第2話


 躊躇わずに部屋に入った。後ろで扉が閉まる音を聞きながら、部屋の真ん中にある丸椅子のところまで歩いていく。

 外からではわからなかったけど、部屋の縦と横の長さが同じくらいで天井も無駄に高いから、まるで立方体の中にいるみたいだった。



「どうぞ、お座りください」



 長机の前に僕と正対して座る初老の男が穏やかな口調で言った。指示に従い、僕は静かに腰を下ろした。

 男の左手側には、妙齢の女が座っている。二人とも白衣を来ていて、教会の人間という感じはしなかった。学園から来た先生だろうか?

 机の真ん中あたりに木製の棒状のものがスタンドに置かれている。以前エルサに杖を見せてもらったことがあった。それよりも装飾が多めではあったが、形状は似ている。

 あれで魔力を測定するのだろうか。もっと特殊な、仰々しい感じの魔力測定装置を思い浮かべていたから、ちょっとばかり拍子抜けだった。

 扉を開けた男たちが椅子に座る僕の左右に立った。貫頭衣を着ているから、正体のわかりづらさが不安を煽る。ただのドアマンではなかったのか。

 それで、今はなんの時間だろう。早く始めなくていいのだろうか。

 この中で一番偉い人っぽい正面の男は、僕を興味深げに観察するだけで、何も言わない。



「すみません、挨拶でもした方がよろしいですか?」



「ああ、じろじろ見てしまって申し訳ありません。ロイ・アヴェイラム君で合っていますね?」



「はい」



「はじめまして、ロイ君。アルクム大学魔法学科教授のウィリアム・ワイズマンです」



 大学教授? 学園から来た先生とかじゃないのか。ということは、隣の女の方は研究室の学生だろう。



「はじめまして。ワイズマン教授」



「ではさっそく始めましょうか。とはいえ、あなたが魔法科への進学に十分な魔力を持っているであろうことは、すでに確認済みですから魔力検査は免除でもよいのですが……さて、どうしましょうか」



 免除ねえ。楽なのは嬉しいんだけど、あの装置を体験しないのはなんだか損に思える。



「僕が自然魔法を扱えることはご存じのようですが、正確な魔力量は測らなくてもよいのですか?」



「この検査の目的は、魔法使いの候補を選定することです。基準に満たない多くの生徒は一般科、基準以上なら魔法科となります。魔力の多寡はそれほど問題ではありません。魔法の実技科目のグループ分けをするときに参考にする程度ですからね。魔法使いの資質を測る評価軸は魔力量以外にも数多くあるのです」



 なるほど。魔力量が多くても優秀な魔法使いであるとは限らないと。僕の魔力循環で鍛えた魔力操作能力や無属性魔法などの特殊な魔法を検査で測れるかと言われたら難しい気がするな。



「魔力量以外では何が基準になるのでしょう」



「身体強化のような自然魔法が使えることはその一つです。自然魔法は魔法使いに求められる資質の中でも最上位に位置するものです。他には魔法学の知識だったり、魔法体系を理解するのに必要な論理的な思考力だったり、まあいろいろです」



「さきほどグループ分けと言っておりましたが、自然魔法が扱える僕は魔力量を測らずとも上位のグループに振り分けられるということですか?」



「はて、どうだったか……」



 ワイズマン教授が隣の女に尋ねる。



「はい、あなたの言う通りです。しかしグループは生徒の成績によって流動的に入れ替えがありますから、いくら自然魔法が使えるからといって、サボってばかりいると、しっかり下のグループへと落とされますよ」



 ワイズマン教授の代わりに女が僕の質問に答えた。



「それは安心ですね。才能にあぐらをかく怠惰な生徒といつまでも同じグループで授業を受けたくありませんから」



「これはこれは、厳しい生徒会長さんだ」



 ワイズマン教授が楽しそうに言った。



「ところで、その装置の使い方や検査の手順などをお聞きしてもよいですか? せっかくなので」



「ええ、もちろん。試しに検査を受けてみますか?」



「いえ。気になるのは測定装置の仕組みです。その杖のようなものを使うのでしょう?」



 僕は机の上に置かれた物体へと視線を動かした。



「仕組みですか……。いいでしょう。では、これの説明の前に――杖の仕組みがどういったものか、ご存じですか?」



 男はスタンドに置かれたそれらのうち、一番近い一本を持ち上げた。



「魔力を魔臓から引き寄せ、魔法として外に放出するもの、という認識です」



「素晴らしい! その通りです。これは厳密には杖ではありませんが、仕組みはだいたい同じです。異なるのは、この魔力検査用の杖からは魔法が出てこない。通常の杖と違い、先端に魔力の行き止まりがあるのです。その結果どうなるかと言いますと、あなたが得意な身体強化に似た現象が観測されるのです。その意味がわかりますか?」



