第5話


 アルティーリア学園には三つのハウスがあり、すべての生徒がそのどれかに振り分けられる。それぞれのハウスは寮を持っていて、学期中はほとんどの生徒がそこで生活している。全寮制ではないが、学園は入寮を推奨している。僕のように通学する生徒は稀だ。

 シャアレ、ラズダ、ニビの三つのうち、僕はシャアレに属している。ペルシャ、エベレスト、マッシュもシャアレで、ヴァンとエリィはラズダに入った。驚きはない。

 ラズダは初代女王の名にちなんでいる。彼女はモクラダ王国という小国出身だったが、グラニカ島の国々を歴史上初めて統一し、グラニカ王国を建国した。偉大な人物だから、彼女の名は店の名前などにもよく入れられる。僕の行きつけの本屋の『ラズダ書房』もその一つだ。シャアレは彼女の義弟だ。ラズダ女王の子はみな夭逝ようせいしてしまったから、彼女の死後、王位は義弟のシャアレに継承された。今の王族はシャアレの血を引いていて、僕にもその血は流れている。

 食堂での昼食を終えると、僕とペルシャは寮へと向かった。僕は寮生ではないけど、ハウスには所属しているから、シャアレ寮の談話室を利用することができる。昼休みなどはよくここに来て出された宿題をやる。今日は歴史の宿題が出ていた。ペルシャと二人でこなしていると、寮長をしている先輩――アダム・グレイが僕を呼んだ。ナッシュ先生が談話室の外で待っているとのことだった。

 なんの用だろう。彼は最初の杖の授業のときからいい印象は持っていない。僕に対してだけ嫌味っぽいというか。あれから二ヶ月経った今でもずっとあんな調子だ。

 ペルシャに「行ってくる」と言って談話室を出た。ナッシュ先生が廊下の壁に寄りかかり、苛立たしげに地面を足の裏で小刻みに叩いている。彼は僕に気づくと、壁から背を離した。



「こ、こ、校長があなたを呼んでいます。ついてき、来なさい」



 僕の返事を待たず、ナッシュ先生は歩き始めた。

 状況についていけない。校長に呼ばれるような素晴らしいことをした覚えはない。

 教室棟を経由し、教師たちの部屋がある『はぐれかん』までやってきた。初めて訪れたが、子供たちの声がなく、静かで過ごしやすそうだ。

 とある部屋――おそらく校長室だろう――でナッシュ先生は立ち止まり、ドアをノックした。中から「どうぞ」と返事があった。ナッシュ先生がドアを開ける。



「ロイ・アヴェイラムを連れてきました」



 彼はそう言うと来た道を戻っていった。

 背筋を伸ばして入室すると、執務机の前に座っていた白髪の目立つふくよかな男が立ち上がり、笑顔で僕を迎えた。ちょっと胡散臭い。



「よく来たね、ロイ・アヴェイラム君。さあさあ、座ってくれたまえ」



 校長が革のソファに座り、手に持っていた封筒を目の前のテーブルの上に置いた。正面のソファに座るよう促される。僕は猜疑さいぎ心を胸のうちに隠し、表情筋を柔らかくしてソファに座った。



「失礼します。お初にお目にかかります、校長」



「君の話は僕の耳にもよく届いていてね、勉学、運動、魔法のすべてに長けた、目覚ましい才能の持ち主だと聞いているよ」



「ありがとうございます」



「今日来てもらったのは、そのうちの魔法に関することだ」



 校長はテーブルの上の封筒を手に取り、僕に差し出した。よくわからないまま、封筒を受け取る。



「魔法学の講演会の招待状だ。アルクム大学のワイズマン教授が、ぜひ君を招待したいとおっしゃってね」



 ワイズマン教授。魔力検査を受けたとき、あの男がそう名乗っていたのを思い出す。また会おう、みたいなことを言っていたけど、あれは社交辞令じゃなかったらしい。彼はエルサのことを高く評価しているみたいだったから、息子の僕にも期待をしているということだろうか? 一度話しただけだから、僕を招待する理由なんてそれくらいしか思いつかなかった。



「これは大変名誉なことだ。毎年その講演には国中の優秀な学生が招待されている。我が校からも、毎年優秀な生徒は招待されるが……残念ながら呼ばれない年もある。それだけ貴重な機会だ。そんな中、一年生の君が選ばれるのがどういうことかわかるかね。ぜひとも、アルティーリア学園の代表として参加していただきたい」



