第16話


 精霊祭が予定されていた日の前日。

 アルティーリア学園は昨日から冬季休暇に入っていて、生徒たちは気落ちしながらも、仕方ないと諦め、寮でゆっくり過ごしたり、帰省の準備をしたりしている頃だ。

 そんな中、僕たち『境界の演劇団』のメンバーは、中庭の前に集合していた。クインタスやら魔人やら魔物やらに臆して精霊祭を中止した学園に抗議をするためだ。



「これからやることに参加すれば、教師たちに目をつけられることは確定的だ。懺悔球も投げられるだろう。――準備はいいか?」



 僕はヴァン、ペルシャ、マッシュ、エベレスト、エリィに問いかけた。



「もちろん! 早くピアノ弾きたくてうずうずしてるんだ!」



 マッシュが元気よく答えた。



「あたしも、この制服を早くみんなに披露したいな。だって自信作だもん」



 エリィが身を半分翻して、マントをなびかせた。

 僕らは全員、エリィがデザインした『境界の演劇団』の制服を身にまとっている。黒いマントを左肩に羽織り、頭には後ろにリボンがついた赤いベレー帽を被っている。



「もちろん参加いたしますわ。エリィさんの作った服を一番に着こなせるのはわたくしですから。それに、精霊祭がなくなって、せっかく覚えた劇のセリフが無駄になってしまうなんて口惜しいんですもの」



 そう言うだけあって、制服はエベレストによく似合っている。



「俺もやるよ。精霊祭をやめるってことは、クインタスに屈するってことだろ? 俺はそれが正しいとは思えない」



 ヴァンが言った。



「私はロイ様に従うだけですので」



 僕はペルシャに頷きを返す。



「ではこれより、作戦を開始する。総員、配置につけ」



「偉そうだな」



「いいから配置につくんだ。貴様は僕の隣だろう」



「わかってるよ」



 マッシュを除く五人で横並びになった。マッシュは他にやることがあるから、一人旧音楽室へ向かった。

 うっすらと雪が積もる中庭へと僕らは足を踏み入れた。しゃく、しゃく、と水を多く含んだ雪特有の音がする。

 中庭は、三方を三つの寮に、残りの一方を校舎への連絡通路に囲まれた四角形の空間である。その中央、十字路の交点には、三階建ての高さの鐘楼しょうろうがそびえ立ち、その頭に希望の鐘をたずさえている。

 正午の鐘を鳴らさなくなってもうすぐ三ヶ月。僕たちは再びあの鐘を鳴らし、生徒たちに希望を与えるのだ。それが今回の作戦の目的――というのはもちろん建前で、真の目的は『境界の演劇団』の認知度アップである。

 僕らは鐘楼の近くの、どの寮からも見ることができるであろう位置で立ち止まった。

 腰に装着している無骨なデザインの魔法具を手に取る。これは先日の講演会で僕がデモンストレーションを行った通信機の改良版だ。フォネテシルトという魔物の特性を使って音声のエンコードとデコードを実現している。つまりは、講演会の時点ではポーという音しか送れなかったものが、今や音声の送信まで可能となったのだ。

 各寮の談話室には、昨日のうちにあらかじめ受信機を設置しておいた。受信機は全部で五つあり、各寮の談話室に一つずつ、『境界の演劇団』の拠点である旧音楽室に一つ、それと音声の確認用にヴァンに一つ持たせてある。送信機は僕とマッシュが一つずつ持っている。

 二つの送信機と五つの受信機には僕の魔力を注ぎ込んである。僕の魔力によって送信機と受信機は紐づけられていているため、起動すると自動的にパスがつながり、通信ができるようになっている。

 少し待っていると、マッシュが走っていった方角から四本の光の筋が伸びてきて、そのうちの一本がヴァンの持つ受信機につながったのを、魔力で強化された目で確認した。マッシュの準備が整ったようだった。



