第四章

第1話


 僕は『40歳から始める健康魔法』を閉じた。何度読んでも素晴らしい本だ。

 夢中になって読んでいたら、もう始業時間間近だった。生徒会室を私物化して毎朝ゆったりと過ごせるのは、生徒会長の特権だ。



「おはようございます、会長」



 生徒会室を出て廊下を歩いていると、顔と名前の一致しない下級生たちがこちらへ向かって挨拶を口にしながら通り過ぎていった。初めは慣れなかった呼び名も、今ではもう随分耳に馴染む。

 近頃、日に日に寒さが増してきている。一年前のこの季節、僕は生徒会長に就任した。それと同時期に起きた連続誘拐事件は、まだ記憶に新しい。

 事件の発端は、生徒会の後輩が誘拐されたことだった。数日後、彼女は遺体で発見され、名家の子であったことも手伝って、大変なスキャンダルになった。世間が注目する中、犯行は次に同級生のルビィ・リビィ、そしてさらには僕がさらわれた。間一髪のところで僕はヴァンに救い出され、彼とともに犯人を打ち倒すことができたが、本当にギリギリの戦いだった。あのとき死んでいたかもしれないと思うと、今でも背中に冷たいものが走る。

 教室へと向かう途中、階段を上ってくるルビィ・リビィの姿を見つけ、立ち止まる。彼も誘拐事件の被害者の一人である。ルビィは犯人の魔法毒により生死の境を彷徨ったが、僕の母親であるエルサの助けもあってなんとか一命をとりとめた。事件後しばらくは僕に対して異様に距離が近かったが、今はだいぶ落ち着いている。精神的に不安定だったのだろうと思っている。



「ロイ君」



「おはよう、ルビィ・リビィ」



 上ってきたルビィといっしょに階段を上る。六年生の教室は三階にある。

 隣のルビィの手を見ると、彼はいつも通り、巾着袋を大事そうに握っていた。

 事件からひと月ほど経った頃だったと思う。ルビィは僕に袋の中身を見せてくれた。何が出てくるのかと身構えたが、なんのことはない。普通の鉄ペンだった。昔母親に買ってもらったものだという。母親に何かを買ってもらって嬉しいと感じる価値観を僕は持たないから大層拍子抜けしたものだが、彼にとっては肌身離さず持ち運ぶほどのものらしかった。母親とどんな関係を築けば、ただの鉄ペンにそれほどの価値を見出せるのか不思議だ。少なくとも僕とエルサみたいに冷えきった関係でないのだろう。ルビィの母親とエルサは王立研究所に勤める同僚で、学生時代からの付き合いだというが、同じような人生を歩んでも母親としての能力はだいぶ差がありそうだ。



「そういえば、その鉄ペンは何に使っているんだ?」



「……言葉を書くんだよ」



「言葉? 文章ということか?」



「頭に物語が浮かぶと、文字で残しておきたいから」



 ルビィの平坦な声に、ほんの僅か、熱が帯びたように感じた。



「ふぅん。楽しそうだな」



「うん」



 出会ったときは、彼はリアム・ドルトン率いるいじめっ子グループによく絡まれていた。一度僕が注意してからはそういうこともなくなった。そのおかげか、ルビィの感情は前よりわかりやすくなったと思う。

 ルビィと別れ、教室に入る。中央の最後列に位置する自分の席に座った。

 今日は学校に来るのが遅くなってしまったせいか、いつもエリィを訪ねてこの教室に遊びにくるエベレストの姿は見えなかった。



「おはよう」



 右隣の席に座るエリィから声がかかった。



「おはよう、サルトル。エベレストはもう自分のクラスに帰ったのか?」



「うん、アヴェイラム君が来る少し前に。これ、渡しといてって」



 お菓子が入った箱を手渡される。菱形ひしがたが描かれた箱だ。この模様ということは、今日のお菓子はマッシュが持ってきたものらしい。エベレストが持ってくる箱は、もう少し凝った花や動物などの意匠が描かれている。

