもしれない。クインタスっぽいやつを倒すストーリーにしてくれとだけ要望を伝えていたが、それ以上のものが仕上がってきて、僕らは全員驚いた。やはりルビィはすごいやつだ。

 街も精霊祭の雰囲気で賑やかだった。

 馬車でアルクム通りを行けば、店々の玄関先に銀の皿が吊るされているのを見ることができる。独特の香りが漂い始め、いよいよといった感じだ。

 あの皿にはヒトリウサギと呼ばれる耳の長い小動物の耳を細かく刻んだものが載せてある。ヒトリウサギの耳は独特の香りを放ち、分泌液は香水にも利用されることで有名だ。人間にとってはいい匂いでも他の動物にとってはそうでもないようで、昔から害獣よけにも使われている。

 そんなヒトリウサギの耳だが、精霊モドキと呼ばれる、とある生き物の大好物なのである。精霊モドキとは、ふくろうから羽根をすべて毟り取ったようなフォルムをした、全身が半透明の不思議生物だ。精霊モドキはこの季節にだけ活動的になる。夜になるとふよふよと皿に近寄ってきて、ヒトリウサギの耳肉をかじりにくる。すると、肉の成分に反応して精霊モドキの全身は淡く発光する。個体によっていろんな色に光るから、その光が小動物の耳の肉を齧った結果であることにさえ目を瞑れば、幻想的な光景にうっとりできること間違いなしだ。

 ヒトリウサギの耳を飾るという行為には、悪い霊を追い払い、善い霊だけ――つまり精霊様をお迎えするという宗教的な意味合いがある。昔の人は精霊モドキのことを本当に精霊だと信じていたのかもしれない。

 学校に到着し、アーチ状の校舎の入口をくぐると、掲示板の前に人だかりができていた。

 重大な告知があったらしかったが、人をかき分けて見にいくのも面倒だから、近くにいた寮で見たことのある先輩に問いかけた。



「何があったんですか?」



「今年の精霊祭は中止だってよ。正常化委員会から告知が……うわぁ、教祖!?」



「はぁ?」



 この男、今僕のことを教祖と呼んだか?

 だとしたら、どうかしているな。



「どうかしたのですか?」



「いやぁ……はは。なんでもないよ。――おい、みんな! 彼が見えないと言っているぞ!」



 彼の声に振り向いた生徒たちが、僕の方を見て、何に納得したのかわからないが、頷いて道を開けていく。



「ささ、こちらから」



 男子生徒が道を手のひらで指し示した。

 今の僕の立ち位置ってこんななのか? 英雄視されてるとは聞いてたけど、これが英雄に対する扱いか? もはや崇められてるだろ。――いや、たまたま極端なやつに当たっただけだろう。そう思うことにしよう。

 できた道を通って人だかりの前まで出た。掲示板には羊皮紙が一枚張られている。




 すべての生徒は、わが校において精霊祭に関するいっさいの活動を行ってはならない。これを破った者は厳罰に処す。

 正常化委員会顧問ジョセフ・ナッシュ





 なんだこれは。精霊祭の三日前に言うことじゃないだろ。

 『境界の演劇団』の劇の準備は進んでいるし、僕ら以外の生徒たちだって、各々準備をしてきたはずだ。それを今さら中止にするだなんて、いくらなんでも横暴だ。今すぐペルシャと相談しよう。

 そう思って教室へ向かおうと掲示板に背を向けると、なんと道が消えていた。一方通行だとは聞いていない。そして、道を塞いだ彼らは、僕に何かを期待するような視線を向けているではないか。

 仕方ないから何か主張しておこう。



「こんなことが許されていいのか? いや、許されるわけがない。こんな紙切れ一枚に僕たちがこれまで必死にやってきたことを否定させてたまるものか! 僕の名前はロイ・アヴェイラム! 『境界の演劇団』の設立者である! 僕ら『境界の演劇団』は正常化委員会の決定に断固抗議する!」



「うおおおお!」



「いいぞ!」



「俺だって抗議してやる!」



「教祖様ぁ! こっち見てー!」



 よし、うまく煽れたな。せっかくだし、もう少しだけ『境界の演劇団』のことを宣伝しておこう。

 僕が右手を上げると、声が止んだ。



「『境界の演劇団』への応援、いつもありがとうございます。今後とも『境界の演劇団』を、どうぞよろ――」



「ロイ・アヴェイラムさん!」



「うん?」



 声がした方を見ると、ジョセフ・ナッシュが腕を組んで僕を睨んでいた。しかし、残念だったな。僕の周りには僕を守る盾がこんなにもたくさん――おい、どうしてみんな逃げていくんだ?

