第6話
前期の期末試験を二位で終え――文系科目で後れをとった僕は附属校で四年間守り続けた一位の座をペルシャに明け渡した――入学して初めての夏休みを過ごしている。
母の書斎で魔法学の勉強をしたりベルナッシュの本邸に行ったりと、例年通りに過ごしていたら、あっという間に夏休みが半分終わり、気がつけばもう九月だ。学園に進学しても代わり映えのしない夏休みを送っているこの僕だが、今日はついに講演会の日。休み中に家族の用事以外で外出しない内向的な自分とはいったんお別れだ。
講演会の招待状をもらった日、そのことを父のルーカスに伝えたら、現役アルクム大学生の兄が付き添いをすることになった。
昨年度、兄のエドワードは三年間の学士過程を修了し、今年から修士過程に入った。これからだんだんと忙しくなってくるはずだ。僕たち四人の子守を任されるのは、なかなかに煩わしかろう。
朝食を済ませてすぐに僕とエドワードは馬車に乗り込んだ。講演会は午後からだが、まず兄の研究室に寄ってから、そのあとワイズマン教授の研究室に挨拶にいき、そこで講演会までの時間を過ごす予定となっている。
「兄上、研究の調子はいかがですか?」
隣に座るエドワードに問いかける。論文の提出まで半年を切っているから、そろそろ大変な時期だ。
「それを聞いてどうするんだ?」
「僕も大学に進学する予定なので、研究や論文の苦労などを知っておきたいんですよ」
「そうか……。そうだな、俺は修士課程に入ってからすでに論文を一本書き上げているから、今の研究がうまくいかなくても最悪そっちを出せばいい。指導教官のお墨付きももらってるしな。周りと比べたら気楽なものだ。研究テーマが決まるのが遅かったせいで今必死になっている学生も多い」
「さすがは兄上」
「……運がよかっただけだ」
修士は一年間しかないから時間がとにかく足りなくて、論文を提出できずもう一年……なんて学生も多いと聞く。エドワードには無縁の話のようだが。
「兄上の専攻はたしか、軍事魔法学でしたよね? 研究テーマをお聞きしてもよろしいですか?」
「構わないが、お前も軍事に興味があるのか?」
「軍事はそれほどでもないのですが、軍事魔法学には興味があります。魔法という単語がついてますからね」
「軍事魔法学は戦争における魔法の立ち位置を模索する学問だから、基礎研究としての魔法学とはまた別だが……まあいいか。俺はもっぱら、魔法部隊の運用の効率化について研究している」
「効率化というと、時間的または空間的な効率を高める、ということでしょうか」
「まあそのようなものだ。これまでも効率化に関する研究はいくつかあったが、どれも今一つ正確性に欠けていた。そこで俺は、魔法使いを各人性能の異なる兵器と考え、魔力量、連射性能、殺傷能力などを数値化することで、定量的に効率化を図る手法を提案した」
魔法使いを全員平等に一人の兵士として換算するのではなく、能力で重み付けして運用効率を最大化する、ということか。個人の戦闘能力に大きく差がある世界ならではの考え方かもしれない。
聞いてはみたけど、あまり惹かれない内容だった。魔法の軍事利用という方面は僕の進むべき道ではないようだ。
「なるほど。実際にその評価方法が軍に採択されれば……魔法兵というリソースの管理がしやすくなりそうですね。戦術の幅も広がりそうです」
「ああ。局所と全体のバランスが取りやすくなる。より正確な損耗率の計算が可能になるから、今が撤退すべき局面か、もしくはさらにリソースを供給すべき局面か、妥当性の高い取捨選択にもつながる……はずだ。理論上はな。――なかなか話がわかるじゃないか、ロイ。興味を持ったか?」
「いえ、残念ながら。どうも僕はマクロな視点を持つのが苦手みたいで。あまり向いていない分野のように感じます。――ところで、今話していたのはすでに教授にお墨付きをもらっているという論文の方ですよね。今取り掛かっている方は……」
「今やってるのはもっと理論に偏った……そうだな、言ってしまえば机上の空論だ。一本目の論文を書いているときに思いついたアイデアなんだが、理想的な魔力タンクという概念を導入する。それの配置を数学的に――」
エドワードが話を中断した。慣性に従って背もたれから上半身が浮き、馬車が減速を始めたことを知覚する。
「もう到着だ。少ししゃべりすぎたな」
そう言って彼は苦い顔をした。
