第13話


 昼休み、僕は隣のクラスに足を運んだ。

 目的の人物は教室の一番後ろの席にいて、巾着袋を大事そうに左手で握っている。彼に体の大きな男子生徒が話しかけていて、またいじめかと一瞬思ったが、男子生徒の顔を見ればそうじゃないことはすぐにわかった。

 あの生徒、見たことある顔だ。内部進学組か?

 附属校の頃の記憶をたどればすぐに思い出す。あれはジェラール・ヴィンデミアだ。附属校三年生の頃、生徒会選挙に僕とヴァンの他に平民代表として出馬していた男。体格はだいぶ変わってるし、なんかあの頃より覇気のない顔をしているが、間違いない。

 教室に入ると、空気が変わるのがわかった。視線が僕に集まっている。本当にすごいな。どれだけ人気者なんだ、僕は。



「ルビィ・リビィ。話があるのだが、今大丈夫か?」



 ジェラールが話しかけていた小柄な少年――ルビィに近づいて話しかけると、彼は顔を上げ、僕を見た。

 ルビィとは僕が附属校の生徒会長になった頃からの知り合いだ。彼が頭のおかしい男に誘拐されたとき、僕とヴァンと、そして僕の母が間一髪のところで彼を救い出したという経緯がある。



「ロイ君。どうしたの?」



 相変わらず彼の表情は人形のように動かないが、僕は彼がしっかりと自分を持っている人間だと知っている。

 ルビィはいつも巾着袋を肌身離さず持っている。彼は以前、袋の秘密を僕に教えてくれた。あの中にはルビィが母親に買ってもらった鉄ペンが入っている。彼はそれを使って物語を書くのが好きだと言った。

 でもこれは、彼が僕にだけ教えてくれたことだ。

 僕はルビィの耳に口を近づけ、小声で囁いた。



「君に脚本を書いてもらいたいんだ」



 顔を離すと、ルビィの瞳が揺れているのがわかった。



「――いいよ」



 一呼吸のあと、返答があった。

 まだ内容を何も伝えていないのに、頼もしい限りだ。



「ルビィ・リビィ。君はいいやつだな」



「ロイ君の頼みだから」



「ありがとう。詳細は追って連絡するよ」



 頼むぞという意味を込めて、僕はルビィの肩を軽く叩いた。

 横を向くと、ジェラールが居心地悪そうに僕とルビィがやり取りを見ていた。



「君は……背が伸びたな」



「お、俺のこと覚えてるのか?」



 ジェラールが目を見開いた。



「覚えているさ。生徒会長だったんだから」



「いや、でも、俺目立たないし……」



 こんな大きな体をして目立たないとは、大きく出たものだ。だが、ジェラールの言うこともわかる。彼は生徒会選挙以降、学年の間で名前が挙がるような生徒ではなくなった。



「生徒会選挙のときとはたしかに印象が違うな」



「……はは」



 その誤魔化すような笑い方からは、選挙のとき僕やヴァンを打倒しようと意気込んでいたときの自信がかけらも感じられない。



「まあいい。――ルビィ・リビィ、また会いにくるよ」



 ルビィが頷いたのを見て、僕は教室の入口に向かった。

 教室を出るとき、ちょうど入れ替わりで入ってきた男子生徒とぶつかりそうになる。



「おい、どこ見て……な、ロイ・アヴェイラム!」



「誰かと思えば、リアム・ドルトンじゃないか。このクラスにいたんだな」



 リアム・ドルトン――附属校の頃、ルビィをいじめていた男だ。彼の後ろには、あの頃と同じ顔ぶれの取り巻き三人がいる。



「悪いかよ」



 いいか悪いかで言えば悪い。さすがにもうルビィをいじめていないと思うが。



「入学してから顔を見なかったから心配していたんだ」



「相変わらず嘘くさい顔だな」



「だけど安心したよ。内部進学組の仲間たちが元気そうで」



「ちっ。――行こうぜ、デズ」



「え? ああ、そうだな……」



 リアムは教室を通過して、廊下を歩いていった。彼のあとを三人が追いかけていく。

 教室に入るのは急遽やめにしたらしかった。






 ルビィには十一月の後半までには脚本が欲しいと伝えていたが、想定の半分くらいの日数で上がってきた。おかげで、『境界の演劇団』は精霊祭に向けて十分な準備時間を持って挑むことができそうだった。