 マッシュはたまにしか遊びにこない。でもなぜか僕への献上品はほとんど毎日律儀に持ってきて、彼と同じクラスのエベレスト経由でここまで運ばれるのである。

 僕は上蓋を開け、中からクッキーを一枚摘んだ。



「アヴェイラム君って、お菓子食べてるときが一番怖くないよね」



 僕のお菓子好きは相当なものだ。三年前に手に入れた前世の記憶によるとお菓子を食べすぎるのは健康に悪いのだが、そのこと知りながらも食べるのを控えようと思えない。

 この記憶の持ち主である大学生の男は、成長するにつれて甘いものが苦手になっていったはずだが、彼の嗜好にまったく影響を受けずに、僕は甘いものが大好きなままだった。一生やめられる気がしない。



「常日頃から心優しい生徒会長を務める僕は、どんなときでも怖くないはずだが」



「あはは。おもしろいね」



 エリィとはエベレストを交えて話しているうちに多少仲良くなった。しかし、最近僕への敬意が足りないように思う。平民上がりの下級地主はみんなこうなのだろうか。

 彼女はすべての人に親しげに接しているようでいて、案外ドライなところがある。僕やヴァンに対しても一線引いている印象だ。彼女が素になるのはエベレストを相手にするときだけかもしれない。

 商人というのは得てして他人との距離の取り方を弁えているものだから、この大都市アルティーリアで一、二を争う有名ブランド『サルトル』の娘らしかった。



「今日の魔力検査はうまくやれそうか?」



「うーん。しょーじきみんなみたいに緊張はしてないかな」



 言葉通り、彼女の表情には気負ってる感じはなかった。

 今日行われる魔力検査は、僕たちの人生を大きく変えるイベントと言っても過言ではない。ここで良い結果が出れば、学園の魔法科に進学できる。一般科との違いは、いくつかの科目が魔法に関する科目に置き換わる程度だが、卒業後の進路は大きく変わってくるのだ。

 魔法科を修了すれば魔法使いの免許が与えられ、特殊な職業や役職に就くことができるようになる。僕の場合だったら魔法研究職への道が開けるし、ヴァンみたいな戦闘狂なら軍か騎士団かの魔法を使う部隊に所属できる。数年前にできた巡察隊と呼ばれる治安維持組織の中にも、魔法犯罪を専門的に取り扱う部署があるというし、魔法具なども魔法使い以外は売ることができない。仮に免許が必要な職につかなくても、魔法使いというだけで社会的ステータスは相当に高く、出世などもしやすい。

 つまり、適正があるなら取らない手はないのである。



「うちの商売ってファッション中心だから、魔法使いの免許を取得する意味はあんまりないんだよねー」



「ふうん。まあその通りかもしれないが、君も貴族の端くれになったのだから、魔法使いになればブランドにも箔がつくだろう」



「えー、そんなに変わるもの?」



「もちろんだ。上流階級の仲間入りをしたのであれば貴族としての評価はどこへ行こうとついて回る。魔法使いは貴族にとってもステータスのひとつだ。免許を取ればブランドの評価は上がる」



「そっかあ……。もしかしたら魔法使いになったらルカちゃんちの人たちも見直してくれるのかな……」



 ルカちゃんとは、エリィだけが呼ぶエベレストのあだ名だ。なぜそんな男みたいなあだ名をつけたのかはよく知らない。エベレストの本名がルーシィだから、安直にルカにしたのだと勝手に思っている。

 エベレストの家はかつて『サルトル』を贔屓にしていたが、敵対するスペルビア派にエリィの家が取り込まれたことをきっかけに両家は決別した。家同士の仲が悪化し、エリィとエベレストも一時期は仲違いしていたが、紆余曲折あって今は再び仲良くしている。



「お互いの両親公認の仲に戻れる絶好の機会だ。あえてふいにすることもない。それに一般科と魔法科に分かれてはいるが、いくつかの選択単位が魔法学の単位に置き換わる程度の違いだから、将来必要なくても適性があるなら魔法科に入っておくのが賢い選択だ」



「それもそうかも。……でもアヴェイラム君にそんなに言われると、なんか怪しいなあ」



 エリィは勘が鋭い。これがマッシュならなんの疑いもなしに僕の口車に乗せられる頃だ。

 実を言うと、僕も結構『サルトル』の服や小物のデザインが好きだから、アヴェイラム派閥でも堂々と着用できるようになればいいと思っている。今はスペルビア派閥の貴族御用達みたいになっていて、アヴェイラム家の僕はなかなか外で使いづらいんだ。



