第13話
休日に家から抜け出し、目的のコーヒーハウスに着くと、注目が集まった。
名前を聞かれたから答えると、ちょっとした騒ぎになった。救済運動によって僕の名は結構広まっているらしい。
大学生くらいの女性に促されて、丸テーブルを囲む席の一つに座る。
すぐにテーブル席の客たちから質問攻めされ、どれに答えればいいのか、困ってしまう。
そんな中、一人の男が手をあげて言った。
「ここは新聞記者である私に最初に取材させてほしい!」
新聞記者か。いったいどこのだろう。
「なんという新聞だ?」
僕は男に尋ねた。
「『日刊ファサード』」
「あなたの取材に答えよう」
僕は二つ返事で引き受けた。
『日刊ファサード』は僕の一番気に入ってる新聞。そう思うと、この記者が知的に見えてくる。
「おお! それはありがたい!」
こうして、僕と記者が一対一でやりとりをし、テーブルの他の客はそれを聞くだけの不思議な空間が出来上がった。
簡単な僕の情報から質疑応答は始まり、取材が進んでいく。
場が温まったところで、記者が目つきを変えた。
「さて、本題ですが、救済運動を始めた理由は、ズバリなんでしょう?」
「それは――後輩のため。そして僕のため。それだけです」
僕は慎重に言葉を選んで答えた。
後輩のため――それは、死んだアンジェリカではなく、リーゼのことを指している。アンジェリカのために始めたと、僕は言えない。でも、今なら、リーゼのため、そして、僕自身のために何かをしたい思いがあるのは嘘じゃない。
記者は神妙に頷いた。周りの他の客たちの中も真剣な顔で、ハンカチで涙を拭く姿まで見ることができる。
きっと、殺されたアンジェリカを思う一心で救済運動を始めたのだと思っているのだろう。少しバツが悪い。
取材はそれが最後の質問となった。
「やはり噂は信用ならないね」
「噂?」
「あ、いや」
記者はしまったと言いたげに頭を掻いた。
「言ってくれて構わない。僕ももう10歳。大人だからな」
「いやあ、その――中にはあなたのことを『アヴェイラムの落ちこぼれ』なんて、はは、言う人もいるみたいで……」
落ちこぼれか。
両親や兄が優秀だから、そう噂されるのも納得できる。その噂がいつごろ流れ始めたかはわからないけど、数年前の自分はたしかにやりたいこともなく、ぼうっとしていたしな。
「ふぅん、そんな噂が」
「気にする必要はないよ。こういうことってよくあるからね。有名人の子が出来損ないだと嬉しい人が世の中にはいるんだ」
「噂は間違ってないさ。子供なのに、ママにおねだりもできないからな」
「はは。たしかに、子供としては落ちこぼれかもしれないね――今日は取材できてよかったよ。記事は出る前に確認するかい?」
「勝手にやってくれて構わない。『ファサード』は信頼しているからな」
僕がそう言うと、記者はニコリと笑い、席を立つ。
「ありがとう。それじゃあ、僕はさっそく原稿を書き始めたいから失礼するよ」
記者が出ていくと、テーブルの他の客たちが待ってましたと言わんばかりに口を開き、僕はやはり質問攻めに遭った。
有名人になった気分だ。あるいはそれも間違っていないのか。こうして外へ出てみると気づく。学校という空間のなんと狭いことか。
「ロイさんは将来したいことはあるかしら」
僕をテーブルに案内した若い女性が僕に問うた。
コーヒーハウスに来るのはもっぱら知識階級の人々だから、おそらく彼女は大学生だ。
「魔法学に関わることだろうか」
「というと、お母様のように、魔法学の研究がしたいの?」
「それもひとつの道でしょう」
「まあ! お母様もお喜びになるでしょうね!」
女は何が嬉しいのか、ニコニコとした笑っている。周りを見れば女以外にも笑顔が並んでいて、居心地が悪くなってくる。
「おい、そういえば今日あいつは来てないのか?」
髭に白が少し混じる中年の男が思い出したように言った。
「誰――ってああ、博士のことね! あそこにいるわ!」
女が店の奥の方を指差した。40歳くらいの男がカウンター席でひとり本を読んでいた。
「博士は昔、研究所勤めだったのよ。魔法学の研究をするなら彼の話を聞いておいて、損はないわ――ああ、でもああやって本を読んでるときは、集中して何を言っても聞こえてないのよね。あの様子じゃ、ロイさんが入ってきたときの騒ぎにも気づいてないわ、きっと。ちょっと私、呼んでくる」
事件について情報を得るために来たけど、妙な方向に話が進んだ。でも、研究職のことは気になる。エルサには気軽に聞けないし。
女が博士と呼ばれる男を連れて戻ってきた。博士はさっきまで記者が座っていた席に腰を下ろした。
「やれやれ。いったいどうしたんだね。こちらは忙しいというのに」
「まあまあ。きっと博士も、ひとりで本を読んでるより楽しめると思うわ。ほら、こちら、誰だかわかる?」
女が僕を手で示した。
「うん? どうしてここに子供が?」
「なんとこちら、今話題のロイ・アヴェイラムさん!」
女が誇らしげに僕を紹介する。この人は僕のなにのつもりなんだろうか。
「アヴェイラム? エルサ・アヴェイラムの息子かな?」
博士は目を見開いた。観察するようにじろじろと顔を見られる。
「一応そういうことになっている」
僕は頷いた。
初対面でアヴェイラムの子ではなくエルサの息子と認識されるのは初めての経験だった。
「母をご存じで?」
研究所勤めという話だが、母の知り合いだろうか?