 一番時間がかかりそうな衣装作りだが、エリィはやる気十分で、年末の精霊祭までに仕上げるのは問題なさそうだった。

 研究の方もこの上なく順調だった。

 渡り花の論文から始まった僕の研究はとんとん拍子に進んだ。十月中に実験のほとんどを終わらせ、十一月の中旬には論文を書き上げた。出来上がった論文をワイズマン教授に見せると、教授は子供のように目を輝かせ、彼の伝手つてをたどって有名な学会誌『チャームド』に投稿する運びとなった。

 十一月ももう終わろうかというところで論文の査読――論文の内容を第三者に評価してもらうこと――が完了し、来年の頭に刊行される号に僕の書いた論文が掲載されるらしい。研究を開始してから二ヶ月にも満たないことを思えば、気の早い話だった。

 掲載枠を空けるために本来載るはずだった別の研究を押しやり、僕のものが捩じ込まれたと聞いている。

 自分の研究を卑下するわけではないが、研究の内容以上に僕の名に重きを置かれていることを薄々感じる。もちろん論文の内容もしっかり評価されたと思うけど、それ以上にメディアにおける僕というキャラクターが買われた抜擢ばってきであったことは疑いようがない。

 自分で言うのもなんだが、今の僕の知名度は相当なものだ。アヴェイラム家の子というステータスに加え、世間を絶賛お騒がせ中のクインタスを退けた少年という属性はセンセーショナルに人々の話題をさらった。事件直後など、誰もが知っている大手紙からゴシップ色の強い三流紙まで、屋敷の門の前まで取材をしにやってくる記者が後を絶たなかった。その上さらに、有名な論文雑誌に十三歳で論文が掲載されるという快挙だ。普段学術誌などにまったく関心のない層にまで雑誌の名前が届くことは想像にかたくない。

 多くの学会に共通していることとして、その分野の学問や技術、考え方などを一般社会にまで浸透させたいという目的がある。僕の名に商業的な価値を見出し、利用しようとする学会の思惑が透けて見えた。

 べつにそれが嫌だとか、そういうことはない。むしろ、僕の名前が魔法学の発展に寄与するなら喜ばしいことだし、どんな思惑があろうと、有名誌に論文が掲載されれば研究者として箔がつく。願ったり叶ったりだ。環境やタイミングのせいで正当な評価を得られなかった研究者など、歴史上に山ほどいるのだから。

 というわけで、正常化委員会のせいで学園生活に若干の窮屈さは覚えているが、研究が順調なこともあって、総合すればまあ悪くない日々だ。

 今年も残すところひと月となり、年末には精霊祭が控えている。正常化委員会の抑圧によって、あからさまに騒ぎ立てるような生徒は少ないが、年を締めくくる一大イベントを前にそわそわと落ち着かない雰囲気が漂っている。

 授業が終わるとペルシャへの別れの挨拶もそこそこに、一目散に迎えの馬車に乗り込んだ。そのままアルクム大学に直行し、今日も今日とて魔法の研究だ。

 毎日が充実している。我が世の春だ。

 なんて、浮かれていたのがよくなかったのかもしれない。

 研究室に着くと、ワイズマン教授が僕を待っていて、深刻そうに「大事な話があります」と話を切り出したのだった。



「それで、お話というのは……」



 談話室のソファに向かい合って座り、僕は教授に尋ねた。



「実は――次号の『チャームド』に掲載予定だったロイ君の論文ですが、訳あって差し止めとなりましてね」



 差し止め?

 何か問題があったのだろうか。

 理論のどこかに不備でもあったのかと考えを巡らすが、すぐには思い当たらなかった。



「査読では問題はなかったはずですが」



「いえ、理論に間違いがあったということではないのですよ。問題があったのは内容の方です。――魔法学の研究は国の管理が厳しいという話はしましたね?」



「はい。あー、検閲ですか?」



「その通りです。魔法学系の学術誌は国の検閲が必ず入ります。今回の場合、ロイ君の論文の掲載を差し止めるよう、国務大臣の名前で王立魔法学会に命令が下されたということです」



「そうですか……」



「実のところ、こうなることはなかば予想していました。『空間を高速で伝わる魔法的振動について』――ロイ君の提出したあの論文は、多方面に益をもたらすポテンシャルがあります。だからこそ私はあの論文を『チャームド』へ推薦したわけですから。ただし、その多方面の中には軍事方面も含まれているのです」