 掲示板前は、あっという間に僕とナッシュ先生の二人っきりになった。



「ロイ・アヴェイラムさん。ついて、く、く、きなさい」



「はい、先生」






 ナッシュ先生に連れていかれたのは彼の居室であった。すべてがモノクロで、無機質で、几帳面に整頓されていた。人によってはこの生活感のなさは落ち着かないだろう。僕は結構好きだ。まとまりがあって、無駄も少ない。



「こ、コーヒーは?」



「……いただきます」



 説教されることを覚悟していたけど、普通に客として出迎えられている。



「適当に座っていなさい」



「はい、先生」



 僕は黒い革のソファに腰を下ろした。

 ナッシュ先生は魔法具で着火し、金属製のポットのようなものを火にかけている。まだ時間はかかりそうだ。

 僕はテーブルに置かれた『チャームド』を手に取った。僕の論文が掲載される予定だった科学ジャーナルである。

 表紙には『魔法学会の麒麟児、ロイ・アヴェイラムの素顔に迫る』とあった。

 僕の論文は軍事的な理由から差し止めを食らったが、その代わりにコラムを掲載したいということで、この間『チャームド』から研究室に取材が入った。僕は最大の努力で物腰柔らかい好青年として受け答えをしたから、きっといい感じに書いてくれているはずだ。

 冊子をめくり、コラムのページを開く。




 二年前、クインタスの模倣犯を退治し、一時いっときアルクム通りを賑わせたロイ・アヴェイラム少年。今年の夏、今度は本物のクインタスを撃退し、その実力を確たるものとして世間に知らしめた。そんな彼の真価は、その実、魔法学研究にこそあったのだ。




 悪くない滑り出しだ。僕自身が経歴を語るとしても、その二つの事件については必ず触れるだろう。できれば生徒会長を務めたことにも触れてほしいが。




 まさしくヒーローと呼ぶに相応しい経歴の持ち主である彼だが、親しみよりも不気味さ、称賛よりも畏怖が先にくる――そんなふうに思っている読者も多いことだろう。実際に私もそのうちの一人だった。しかし、そんな彼への印象も、この取材を通して徐々に変化していった。彼は終始、物腰柔らかい好青年だった。どんな怪物と対面するのかと戦々恐々としていたから、その落差に私は安心しきってしまった。それが大きな過ちであるとも知らずに。

 取材が終わり、充実した心地で研究室を出た私は、帰り道でようやく彼の異様さに気がついた。私がさっきまで話していた彼は、まだ十三歳になったばかりの少年。しかし、私はどういうわけか彼のことを二十代の聡明な青年と対するかのごとく接していたのだ。背筋が凍る思いだった。彼は私と対面したその瞬間から、私が彼に親しみを覚えるように、そういう人物を演じて・・・いたのである。




 なんだこの馬鹿馬鹿しい記事は! こんなの偏向報道じゃないか! 僕の物腰の柔らかさに親しみを覚えたのなら、素直にそう受け止めればいいだろう!

 続きを読む気も失せ、僕は冊子を閉じてテーブルに置いた。ちょうどそのタイミングで、ナッシュ先生が僕の前にマグカップとチョコレートの載った皿を置いた。



「ありがとうございます」



「こ、こ、今回は残念でしたね」



「何がですか?」



「『チャームド』に論文が載るのは魔法学者にとって憧れですよ」



 ナッシュ先生は僕の論文が掲載される予定だったことを知っているらしい。

 いや、そんなことはどうでもいい。彼の目的はなんだ? 僕とおしゃべりがしたいわけではないだろう。

 マグカップを手に取り、コーヒーを一口飲んだ。おいしい。チョコレートを一つつまみ、苦味の残る口の中に放り込んだ。



「し、知っていましたか? あなたの母親は大学に入学したその年に『チャームド』に載ったのですよ」



 もしかしたら本当に僕とのおしゃべりが目的なのかもしれない。



「初耳です」



「当時も随分騒ぎになりましたが、親子揃ってとは――」



「僕は精霊祭の件で呼ばれたのではないのですか?」



 マグカップを置き、単刀直入に尋ねる。



「――ええ、その通りですよ」



「三日前になって突然中止にするのは理不尽ではありませんか?」



「す、すー、昨今の事情をか、顧みての判断です。街全体が自粛ムードなのは知っているでしょう。あなたの講演会だって、さ、細心の注意を払って行われたと、く、く、きっ、えー、耳にしていますよ」



「ですが、これまで多大な労力を費やして準備を進めてきた生徒もいます。とくに六年生たちは今年が最後の精霊祭です。僕は彼らのためにも抗議を続けますよ」



「あなたがきっ、気にしているのはご自分のクラブのことだけでしょう?」



「もちろん『境界の演劇団』も劇をやる予定ですから、一番に気にしています」



 ナッシュ先生が深く息を吐いた。



「――精霊祭は、か、か、開催しません。こ、ここれは決定です。話は以上です」



 ジョセフが立ち上がった。僕も彼に続く。

 彼はドアを開けて僕を部屋の外へ促した。



「コーヒーとチョコレート、おいしかったです」



「あなたが、ご、ご自分の影響力を自覚してくれることを願います」






「――ということがあったんだ」



 授業に遅れてきた理由をペルシャに聞かせてやった。



「相当ロイ様を警戒しているようですね。精霊祭の中止も、真の目的は我々の活動を阻むためかもしれません」



 それはどうだろう。初めて一対一で話したナッシュ先生からは、前まで感じていた嫌味っぽさが消えていたような気がした。おいしいコーヒーとチョコレートもくれたのだ。……僕を懐柔するためか?



「しかし、さすがはロイ様。今朝のことはすでに一部で噂になっているようですよ」



「ああ。『境界の演劇団』のことは、しっかりと宣伝しておいた」



「抜け目ないですね。しかし、このまま精霊祭がなくなればマイナスの方が大き――なぜ笑っているのですか?」



 訝しげな顔をするペルシャに僕は言った。



「僕にいい考えがある」

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