男はテーブルに肘を置き、深く息を吐く。
「――もちろん知っているさ。元同僚だからね」
人の良さそうな目が僕を見る。丁寧な教え方をする教師の雰囲気がある。僕は彼に何を聞けばいいのだろう。研究の話かエルサの話、どちらを聞こうか迷っていると、隣から助け舟が入った。
「ロイさんは魔法学の研究に興味があるみたいなの。何かためになることでも教えてあげたらどうかしら」
「私が教えられることと言えば――そうだね、厳しいことを言うようだけど、能力がなければ難しい道だ。母親のように王立研究所で研究することを望むのならね」
「最初にそんな厳しいこと言わなくたっていいじゃない」
「現実が厳しいのだから仕方がないだろう?」
魔法学は多くの学問の中でも高尚なものという位置づけがあることは知っていた。しかし、魔法学研究の最高峰と呼ばれる王立魔法研究所にいた人物から、実際に言われればまた違った重さがあった。
「それで、博士――と呼ばせてもらうが、あなたは何を研究していたのですか?」
僕は博士に尋ねた。
「私の研究? 君はまだ学園にも上がっていないだろう? 言ってもわからないよ」
「試してみては?」
少しカチンときて、挑発的な言い方になる。
「ふむ。それもそうだね。私の専門は、魔力療法だよ」
「魔力療法?」
「魔力の濁りや魔力流の乱れなどによって起こる様々な疾患を治療する方法のことだ」
つまり、異常な状態の魔力を正常な状態に戻すことと思えばいいのだろうか。
「というと、たとえば魔臓不全のようなものも治せるのでしょうか」
「――なるほど、賢い子だ。近い将来、子供の急性魔臓不全を予防する方法も確立されるだろう。私が研究所にいたとき、すでに臨床の――ええとつまり、実際に人を相手に効き目や安全性を確かめるテストの段階だったからね」
「素晴らしい。それがうまくいけば、子供が魔法を学び始める年齢も早まるでしょうね」
「その通り――本当に賢い子だ。優秀な彼女の陰に隠れてしまうことを心配したが――あるいは心配いらないかもしれないね」
博士は眩しそうに目を細くした。どういう感情だろう。僕を見て何か思うところがあるような感じだ。
エルサが研究者として優秀らしいことは知っていたけど、うちの母は想像以上にすごい人なのかもしれない。
テーブルの客たちはまた僕を見て微笑んでいる。母親に憧れる子供だと思われているようで、ちょっと面白くない。だって僕が魔法を学び始めたきっかけは、エルサとは無関係だ。
「誤解があるようだから言っておくが、僕が魔法学を学ぶのは、母に憧れているからじゃない」
ニコニコしている大人たちに向かって言い放つと、彼らの表情はニヤニヤへと変化し、余計に落ち着かない。
でも、こういうの、初めての感情だ。こんなふうに子供扱いされたことなんて、思い返すと一度もなかったような気がする。こういう人との交わりも悪くないかもしれない。コーヒーハウスは社交の場だと言われるが、たしかに今、社交をしているって感じがした。
博士は自分の役目はもう終わったというふうに席を立ち、さっさと帰っていった。その後、大人たちの興味は僕の学校の話へと移った。附属校は国内有数のお金持ち校だから、やはり庶民からしたら気になるのだろう。僕の学校での様子や交友関係なんかも話してやったら、何が面白いのか、みな目を輝かせて聞いていた。
「そろそろ僕は帰る」
気づけば長いこと話していた。
テーブルに貨幣を置き、席を立つ。女が送ると言い出したが、申し出を断り、心配する大人たちの視線を振り切って、店を出た。
ちょうど、僕と入れ替わりに店に入ろうとしていた人物とぶつかりそうになる。
「おっと、失礼――ってなんだ。店主じゃないか。ふぅん。ここにはよく来るのか?」
すれ違ったのは長身の青年。『ラズダ書房』の店主を務める男だった。
意外だ。あまり社交的に見えない彼が、コーヒーハウスに通っているなんて。
「ああ、あなたか。ここへは主に情報収集に来ている。知識人が多いから、噂の精度も高いんでね」
「納得の理由だ――また近いうちに寄るよ」
「いつでも」
店主と別れ、通りを歩く。
今日一日でいろんな人に会ったな。面白い人たちばかりだった。
ずっと部屋の中にいたから、顔に吹き付ける風が殊更に冷たく感じた。
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