「軍事利用、ということでしょうか」



「その通りです」



「応用例のひとつに遠距離通信技術を挙げたのが、検閲官の目にとまったのでしょうか」



「ええ、おそらくは」



「残念です。こうして実際に不利益を被ると、国が特定分野の研究を管理することに対して、疑念が湧いてきますよ」



 文句のひとつでも言いたくなる。研究者として最高のスタートが切られたと上機嫌に走っていたところに足を出されたのだ。



「苛立ちはわかります。『チャームド』ほどの権威ある魔法学術誌は他にありませんからね。――そこでひとつ提案ですが、研究内容について講演をしてみませんか?」



「講演?」



「ええ。差し止めが決まった際に、その埋め合わせとして政府から講演の話が上がったのですよ。書物としては世に出せませんが、研究者ばかりが集まる内輪での講演なら開いてもよいと」



 政府から?

 検閲しておいて講演はさせるのか……と思ったけど、国としては魔法科学の発展は望むところだから、一般に広めたくなくても研究者の間で情報の共有はさせたいという狙いなのかもしれない。

 研究者仲間への講演というのは僕にとっても悪くない話だ。これから世話になる界隈への殴り込み――もとい、ご挨拶も兼ねて、引き受けてみてもいいかもしれない。

 教授に返事をしようと口を開き、ふとクインタスの存在が脳裏をよぎった。

 そういえばあの迎賓館の事件のときも、魔法学研究の講演会が行われていたのだ。



「ぜひやりたいところですが、ひとつ気になることが」



「なんでしょうか」



「クインタスの事件以降、ああいった研究者の集まりは減ったと聞きます。もし僕が講演をするとして、そのあたりは大丈夫なのですか? その、警備とか」



 自分で言ってて情けなくなってきた。これではクインタスにビビってるの丸出しじゃないか。

 でもこれは仕方のないことだ。

 逆にビビらない人がいるだろうか? いやいない。いるとしたらそちらの方がおかしいのだ。



「確実に安全だと保証することはできませんが、今回は講演の開催を周知せず、招待状を送る相手も厳選します」



 それなら、クインタスに嗅ぎつけられるリスクは減るけど……。

 でもやっぱり不安が残る。

 眉間に皺を寄せ、難しい顔をしているだろう僕に、ワイズマンがニッコリと笑った。

 いったいどうしたんだ?



「実はこの講演の話はすでにある程度進んでいましてね。おもしろい方を招待しているのですよ」



「おもしろい方?」



「ええ。ルーカス・アヴェイラムさんをね」



「なっ、どういう――なぜ父上が」



 予想外の名に動揺する。



「政府側の要望で、もともと軍のお偉いさんを招くことにはなっていたのですがね、ルーカスさんは過去にクインタスを撃退されたということで、警護にはぴったりの人材でしょう? なにより、ロイ君のお父様ですから、きっと我が子の晴れ舞台を見たいと思っているに違いありません。そう思って私からルーカスさんを指名したのですよ」



 教授は楽しそうに経緯を説明した。

 余計なことを……。純粋に僕にとってよかれと思ったゆえのお節介だったのだろうけど。

 まあ、僕たち親子の冷えきった関係性を知らないのだから仕方ないか。というか、そもそも父がこの件を引き受けるとも思えないしな。だって子供の発表会を見にくる父親のようなことを、あの人がするわけがない。

 父にはまだこの話は伝わっていないのかもしれないな。もし伝わっていたら、即断るに違いないのだから。

 というか断ってくれ。気恥ずかしいのと、恐ろしいのとで、きっと講演会が僕にとって地獄になるに決まっている。



「お気遣いありがとうございます。ですが、父は忙しい人なのでおそらく講演には来られないかと――」



「心配はいりませんよ。すでに参加のお返事をいただいていますからね」



 なぜだ。父の考えがまったくわからない。

 考えられるとすれば、僕がどうこうの話じゃなくて、単純に仕事として来るということ。

 僕の研究の有用性を軍人の目線で見極めようとしているということなら、ぎりぎりわからなくもない。それなら僕の方も研究者として対峙すればいいだけだ。

 そう思うことにすれば、多少は気が楽になってくる。クインタスより強い用心棒がついてラッキーとでも思っておこう。



「父の前でかっこつけられるよう、しっかりと準備を進めていきたいと思います」



「ええ、応援していますよ」

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