第7話


 ワイズマン教授の研究室には研究生らしき女学生が一人だけいて、部屋に入った僕たちを出迎えた。

 その顔に見覚えがあった。魔力検査のときに教授の横にいた女性だ。



「ようこそ、ワイズマンラボへ。私はフランチェスカ。ロイ君とそのお友だちを案内するように教授から言われているの」



「ロイ・アヴェイラムです。今日はよろしくお願いします。――教授や他の方はいないのですか?」



「あれ、聞いてなかったかな? 講演会の準備で会場の方に行っちゃってて、今日は私一人なの」



「なるほど」



 実験器具が雑多に置かれた大きなテーブルが部屋の真ん中にあり、僕たち四人はその一辺に並んで座った。

 フランチェスカはお茶を出すと言って、テーブルから実験器具らしき金属製の底の深い鍋を持って部屋の奥へと行き、水を入れて戻ってきた。彼女は吊り下げ式のその鍋をスタンドに引っかけ、その下にガラス製のアルコールバーナーを置くと、小さな細い棒状の何かを上着の胸ポケットから取り出し、バーナーの芯に火をつけた。



「それなんですか?」



 初めて見る着火道具が気になり、僕は尋ねた。



「ああ、これ? これは私が自分用に作った小さな杖だよ。私、火系統だからさ。火が必要なときにパッと着けられて便利なんだよね」



「ボクも火なんですけど、試してみてもいいですかあ?」



 マッシュが興味深げにフランチェスカの手元を覗き込んだ。



「あー、これ見た目はおもちゃみたいだけど、杖とおんなじ素材を使ってるんだよ。魔法使いの免許は必要ないんだけど、グレーゾーンみたいな感じ」



「ええー。ちょっとくらいいいじゃん」



「……じゃあちょっとだけね」



 マッシュは小さな杖を手渡された。頑張って火を出そうとしているが、うまくいかないみたいだ。



「できない」



 マッシュが不満そうに杖をフランチェスカに返した。



「あなた、学園の杖の授業でもまだ成功していないのではなくて?」



 エベレストが指摘する。



「そうだけど、こっちの方が小さいから簡単だと思ったんだよ」



 マッシュは『可』のグループだ。『優』のグループの生徒は夏休み前にはすでに全員が杖から魔法を出すことに成功したが、他のグループではマッシュのようにまだできない生徒も多いらしい。



「ごめんね。それじゃあ、代わりに他の秘密道具をいろいろ見せてあげるね」



 フランチェスカはテーブルの上の道具をひとつひとつ紹介してくれた。使えそうなものもあればいったいなんの役に立つのかわからないものまで様々だ。魔物や魔法植物の不思議な素材などは、工業的な需要がありそうだ。

 これはなんだろう?

 亀の甲羅みたいなものに細い木の棒が取り付けられている装置を持ち上げてみる。手のひらサイズだが、ずっしりとした重みがある。



「フランチェスカさん、これはなんですか?」



「それはフォネテシルトっていう魔物の甲羅に魔樹の動脈をくっつけたものだよ。フォネテシルトは甲羅を振動させて周りの音を再現することができる魔物なの。ワイズマン教授は魔物の生態にも詳しくて、この研究室にそういうのたくさん置いてあるんだ」



「音を再現……」



 指でコツコツと叩いてみるが、何も起こらない。木の棒のところを触ると、魔臓がむずむずした。杖を持ったときと同じ感覚だ。僕はその感覚に従い、魔力を送った。



 ――ブオオオン。



「っと、驚いたな」



 甲羅が振動し、厚みのある不協和音が響いた。僕はすぐに棒から手を離す。



「へえ、ロイ君はそういう音になるんだ」



 フランチェスカが意外そうにつぶやいた。



「珍しいのですか?」



「あんまりサンプル数は多くないんだけど、その中では初めて聞くタイプかな。普通は基音とその倍音がもっとはっきりしてて、もう少し――えっと、なんていうか、聞ける音になるんだけど……」



 フランチェスカは言いにくそうに言葉を濁した。

 珍しいは珍しいんだけど、彼女の様子から、悪い方に珍しいみたいだった。最初の魔法の授業で魔法教師のジョセフが僕の雷魔法は珍しいと言っていたが、それと何か関係があるのだろうか。

 僕のあとにフランチェスカ、ペルシャ、エベレストが順に音を出したが、どれもたしかに『聞ける音』だった。マッシュも試していたけど、やはりまだ魔力を魔臓から送り出す感覚が掴めていないようで、唇を尖らせていた。



「ああ、そうそう。ロイ君にアレを見せておけって教授に言われてたんだった」



 フランチェスカはひとしきり魔法ガジェットのトークを繰り広げたあと、思い出したように立ち上がった。彼女は後ろの棚から紐でまとめられた紙束を手に取り、テーブルの上に置いた。



「これはね、物性魔工学研究室の論文のリスト。歴代の卒業生全員分あるんだよ。ワイズマン教授に引き継がれる前の、この研究室の前身の頃のものもあるから、合わせるともう五十年くらいになるかな。まあ、五十年なんて自然哲学系の研究室と比べたらまだまだ若いんだけどね」



「なぜこれを僕に?」



「見てみるといいよ。きっとおもしろいから」



 僕は紙束を手に取り、最初のページを開いた。論文タイトル、著者、提出年月の形式でリストになっていて、一番上は五十四年前のものだ。上から順に見ていくと、魔法の特性に関する論文が多く見受けられた。

 うん? これは珍しく魔力に関する論文だな。



 魔力の発生に関する発見的見地――イライジャ・ゴールドシュタイン



 著者の名を見て僕は衝撃を受ける。

 イライジャ・ゴールドシュタイン。僕がこの世で最も尊敬する魔法学者だ。

 彼はここの研究室出身だったのか。



「どう? 見つけた?」



 見つけた、とはどういうことだ? 僕が師匠の本を読んでいることや、彼を尊敬していることはエルサしか知らないと思っていた。

 彼女がワイズマン教授に伝えたのだろうか。でも書斎にある資料のことは誰にも言わないようにとエルサには釘を刺されている。教授には言ってもいいのか?