 身体強化の仕組みや、実際に行ったときの感覚を思い出してみる。



「はぁ、つまりは杖の強度が上がったり、発熱したりするということでしょうか」



「その通り! 噂に違わず非常に優秀です! さすがはエルサさんのお子さんだ! ……ああ、いえ、すみません。ついつい興奮してしまいましたね。はは。しかし、まさにその通りなんですね。そのときの発熱を利用して魔力量を測定するのですよ」



 穏やかで子供に対しても丁寧な男だと思っていたが、その印象は今崩れ去った。魔法フリークな一面があるようだ。

 彼は母の知り合いのようだけど、大学時代のつながりだろうか。気にはなったが、なんとなく興奮気味に語ってきそうだ。また書斎でエルサに遭遇したときにでも聞いてみよう。



「ここに検査用の杖が複数本ありますが、胴体部分の伝導性、先端部分の抵抗の大きさ、魔力容量など、それぞれ違いがありまして、使用する杖を適切に見極め、安全に測定していきます。ちなみに魔力測定には主に発熱しか用いませんが、硬化も注目すべき特徴です。たとえば――」



「教授、そろそろ」



 ペラペラとしゃべり続けるワイズマン教授に女が釘を刺した。



「はい、はい、そうでした。魔力検査の途中でしたね。名残惜しいですが、終わりにしましょう。ロイ君、この続きはまた今度にしましょう。アルクム大学でいつでも待っていますよ」



「はい、それでは」



 僕が立ち上がると、両側に立っていたローブの男たちが入口の方へ歩いていった。それを追いかけるように僕も入口へ向かう。

 邪魔にならないちょうどよいタイミングで扉が開けられ、僕は立方体の部屋を後にした。






 魔力検査が終わると、冬休み明けには学園の筆記受験を控えたほとんどの六年生は気の休まる時がない。内部進学組だから少しくらい下駄を履かせてくれるだろうけど、それでも毎年それなりの人数が試験に落ちるらしい。

 附属校は経済力さえあれば子供を入学させるのも難しくない。六年前の僕でも入れたくらいだ。だけど、アルティーリア学園の入学試験はしっかり能力が見られる。つまりお金だけでは解決できないということだ。ものすごい資産家だったら裏口入学もあるかもしれないが。たとえば僕の家とか。

 もちろん、そんなことしなくても自分が落ちることなど露ほども考えていないし、そもそもアヴェイラム家は落ちこぼれた子供に施しを与えるような優しい家ではない。僕の経験上、ただただ放置されるだけである。

 魔力検査の結果はすでに開示された。僕は予想していた通り、最高判定の『優』が与えられた。もうわりと余裕綽々だ。筆記試験でとんでもなくひどい成績を取らない限り落ちることはない。

 最近の楽しみのひとつは、他の生徒の余裕のなさを見て優越感に浸ることだ。我ながら歪んだ性格をしている。

 生徒会室のドアを開けると、ヴァンがソファの真ん中に座り、テーブルに筆記具や紙を広げていた。



「やあ、ヘッドボーイ君じゃないか」



 ヴァンは今年ヘッドボーイなるものに選ばれた。毎年六年生の男子の中から一人だけに与えられる称号だ。リーダーシップがあるとか学業や運動が優秀だとか、総合的に見て決められる。まあ、要は先生方のお気に入りの生徒ということだ。実績で言ったら僕が選ばれてもおかしくなかったけど、教員からの好感度はヴァンに軍配が上がる。まあ僕は愛想が悪いからな。



「なんだよ、生徒会長様」



 ヴァンが嫌そうに言い返してくる。



「必死に勉強しているフリか? 君も魔力検査の判定は『優』だったはずだろ?」



「フリじゃない。ほんとに勉強してるんだ。『優』だろうが『不可』だろうが筆記試験には全力を出すべきだ」



「そいつはいい心がけだ。てっきり文武両道のイメージを守るために演技しているのかと」



 僕はテーブルを挟んで対面のソファに腰を下ろした。



「ロイはいいのか? 勉強してるのを一度も見たことないけど」



「優秀だからな」



「言ってろ」



 いつものように挨拶代わりの軽口を言い終えると、ヴァンは勉強を再開した。

 彼は学年の成績上位者である『女王の学徒』に何度か名を連ねるほどの学力を持ちながら、それでも決して油断をしない。地球の乗り物で例えるなら、ヴァンは常人と積んでるエンジンが違う。この四年弱、何度も感じたことだ。