「始めるぞ」



 右、左と顔を向けると、頷きが四つ返ってきた。

 深呼吸をして、僕は手元の送信機に魔力を送った。僕にしか見えないパスが寮の建物に伸びている。

 送信機を口元へと近づけ、大きく息を吸った。



「えー、本日は晴天……では残念ながらなく、少しばかり曇っている。学園の生徒諸君、この声は聞こえているだろうか」



 出力を小さくしてあるヴァンの受信機から、僕の声が微かに聞こえてきた。よし、通信は成功している。

 すぐに受信機からピアノの音も小さく聞こえてきた。マッシュが演奏を始めたのだ。



「このロイ・アヴェイラムが先日開発した、魔紋式遠距離通信システム、略して『魔信ましん』の受信機が各寮の談話室に設置されていると思う。不思議な魔法具に驚いているところ申し訳ないが、窓を開けて中庭を見てほしい」



 左右の棟にはアーチ型の窓枠が均等に並んでいる。その窓がひとつひとつ開いていき、生徒たちが困惑気味に顔を出した。白い雪を被った中庭に、赤いベレー帽を被り、黒いマントを羽織る五人の生徒。彼らはすぐに僕たちの姿を見つけたようだった。

 頃合いを見て再び口を開く。



「我々は『境界の演劇団』。今日は学園に抗議しにきた!」



 おー、と囃す声が上がった。



「精霊祭のためにせっかく劇の準備を進めていたのに、突然中止を宣言され、非常に遺憾である。君たちもそうだろう? 最近、調子はどうだ? 元気にやっているか? 僕は元気じゃない。なぜなら魔人やら魔物やらで王都中が辛気臭いし、クインタスに怖気付く正常化委員会や校長のせいで、僕の学園生活は毎日が葬式みたいだからだ!」



 僕がクインタスの名を言った瞬間に、何人かの生徒が肩を跳ねさせたのが見えた。校長はクインタスを恐れるあまり話題に出すことさえ禁じたが、それはかえってクインタスの名に説得力を持たせ、神格化にも似たおそれを生徒に植え付ける結果となった。



「今クインタスという名に恐れおののいた生徒は少なくないだろう。やつがそれだけ恐れられる存在であることは僕も認める。アルクム大学の迎賓館であの男と対峙したとき、僕だって恐怖で身が竦んださ!」



 次第に熱が入る。

 僕は感情を出しすぎてしまったことを反省し、一息入れた。



「――クインタスに怯えるだけの日々。いつまで続くんだ? こんな生活がこれからも続いて、君たちは満足か? 僕は嫌だ。僕たちはそんなことを望んでいない。だから今日、我々『境界の演劇団』は、クインタスに臆さないことをみなに示しにきたんだ! あの希望の鐘を再び打ち鳴らし、魔人に屈しないことを王都中に知らしめるために!」



 賛同の声を上げる者がいた。指笛を鳴らす音も飛んでくる。

 一昨日の朝、掲示板前で僕を支持する生徒があれだけいたのだ。精霊祭の中止に反対する生徒が他にもたくさんいるだろうことはわかりきっていた。これまでも何度か人前でスピーチをしてきたが、聴衆を焚きつけるのが今日ほど簡単だったことはない。

 窓から身を乗り出す生徒たちを見て、気分がよくなってきた。あとは、鐘楼に登って鐘を鳴らせば感動の嵐だろう。



「ロイ様、鐘楼の入口にナッシュが」



 左隣に立つペルシャが僕に耳打ちした。

 後ろを見れば、ナッシュ先生が口の端を上げて鐘楼から出てくるところだった。



「どうして先生がここに?」



「せ、アダム君が偶然き、旧音楽室の前を通りかかり、何かをし、知ってしまったと報告してくれましてね」



 昨日、旧音楽室で僕たちは作戦会議をしていたが、それを盗み聞きされていたのか。



「この寒い中、ずっと塔の中で待っていたのですか?」



「――そそ、それは、ど、どうでもいいでしょう」



「作戦を知っていたのなら、受信機を回収すればよかったのでは?」



「まず一つ、私はその魔信という魔道具がどう使われるのか、き、興味がありました。そ、そしてもう一つ、演説が得意だと勘違いしているあなたが、生徒たちを煽るだけ煽ったあとに、き、希望の鐘を鳴らせなかったとなれば、よい見せしめになるでしょう」



