第2話


 新聞に記事が載った翌日、一部の生徒の間で不満が噴出した。校長はあっさりと記事の内容を肯定し、これにより、希望の鐘が反魔主義のシンボルとなることに肯定的な生徒たちは学園を糾弾した。

 彼らはアヴェイラム派の中でも好戦的な貴族の子供たちであり、親の指示などもあったと考えられる。

 一方で、ほとんどの生徒はそこまでの積極性は持たない。新しくできたルールに従うだけだ。正午に鐘が鳴らないからといって学園生活に支障はない。大人がまた一つ意味不明なルールを追加したと思うだけだ。

 また、声は上げないが校長に賛同している者もいるだろう。それは必ずしも校長の考えを支持するということではなく、クインタスだったり魔人だったりに恐怖を抱いているゆえの消極的な賛同だ。

 学園の秩序が乱れている。生徒や親だけでなく、『アルクムストリートジャーナル』などの大手紙も学園を非難している。しかし、それを受けても、校長は考えを改める気はなさそうだった。

 沈黙を続けていた校長が動いたのは十月の下旬に差し掛かった頃だった。その日、校舎の入口近くの掲示板に、校長の名のもと、一枚の紙が張り出された。

 本日より、正常化委員会を発足し、ジョセフ・ナッシュ教諭をその顧問に任命する。

 なんだそれ、と生徒はみな思った。そんな僕らの疑問に答えるように、寮長から追って連絡があり、正常化委員会の詳細が明らかになった。

 まず、この組織が何をするためのものか。その名の通り、現在の異常な学園環境を正常に戻すための組織だという。

 では何をもって異常というのか。どうやら校長は、生徒たちの間で反魔感情が高まっていることを問題視しているらしい。青少年が健全な精神を育むのに支障をきたすのだとか。

 校長は委員会を発足すると、顧問のナッシュ先生に委員の任命権を委譲し、僕らの理解が追いつかないまま、その三日後には委員会の活動が始まっていた。

 委員に選ばれた三人。一人目は現生徒会長。二人目はニビ寮の寮長。そして三人目が、我らがシャアレ寮の寮長、アダム・グレイ。一応、三寮から一人ずつ選ぶ程度の公平性はあるらしかった。

 正常化委員会の顧問に任命されたナッシュ先生とはあまり折り合いがよくない。僕が何かをするたびに母の名前を出してきて鬱陶しいのだ。それは僕の授業態度にも問題があったが、根本は僕の母親への敵愾心なんじゃないかと思っている。二人は学園の同級生だったらしいから、学生時代にエルサが何かひどいことを彼にしたに違いない。

 エルサにナッシュ先生のことを直接聞いてみたところ、「ナッシュ……ああ、三番目のナッシュ君ね。結構おもしろい子でしょ」と言っていた。エルサのおもしろいの基準がよくわからなかった。三番目というのは学園の頃の成績のことだ。エルサとその友人が常にトップツーに居座っていたせいで、ナッシュ先生は万年三番手に甘んじていたらしかった。今ではかたや王立研究所のエリート研究員、かたや一介の魔法教師。この学園で魔法を教えられる人材が世間的に見れば勝ち組とみなされるとしても、ナッシュ先生にとっては満足のいくキャリアではないのかもしれない。

 委員会の活動としてナッシュ先生が最初に行ったのは、クインタスの名を口に出すことの制限だった。今、王都アルティーリアに蔓延する魔人への悪感情は、その大部分がクインタスによって生み出されたものだ。誰もクインタスの話をしなければ学園が正常化されるという考えだろう。次に彼は、学園内での反魔運動を禁じた。青少年が健全な精神を育むための措置だという。

 もちろん、ルールを決めただけでは守らない生徒も出てくる。そこで、ナッシュ先生は懺悔球ざんげだまと呼ばれる魔法具を使って、違反者の取り締まりを始めた。これが学園という閉鎖的な社会に生きる我々には恐ろしく効果的だった。

 ナッシュ先生は三人の委員に懺悔球を持たせた。委員は違反者を見つけ次第、懺悔球を投げつけることができる。懺悔球をぶつけられた者は、感情の高ぶりに合わせて肌の色が変わるようになる。ニュートラルな状態のときは緑、喜びや楽しさなどの正の感情のときは赤、怒りや悲しみなどの負の感情のときは青。そうして三色に単純化された感情を周りに晒すことになるのである。年頃の僕らにとってその仕打ちはひどく屈辱的だ。

 懺悔球はナッシュ先生が巡察隊の依頼を受け、開発したものだ。効果は一週間持続するため、犯人の追跡に役立つ。開発者のナッシュ先生のみが解呪方法を知っているため、懺悔球を当てられた生徒は、もとの肌の色に戻りたければナッシュ先生の部屋に行き、自らの罪を懺悔しなければならない。放っておいても一週間で効果は切れるが、今のところ懺悔せずに一週間を耐え抜いた者はいない。肌の変色までなら受け入れられる生徒も、感情を露出し続けることには耐えられないらしかった。

 こうして、教師一人の権限にしてはいささか過ぎたものを与えられたナッシュ先生による学園の管理体制が始まった。血気盛んな生徒は反発しつつも懺悔球を恐れて大人しくなっていった。一方で、彼を支持する生徒も多い。クインタスへの怒りよりも恐怖が勝り、反魔運動に消極的な生徒たちだ。

 ナッシュ先生は、正常化委員会の顧問に就任すると同時に、希望者へ向けた特別授業を開催することを宣言した。対象は魔法科の生徒に限らず、一般科の生徒も受け入れている。自らも熱心に教えることで、彼は生徒の信頼をさらに獲得している。特別授業では、身体強化魔法の習得など、通常の授業では習わないような身を守るすべを中心に教えているという。



「ロイ様、聞いておられますか?」



「――うん? どうした」



「ですから、前におっしゃっていた新しい派閥の話です。政治的な活動をする学生のクラブを今こそ立ち上げてはいかがでしょうか。希望の鐘に頼らずとも、クインタスを退けたロイ様こそ、反魔人のシンボルとなり得る存在です」



 新しい派閥――ああ、附属校を卒業する前に生徒会室で話したあれのことか。

 あのときはちょっとした思い付きだったが、たしかに今は絶好のタイミングかもしれない。クインタスは僕を恨んでいるかもしれないが、二度も襲撃を受けた僕の方こそ恨む権利があるだろう。そしてなにより、魔法学の研究者を殺して回る無学な野蛮人を、僕は許せそうもない。



「そうだな。悪くないんじゃないか? クインタスに狙われるのはごめんだが、もう今さらという感じもする。ならいっそ矢面に立ってもいいだろう。あの男には僕も心底腹が立っているんだ」



「さすがでございます。ロイ様」



「当然だ。――ところで君もクラブに入ってくれるのか? 以前はチェントルム公が賛同しないからと渋っていたじゃないか」



「クインタスを嫌っているのは私も同じです。祖父も目を瞑るでしょう」



「そうか。他にマッシュとエベレストは当然入れるとして、ヴァンやサルトルにも声をかけようか」



「スペルビアですか……。私は賛成しませんが、ロイ様がおっしゃるのなら」

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