第8話
講演が行われる
ぞろぞろとフランチェスカについていき、両開きの大きな扉が開きっぱなしになっている入口を通り抜け、迎賓館の中に入った。すぐ正面にどっしりと存在を主張する幅広の階段があり、きっちりとフォーマルな服を着こなした大人たちや、僕たちよりも少し上の年代の学生たちが上っていくのが見えた。それなりに招待客は多そうだった。
階段を上って右に進んでいくと、人々が吸い込まれていく部屋があった。扉の脇には人の
フランチェスカが彼に挨拶をした。よく聞き取れなかったが、なんとか先生と呼んでいたから大学の先生だろう。
ホールの中は入口からなだらかな下り坂になっていた。舞台を中心に扇を開いたような形状だ。定員は百人弱といったところか。このくらいが、人の肉声が無理なく届くぎりぎりの大きさだと思う。
中央通路を少し下りたところでフランチェスカがこちらを振り向いた。
「前の方は偉いおじさんたちが座るから、学生が座るのはここら辺。適当に座っていいよ。私は研究室のメンバー用の席が別にあるから前に行くけど。それじゃあ、大丈夫だと思うけどいい子にね」
そう言い残してフランチェスカさんは中央通路をさらに下っていった。
「どうする?」
ペルシャに聞いた。
「見た感じ年功序列のようなものがあるようですから、私たちは後ろの方にしておきますか」
ペルシャが会場を見渡して、言った。
「それじゃあこの列でいいか」
僕は左手側の一列を指差し、ペルシャたちに入るように促した。
「平民もいるんだからボクたちが遠慮する必要ないのに」
「いいではありませんか。全員を見下ろせるんですもの」
マッシュがぶつくさ言いながらも最初に入っていく。基本的に高いところが大好きなエベレストはとくに文句もなくマッシュに続いた。
僕はこういう形状のホールは後ろの方に座るのが好きだ。舞台から遠くて演者の顔が見えなかったり声が少しぼやけてしまうのは難点だけど、空間全体を
そのあと席は続々と埋まっていったが、僕たちの列には誰も入ってこなかった。少し後ろの方に座りすぎたかもしれない。
「なんか、記憶にある顔の貴族が何人かいる気がするが」
「……招待されているのはアヴェイラム派閥の貴族が多いようです。私も彼らの多くとは会ったことがあります」
毎年夏にアヴェイラム家本邸のあるベルナッシュで二週間ほど滞在するが、その間、祖父を訪ねて屋敷までやってくる人をときどき見る。詳しく教えてもらったことはないけど、アヴェイラム派閥の貴族だろうとは思っていた。とすれば、この講演会には結構なお偉いさん方が招かれているということか。
僕は背筋を伸ばし、
「――おや、チェントルム公のお孫さんもいらしてましたか」
右側から声がかけられた。見ると、整髪料で黒髪を片側に撫でつけた品の良さそうな二十代くらいの男が中央通路からこちらを覗き込んでいた。その隣にはパートナーらしき若い女性が男の右腕に手を添えている。
左に座るペルシャが立ち上がる。
「これはこれは、ブラウンご夫妻。またお会いできて光栄です。あれから、お仕事の方は順調でしょうか」
「ええ、おかげさまで――もしや、そちらの方は……」
男が僕の方を見た。挨拶をした方がよさそうだ。
「どうもはじめまして、ブラウン様。ロイ・アヴェイラムです。どうぞよろしく」
ブラウン夫妻のことなど露ほども知らないが、にこやかに挨拶を交わし、順に二人と握手をした。
「やはりあなたが……。鋭い目つきがルーカスさんにそっくりだから、すぐにわかりましたよ」
「よく言われます。真顔だと怖いとも」
「ふっ。ルーカスさんよりは柔らかい印象ですよ。あの方は笑いませんから……。ともあれ、お会いできてよかった。講演会が終わったらまたお話ししましょう」
夫妻は再び腕を組み、通路を下りていった。僕は席に座り、ペルシャの方を見る。
「ロイ様……。ブラウン夫妻はですね、昨年、製菓会社を立ち上げ、今社交界で最も注目を集める大物ですよ。ロイ様はお菓子がお好きなのですから、覚えておいても損はありません」
視線で誰だあれと言ったのが伝わったようで、ペルシャが呆れた様子ながらも解説をしてくれた。今度メイドのイザベルにブラウンのお菓子を買いにいかせることを頭の片隅にメモをした。
講演会はまもなく始まった。
来賓演説者が一人あたり二十分ほどの持ち時間で順番に話をしていく。学生に向けて研究のメソッドや心構えを説く人、自身の研究内容を簡潔に説明する人、魔法学の未来の展望を語る人。
分野の最先端に立つ研究者たちの言葉は、含蓄があり、洗練されていて、聞いているだけでやる気にさせてくれる。来てよかったと思えた。
そしていよいよ最後。ワイズマン教授の講演が始まった。
彼は魔法学全体のおおまかな現況の話から入り、少しずつ専門性を高めていった。魔力検査のときにほんの少し話した限りでは、魔法のことになると饒舌になる男、という印象だった。この講演においてもその印象は覆らず、しかし早口で聞き取りにくいということもない。魔法への思いが節々から伝わってくるような熱量のある話し方だった。
「ですので――」
後ろで扉が開く音が聞こえ、教授が言葉を切った。
右に首を向けると、顔を俯かせながらホールに入ってきた大柄な男の姿が目に入った。男は自分の席を探すように左右を見渡しながら中央の通路を下りていく。彼が右を向いたとき、襟元からちらりと痣が見えた。
「えー、ですので、魔力の持つ性質を解き明かすことは物性魔法学だけでなく、魔法科学全体の発展に必要不可欠であり、これから少なくとも一世紀以上にわたって盛り上がりを見せるだろうと私は確信しております」
どこかで見た横顔だ。会ったことがあると思うのだが、どこだっただろう。思い出すきっかけを掴もうと、僕は彼の動きを目で追った。歩き方がどことなくヴァンに似ている。運動の得意な者の動きだ。
男は、いわゆる偉い人たちの座る右前方の一画、その三列目に入っていった。政治家……にしては若い。大学生くらいに見える。となると、若い研究者だろうか。
「本日お越しくださった方の中には、研究者を志す若者も多いことでしょう」
座る場所が決まったのか、男は立ち止まり、腰を下ろした。ちょうどブラウン夫妻の後ろの席だ。結局思い出すことができず、僕は舞台上のワイズマン教授に集中しようと視線を戻そうとする。が、その直前、男がジャケットの内側に右手を入れるのが見え、彼の動きを注視する。彼は懐から長い何かを取り出し――出てきたものの場違いさに僕の思考は束の間停止した。
あの男は何をしているんだ。なぜこんなところで――
その
「将来有望な君たちには、是非とも――」
男は立ち上がり、細長いそれを水平に構えた。教授が異変に気づき、話すのを中断する。
思い出した。
四年前、父と兄が乗っていた馬車を襲撃した男。
あの男は――。
「クインタス」
横一閃。
次の瞬間、男の前に座るブラウン夫妻の頭が二つ同時に消え失せ、ボトボトと重たい音が静まり返ったホールに響き渡った。
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