「裏がないと言えば嘘になるな。僕はこれでもサルトルの製品を愛用していてね。傘などの小物のシックな感じが好きなんだ。あれを魔法の杖代わりにできたらかっこいいと思わないか? 君が魔法使いになれば、そういう製品も期待できそうだから、こうやって説得しているんだ」



「へえ。アヴェイラム君でもそういうこと思うんだ。男子ってみんなジェントルマンのガジェットみたいなのに憧れるよね」



 どうやらクールなものに惹かれる男子特有の病のように捉えられてしまったが、紳士のスパイグッズに憧れる想いは僕の中にたしかに存在するから誤解とも言い切れない。

 やれやれこれだから男子は、とでも言いたげな様子で呆れたようにお姉さん風を吹かすエリィは少しだけ癇に障ったが、先に誕生日を迎えている僕はお兄さんなので何も言わずに始業のチャイムを待った。






 魔力検査に使われる装置は魔樹の性質を利用している、とエルサの書斎に落ちている本に書いてあった。

 魔樹は杖の材料として有名だが、魔力を通したり通さなかったりする半分だけ伝導体のような性質が魔力の制御をするのに勝手がいい。なので、杖の他にもいろいろと利用できるのではないかと期待されている、大変魅力的な物質である。

 魔力測定器は、その制御機能を用いて対象者の魔力を少しずつ引き出してやることで、比較的安全に潜在魔力量を測ることができる。親が家庭で子供に杖を使わせるよりは魔臓不全に陥るリスクはずっと少ない。今日の魔力検査では、さらに万全を期すため、一人の生徒に数人の専門家がついてしっかりと時間をかけてやるらしい。こういうところを横着しないで徹底してやるのは、さすが国内屈指の名門校といったところだった。

 魔力検査が控える教室は、いつもと違って空気が緊張している。朝からずっとこんな感じだ。

 チャイムが鳴り、四限が始まった。いよいよ僕たちのクラスが検査を受ける番だ。

 教室のドアが開き、常時近寄りがたい空気を放っている女教師が、カツカツと音を立てながら教壇の中央まで歩き、教室を見渡した。



「これから魔力検査を行います。最初のグループは私についてきなさい」



 女教師はそれだけ言うと、すぐにまた教室を出ていく。

 グループ分けは名簿順で、僕は最初のグループだ。クラスを代表するように、僕は真っ先に立ち上がり彼女の後ろをついていった。

 面倒だが、生徒会長の僕はクラスでもこういう立ち回りを期待されている。

 教室を出て、廊下をしばらく歩き、階段を地上階まで下り、さらに廊下の端まで行き、突き当りにある大きな両開きの扉の前で女教師は立ち止まった。これまで一度も入ったことのない部屋だった。

 生徒が全員たどり着くのを待って、女教師は口を開いた。



「名前を呼ばれたら中に入り、部屋の中央の椅子に座って検査を受けなさい。――アリンガム、中へ」



 扉がひとりでに開いた――と思ったら、ダークブラウンのローブを纏った二人の大人が扉の両側に立っているのが見え、彼らが内側から開けたのだと気づく。

 部屋の中はいつも僕らがいる教室よりも一回ひとまわり広く、天井も見上げるほどに高かった。奥の壁には、縦長の大きなステンドグラスの窓が何枚か嵌め殺しになっていたが、遮光性が高いのか部屋の中はあまり明るくない。

 背もたれのない丸椅子が部屋の中央に置かれ、その後ろに長机がある。机の向こう側に二人、白衣を着た男女がこちらを向いて座っている。なんだか圧迫面接でも始まりそうな雰囲気だ。

 苗字を呼ばれたポニーテールの女子生徒は、顔を強張らせ、おどおどと前に進み出た。彼女が部屋の中へ入ると扉が閉められた。



「なんか、不気味じゃなかった?」



「魔力検査って宗教的な意味合いもあるらしいよ」



「あー、だからあの人たち修道服着てるんだ」



 近くのクラスメイトたちが小声でおしゃべりをする声が耳に入ってくる。

 たしかに、いかにも宗教的な儀式が行われそうな様子だった。

 数分経った頃、再び扉が開かれ、さきほどの女子生徒が出てきた。ガチガチに緊張していたさっきよりは、顔色はよくなっている。

 扉の脇で待機していた女教師が一歩進み出る。手に持った一枚の紙――おそらく名簿が書かれている――に一瞬だけ目を落とし、顔を上げた。



「次の生徒。アヴェイラム!」

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