 彼とだいたい同じくらいの成績のエベレストなんか、もうすでに受かったような顔をして、放課後になるといつもエリィとマッシュの家庭教師をしている。そのくらい気を抜いてもいいんじゃないかな。

 だいたい合ってるヴァンの解答をぼけっと見ていると、ドアが開けられた。



「ロイさまあ、聞いてくださいよー。イヴの教え方がいちいち偉そうなんですよ!」



 愚痴をこぼしながらマッシュが部屋に入ってきて、エベレストとエリィがそれに続く。



「あなた方がいつまで経っても理解なさらないのが悪いと思いますの」



「あなた方って、あたしはマッシュ君よりマシでしょ?」



「わたくしからしたらどちらも変わりませんわ。千年を生きる大樹に若木の背丈の違いなどわからないでしょう?」



「そういうとこだよ、ルカちゃん……」



「そうだそうだ!」



 来て早々騒がしいトリオだ。マッシュは最初、ヴァンやエリィのことをよく思っていなかったのに、今ではすっかり仲良しになった。エベレストとエリィがいつもいっしょにいるのを見て派閥とかどうでもよくなったのかもしれない。僕とヴァンもそれなりにうまくやっているから、その影響はあるだろう。単純な子だ。

 人数が増えてきたから、僕は部屋の奥にある生徒会長の座る席へと移動した。空いたソファに三人が座る。



「なあ、ここが生徒会室だってわかってるのか? 君たちのたまり場じゃないんだからな」



 ヴァンがテーブルの上の勉強道具を片付けながら、正面の三人に向かって言った。



「いいじゃん。生徒会の集まりがない日しか来ないんだし」



 エリィは悪びれる様子もない。

 その時、コンコンと、上品にドアがノックされた。



「どうぞ」



 ヴァンが応じるとゆっくりとドアが開き、背が高く、手足の長い、整った顔立ちの男子生徒が姿を見せた。



「おや、みなさんお揃いで」



「なあんだ、ペルシャか。先生が来たかと思ってびっくりした」



 ソファから腰を浮かせていたマッシュは再び座り直した。入ってきたのが先生だったら逃げるるつもりだったのだろうか。



「チェントルムがここに来るのも珍しいな。なんの用だ?」



「あなたに用はありませんよ、英雄様。――ロイ様、魔力検査の結果についてご報告に参りました」



「ああ、そうだったな。――外で話すか?」



「いえ、ここで構いません。『優』でしたので。ロイ様、それとスペルビアは言わずもがなでしょうが」



 ペルシャはヴァンに冷めた視線を送る。ヴァンが楽々と『優』を取ったことが気に食わないみたいだ。



「無論だ。報告ご苦労」



「それでは私はこれで」



「せっかくいらしたのですから、少しくらい座っていかれたらどうです?」



 用が済んですぐに出ていこうとするペルシャを、エベレストが引き留めた。

 ヴァンがソファの奥に詰め、ペルシャは嫌そうに顔を歪ませて空いたスペースに座った。ソファの両端に寄った二人の間には不自然なくらい間が空いていて、相変わらずの仲の悪さが見て取れる。



「イヴも『優』だったよね。いいなあ。エリィとボクは『可』だったよ」



「当然ですわ」



「あたしは魔法科に入れるってだけで十分だなあ。てことはマッシュ君とあたし以外みんな『優』ってこと? やっぱりエリート家系は違うね。血は嘘をつかないって本当だったんだ」



 グループは分かれたけど、少なくとも全員魔法科には進めるようだ。もちろん筆記試験に受かればだが。



「最初のグループ分けはたいして意味がないらしい。生徒たちの成績を見ながら流動的にグループ間の移動があると聞いた」



 魔力検査に来ていた研究生の女がそんなことを言っていた。



「そうなんだ。じゃあ、あたしとルカちゃんの立場が逆転するのもそう遠くないってことかあ」



「ふふ、エリィさんは冗句がお上手ですわ」



 この二人は本当に仲がいいのか疑問だな。いつでもどこでも言い合いをしている。



「――なあ、俺たちはこのまま友人関係を続けてもいいのか?」



 ヴァンが唐突に疑問を口にした。



「なんの話?」



 マッシュが首を傾げる。



「アヴェイラムとスペルビアの両派閥がこれほど親しい世代も珍しいと思ったんだ。ロイは家の人に何か言われたりしないのか?」



「何も。次男には期待していないのだろう。貴様のところは何か言われているのか?」



「俺のところは……勝負事のたびにロイに勝ったか聞いてくる。たとえば期末試験とかな」



「ふうん。なるほど、君は惨めにも、敗北したことを毎度両親に報告しているわけか」



「そうだな。運動会で一度として負けなかったこともちゃんと伝えてるぞ」



 ぐぬぬ。それを言うのは反則だろ。許さない。



「実際のところ、子供だから許されているのだろう。もう何年かして、それでもまだ仲良しこよしを続けているようなら、アヴェイラムからもスペルビアからも歓迎されないに違いない」