進行中の研究の内容を早く誰かに語りたいという気持ちと、まだ誰にも知られたくないという気持ち。多くの研究者やその他クリエイティブな仕事をする者の持つアンビバレントな感情だ。それが見込みのある――少なくとも研究をしている段階ではそう思っている――アイデアであるならば、なおさら。
馬車を下りてアルクム大学の正門を通り抜けると、歴史の重み漂う荘厳な石造りの建造物に囲まれた、一面緑のコートヤードが視界に広がった。この門を初めてくぐる新入生は、これを見るためだけに入学してきたと錯覚すると言われているが、それも頷ける光景だった。これから始まる大学生活への期待に胸を弾ませる新入生たちの姿が目に浮かぶ。
僕とエドワードは一番乗りだったようで、門のすぐそばで待つことにした。少し待つと、マッシュがひょっこりと顔を出し、その少しあとにエベレストとペルシャが現れた。
三人とも定刻通り。今回の講演会は課外活動のような扱いになっており、全員学園の制服を着用している。国内トップの大学に見学にきた中学生感があって微笑ましい気持ちになり、すぐに自分も周りからは同じように見られていることに気づいた。エドワードはさしずめ、大学ツアーガイドの学生ボランティアか、もしくは引率の先生といったところだ。
「チェントルム家の君はずっと前に一度会ったことがあるけど、二人は初めましてだね。私はロイの兄のエドワード。みんなの話はロイからよく聞いてるよ」
誰だお前と言いたくなるような爽やかな笑みを浮かべながら、エドワードが穏やかに自己紹介をした。とても優しそうなお兄さんだった。
彼は外面がいいのだな。家での僕への態度からは想像がつかない。僕がいつ、あなたにみんなの話をよく聞かせたのか。
「お久しぶりです、エドワード様。お噂はかねがね。改めまして、スタニスラフ・チェントルムと申します。よろしくお願いいたします」
ペルシャが挨拶をした。あだ名に慣れてしまって、本名を言われると少し違和感がある。
「よろしく。お互いに学生を卒業したらチェントルムである君とは関わる機会も多いだろう。それほど畏まらなくても大丈夫だよ」
「承知いたしました」
なおも丁寧に振る舞うペルシャにエドワードは苦笑した。ずっといっしょにいる僕にも砕けた態度を滅多に取らないのだから、気さくなペルシャを期待するのは時間の無駄だ。
「わたくしはルーシィ・アルトチェッロと申しますわ。以後、どうぞお見知りおきを」
カーテシー。美しさの中にほんの少しの高慢さを染み込ませた、エベレストらしい所作であった。
「こちらこそどうぞよろしく、レディ」
「ボクはフィリックス・ブラーム。よろしくお願いします」
「よろしく。君はたしか、ピアノが上手な子だったかな?」
「べつにふつう、ですけど」
ふつう、か。芸術家というものは概して、己の技量を当たり前に持つものとみなし、過小評価する傾向がある。素人の僕の耳では才能の程度は測りきることができないが、マッシュの演奏が上手な部類であるのはわかる。謙虚に振る舞っているのではなくて、本気で自分のレベルを普通だと思っていそうなのが、芸術家たちの厄介なところだった。
僕は芸術の道に進む者たちを見て、なんて非合理的な生き物なんだろうと思う。しかし、一方でその生き方を羨ましいとも思うし、彼らに対して常に僅かな劣等感を抱えている。
だからマッシュにもちょっとだけ嫉妬してしまう。
最近マッシュは作曲の勉強を始めた。普段は何を考えているかわからないし興味の対象があっちへこっちへと自由気まままなやつだけど、音楽に対してだけは変わらずにまっすぐだ。僕も羨んでばかりではなくて、そういうところは見習っていかないと。
顔合わせが済み、僕らはエドワードに連れられて大学の施設を見て回った。彼の研究室にも訪れ、研究室のメンバーに弟だからと可愛がられた。
兄は彼らに異常なくらい慕われていて、誰だこいつパートツーだった。もしかしたら本当に別人なのかもしれない。クラスの人気者みたいなこの兄は実はただの泥人形で、本物の兄は数日前に雷に打たれ、今ごろ沼の底に沈んでいると思う。
兄改め泥人形は、最後に僕たちをワイズマン教授の研究室に送り届けると、研究の続きをするからと言って戻っていった。去り際、ペルシャたちに、これからもうちのロイをよろしくとかなんとか言うのを見て、僕はあれが偽物であると完全に確信した。研究の続きとはただの方便で、どうせ今頃は乾燥して崩れ始めた泥の顔を水で固めているに違いないのである。
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