 な、なんて性格の悪い……。

 彼の言う通りだ。このまま鐘を鳴らさずに終わるのなら、初めからやらない方がマシ。『境界の演劇団』のお披露目として大失敗どころではない。大恥だ。

 どうする? ナッシュ先生が入口を塞いでいては、中に入ろうにも入れない。



「これから追いかけっこでもして僕たちを捕まえますか?」



「私を塔から引き離したいのでしょう? あなたのここ、こ、魂胆はわかっていますよ。ですが、いいでしょう。――せ、正常化委員のみなさん! 『境界の演劇団』のメンバーに懺悔球を当てるのです。今すぐ中庭に集まりなさい!」



 ナッシュ先生が声を張り上げた。送信機に彼の声が乗ってしまった。これを聞いた委員たちは、すぐに中庭に下りてくるだろう。



「僕らを捕まえてどうするつもりですか?」



「反省文百枚です」



 僕らは息を呑んだ。

 なんということだ。反省文を書くことほど無駄なことはない。しかも百枚だと? 心にもないことを百枚分も心から絞り出すことはできない。



「みんな、一時撤退だ」



 僕はマントをはためかせ、颯爽と雪の上を走った。



「ちょ、ロイ!?」



 ヴァンたちも、少し遅れて僕のあとに続く。ナッシュ先生が追いかけてくる気配はない。



「おい、ロイ! 逃げてどうするんだよ!」



「一時撤退と言っただろう! タイミングを見て鐘楼に登るんだ。身体強化のできる僕とヴァンならチャンスはあるはずだ!」



「そうか! それしかない!」



「ろ、ロイ様、いったん、はぁ、はぁ、止まって、ください」



 ペルシャの死にそうな声に振り向く。

 彼は腰に手を当て、ぜーぜーと息をしていた。エベレストとエリィはもうだいぶ後ろにいる。



「大丈夫か、ペルシャ」



「だ、大丈夫なわけ、く、はぁ、はぁ。ふぅ、ふぅ。――ええ、何も問題はございません」



 彼はすっと呼吸を整え、いつもの澄ました顔に戻った。

 さすがペルシャだ。



「何かいい案はあるか?」



「まずは、声を落としてください。さきほどから、すべての会話が全校生徒に聞かれております」



「あ。――ああ、もちろん承知の上だ。委員たちを欺くためのブラフだ」



「さすがはロイ様でございます。――機動力に差がありすぎるので、二手に分かれましょう。私とエベレストとサルトルの三人は旧音楽室へ向かいます。そこでマッシュと送信機を回収するので、それから魔信で連絡を取り合いましょう」



 ペルシャは魔信に声が乗らないように、僕の耳元で小声で話した。



「わかった」



 ペルシャに小声で返す。



「よしみんな! 魔法科棟に隠れよう! 絶対に見つかるんじゃないぞ。見つかったら反省文百枚だからな」



 送信機に向かって言う。さすがにわざとらしいかもしれないが、やらないよりはいい。



「魔法科棟に行くのか?」



 ヴァンが不思議そうに聞いてくる。この男は何もわかってない。



「魔法科棟に行くんですの?」



 ようやく追いついてきたエベレストが不思議そうに僕を見た。



「違うよ、ルカちゃん。魔法科棟に行くって言って委員会の人を混乱させる作戦なんだよ」



 よかった。エリィにはしっかり意図が伝わっていた。でも、それを声に出したら相手に筒抜けだ。

 ペルシャ以外みんなドジっ子じゃないか。

 僕も含めて。



「ペルシャ、そっちは頼んだ」



 僕はヴァンを連れてその場を離れた。

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