「ええと、何をですか?」



「もう、ロイ君のお母さんの論文に決まってるじゃない。エルサさんもここの研究室出身なんだけど、聞いてない?」



 エルサも?

 もう一度リストに目を落とす。ええと、エルサはだいたい十年ちょっと前だから――。



 魔力の波動的特性とその同一性――エルサ・アッシュレーゲン



 見つけた。絶妙に気になるタイトルだ。



「ありました。母がこの大学出身なのは知ってましたが、研究室までは知りませんでした。――あの、この論文の内容を見ることは可能ですか?」



「やっぱり興味あるんだ。いいよ。今持ってきてあげるね」



 フランチェスカは部屋の奥のドアから隣の部屋に入っていった。資料室か何かだろうか。



「見たいか?」



 僕は論文のリストをテーブルに置いた。



「ボクはいいや。見てもわかんないし」



「わたくしもあまり……」



 エドワードに大学を案内されているときはもう少し楽しそうだったけど、今は二人ともつまらなそうだ。

 興味がない研究室ならこんなものか。僕もさっきエドワードの研究室にいたときはたぶんこんな感じだった。



「何か、将来学びたいことはあるのか?」



 自分で聞きながら、まるで子供の進路を不器用に探る父親みたいだ。



「よくわかんない。音楽がやれたらボクはなんでもいいかなあ」



「もっと具体的にはないのか? 卒業後に有名なオーケストラに入るとか、アスタ王こ……共和国に留学するとか」



「大勢で演奏するの、あんまり好きじゃないんだよね、ボク。大陸に行くのもめんどくさそうだし、行ったとしてもボク、グラニカ語しか話せないし。というか、音楽やるならアスタよりトーデンシアだよ。名門の音楽院があるんだ」



「そういうものか。音楽には疎くてな」



 音楽は畑違いすぎて全然わからないな。

 僕の中の想像の音楽家は、四六時中楽器の練習をしていたり苦悶の表情を浮かべながら楽譜に向き合っていたりするけど、マッシュは悩みなどなさそうに気楽に生きてそうだ。

 当然マッシュなりの努力や苦悩があるだろうから決めつけはよくないけど、決死の顔をしたマッシュはどうしても想像ができない。

 案外こういうタイプの方が、途中で折れることもなく、成功しやすいのかもしれない。



「エベレストはどうだ?」



「わたくしはその……まだちゃんと考えたことはありませんの。……ただ、経営などには少しだけ興味がありますわ。ほら……その、エリィさんとのこともありますし」



「ああ、そういえば言っていたな。自分だけのブランドを持ちたいと。応援するよ」



「ありがとうございますわ。ですが、自分だけの、ではなく、わたくしとエリィさん二人のブランドとおっしゃってくださいまし」



「あ、ああそうだな。君とエリィ・サルトル二人のブランドだ。応援するよ」



 エベレストは満足げに頷いた。

 初めからそのつもりで言ったのだが、彼女にとってはわざわざ言い直させるほど重要なことらしい。



「ペルシャは……やはり政治学か」



「はい。他には哲学にも関心があります。社会哲学や政治哲学などはとくに」



 三人とも具体性に差こそあれ、僕らくらいの歳でやりたいことが決まっているのは、なんだか眩しかった。同世代の夢や進路を聞くのは年長者の成功体験を聞くよりもずっと触発される。

 隣の部屋からフランチェスカが戻ってきた。手には大きめのボタン付き封筒を持っている。



「ごめん、結構探しちゃった。はい、これがエルサさんの修論の複製。研究室の外には持ち出せないから、読むなら講演会までの間にお願いね。もちろん、また遊びに来て読んでくれてもいいよ」



「ありがとうございます」



 封筒を受け取り、ボタンに巻かれた紐を指でくるくると解いて論文を取り出した。読み始めるとすぐに人の声は遠のいていき、さらに深く潜れば環境音すらも聞こえなくなっていく。

 人が魔臓で生成する魔力には波動的特性があり、人はそれぞれ特徴的な魔力の模様を持つ、というのがこの論文の要旨だった。



     *



 魔力の発生に関する議論は、四半世紀前、イライジャ・ゴールドシュタインの『魔力の発生に関する発見的見地』により始まった。ここで予言された魔素という概念は、いまだ証明にこそいたっていないが、いくつかの研究結果[3][4][5]がその存在を示唆している。



     *



 研究の背景のところに書かれたこの文から、エルサの修士論文はイライジャ師匠の研究を発展させた内容だとわかる。

 彼女の書斎に師匠の研究資料が多くある理由の一端が見えた。しかし、師匠の研究のほとんどは世に出ていないはずだから、あれらの資料の入手先がどこなのか不明だ。エルサの勤める王立研究所から持ってきたもの? それとも、エルサには師匠の研究にアクセスする何か他の伝手があるとか――。



「――ロイ君。おーい、ロイ君?」



「――え? あ、はい。なんでしょう」



「読んでるとこごめんだけど、そろそろ出るよ」



 もう講演会の時間か。文字を追っていると時が進むのが早いな。



「ええ、行きましょうか」

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