「やっぱりそうだよな」



 貴族社会とは面倒なものだ。大人の事情に子供を巻き込むなと言いたい。



「――いっそのこと、新しい派閥でも作ってしまおうか」



 ふと、自分でも無茶に思えるような考えが、口からこぼれ落ちた。



「俺たちで? そんなことできるのか?」



「いや、どうだろう。――まあ、作るだけならできないことはないな。学生の政治的な運動は時にとんでもないエネルギーを生む。思い切ってそういうことをやってみるのも一つの手……かもしれない」


 いつ魔人が攻めてくるかわからないこのご時世だ。派閥がどうとか言って分断されたままでは、迅速に対応できないことも増えてきそうな予感がする。何世紀も前に作られた枠組みの中で大人たちに従う必要はない。

 魔物被害が始まった頃から、国民の魔人に対する反感はどんどん高まっているように感じる。附属校の生徒たちの間でも、タッチされたら魔人になる遊びとか、騎士が魔人を倒すごっこ遊びが流行っている。



「だけど、学園に入学したら派閥間の溝はもっと深いらしいぞ。父さんが言ってた」



「そうなのか?」



 答えを求めてペルシャの方を見ると彼は頷いた。



「学園には三つのハウスがあります。生徒はそのうちのいずれかに所属しますが、ハウス間の隔たりは大きいようです」



「それってあれでしょ? ラズダとかシャアレの」



 エリィが言った。



「はい。シャアレ、ラズダ、ニビの三つのハウスがあり、アヴェイラム派はシャアレ、スペルビア派はラズダ、その他がニビというように概ね分かれるそうです」



 ペルシャはなんでも知ってるな。



「ふぅん。例外もあるのか?」



 僕は疑問を口にした。



「入学が決まったあとに適性検査があります。その結果によっては家柄にそぐわない所属になることもあるようです」



「なるほど……」



 どうせ僕はシャアレだろうな。



「だったらやっぱり新派閥なんて難しいんじゃないか?」



 ヴァンが話を戻した。



「僕とヴァンが旗頭になればいい。まさに今のこの学校がそんな感じだ。僕らが三年生の頃と比べたら溝はだいぶ埋まってるだろう?」



「それもそうか」



 僕とヴァンがそれなりに良好な関係だから、他の生徒たちもそれに倣っている。学園に入学してからも同じようにやっていけるはずだ。



「私はロイ様とはこれからも良い関係を続けていきたいと考えておりますが、家の方針に従いますので、スペルビア派と表立って親しく振る舞うつもりはございません」



 ペルシャがはっきりとそう言った。

 彼の祖父であるチェントルム公爵は完全なアヴェイラム寄りの人だから、孫がアヴェイラム派閥以外の何かに所属して活動をすることを許すとは思えない。

 ペルシャと目が合った。彼はマッシュやエベレストと違って、スペルビア派への態度が軟化しなかった。僕がヴァンやエリィとつるむのにもいい顔はしない。

 ペルシャの発言を最後に、新派閥を作るというアイデアは有耶無耶になった。少し突拍子がなかったかもしれない。しかし、学生組織という着想自体は悪くない気がしている。

 この国は今、対魔人政策について両派閥で意見が割れている。議会では激しく討論が繰り広げられているというニュースを新聞でよく目にする。今すぐどうこうというわけじゃないけど、今後の情勢によっては十分検討する価値はありそうだ。

 政治的な話が一段落して、マッシュがペルシャに勉強でわからないところを質問した。聞かれたペルシャは、丁寧に説明している。エリィの質問にもなんだかんだ答えているのを見てホッとする。彼は表立って親しく振る舞うつもりがないと言ったが、敵対するつもりもなさそうだ。

 彼らの声を背景に、僕は生徒会長としてのペーパーワークを進めた。もうすぐ僕とヴァンは生徒会を引退する。

 生徒会長はリーゼに引き継がれることになる。彼女は一年前の事件で親友を失い、深い心の傷を負った。しかし、そこから立ち直り、今では時期生徒会長として誰もが認める存在となっている。

 安心して卒業できそうだ。

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