 校長はなんとしても参加させたいらしかった。もちろん答えはイエスだ。魔法学の講演会と聞いて、行かない手はない。



「大変光栄です。ぜひ参加させてください」



 そう言うと、校長は仮面のような笑顔の上に、さらに深くしわを刻んだ。

 校長の激励の言葉と、我が校の名を貶めることのないようにとの執拗な忠言から解放され、昼休みが終わる頃にようやく寮の談話室へと戻った。次の授業の時間が迫っていたから、僕は教室へと急いだ。






 最後の授業が終わり、僕とペルシャは教室に残った。

 封蝋を砕いて手紙を取り出し、いっしょにそれを眺める。






 ロイ・アヴェイラム様


 毎年九月に、アルクム大学の中央迎賓げいひん館にて魔法学の講演会を開催しております。我が国の魔法学会において最大の催しであるこの講演会は、国内有数の魔法学者たちの良質な意見を聞くことのできる貴重な機会です。

 例年、有望な学生たちにお声がけさせていただいており、このたび、あなた様を招待できますこと、心より嬉しく存じます。もしロイ様がお母様のような立派な研究者を志されるのであれば、決して損をすることはないでしょう。講演会の最後には、僭越ながら私にも少しだけ話す時間が設けられております。ご出席いただければ、大変光栄です。

 また、もしよろしければ講演会が始まるまでの間、私の研究室の見学をされてみてはいかがでしょうか。きっと将来のための有意義な時間を過ごすことができるでしょう。ぜひ、ご友人も連れてお越しください。

 日程や場所などの詳細は別紙に記載いたします。


 ウィリアム・クラーク・ワイズマン

 アルクム大学、物性魔工学教授






 同封されていたもう一枚の紙には、講演会の日程や場所、研究室の場所などが記されている。



「どうなさるおつもりですか?」



「もちろん行くよ。国内最高峰の研究者たちの考え方を知る機会などそうそうないからな。ペルシャは?」



「私ですか?」



「友人を連れてと書いてあるだろう? エベレストとマッシュも連れていけばいいんじゃないか?」



「それは大変ありがたいお話ですが……」



 ペルシャは眉間に皺を寄せた。



「何か予定でもあるのか?」



「いえ。私は自身が優秀であると自負してはおりますが、魔法学に関しては、まだ学び始めて日が浅く、参加したところで内容を理解できないのではないかと思うのです」



 意外だ。ペルシャが学問に対して臆病になっているところを僕は初めて見た。

 人並外れて頭のいい彼ならなんでも理解できると思っていたけど、考えてみれば、まだ数ヶ月しか学んでない分野で専門家の講演に躊躇するのはおかしなことではない。



「君からそんな弱気な言葉を聞くとはな」



「……私はロイ様のように四六時中魔法学の知識を詰め込み続けているわけではありませんので」



 普段よりいくぶん落とした声の調子には非難の色が含まれているように聞こえた。不貞腐れた子供のようだ。



「この講演会には研究者の他に他分野の一般学生や政治家なども参加すると校長が言っていた。できるだけ多くの人に理解してもらうために専門性を低くして一般的な内容に落とし込んでくると思うから、そこまで気負う必要はないだろう」



 偉い人の講演とは経験上そういうものだ。畑の違う人間に一生懸命難しいことを説明してもしょうがない。



「そうですか。それならば同行いたしましょう。とはいえ、エベレスト……はまだよいとして、マッシュに理解できるでしょうか」



「それは、まあ、何ごとも経験が大事ということで」



「はあ……」



 ペルシャは納得していない様子だ。あまり適当なことを言うと、また小言をいただきそうだから話題を変えよう。



「ところで、校長はスペルビア派か?」



「なぜです?」



「口ではおだてるようなことを言っていたが、なんとなく歓迎されていないように感じたんだ」



「結構な野心家だと聞いております。あの男には気をつけた方がよいかもしれません。とくにロイ様は」



「なぜだ?」



「彼は数年前までアヴェイラム派閥の議員でしたが、党内の中核――つまりロイ様のお爺様や私の祖父と衝突し、今は中立派となっております。この学園の校長になったのは、天下りというていの厄介払いというわけです」



 彼の笑顔が作られたもののように感じたのは、そういうことだったのかもしれない。あの仮面の下に僕への憎悪を隠していたのだとしたら、厄介なことになりそうだ。



「ナッシュ先生といい、校長といい、入学してから僕のあずかり知らぬところで恨みを買っているのは気に食わないな」



「あの魔法教師に関しては私もよく存じ上げませんが、ロイ様のお母様と同級生だったらしいですよ」



「ふうん。だったら僕の母親が何か気に障ることをしたに違いない。彼女は他人ひとの心に鈍感なところがあるから」



「なるほど。血のつながりを感じますね」

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