第14話
週明け、ルビィ・リビィが誘拐されたとの知らせが教師の口から伝えられた。
新聞によると、ルビィと彼の母親は二人でオペラの公演を見にいき、その帰り、母親が
不思議な話だった。標的が子供とはいえ、公演から帰る人が周りにたくさんいる中で、どうやって不審がられずに誘拐を成功させることができるのだろう。
事件が起こったのは、僕がコーヒーハウスに行った日だ。午後の公演が終わった直後だというから、日が傾き始める頃だろうか。暗くて誘拐に気づかないというには、まだ早い時間だ。
「どう思う?」
僕は新聞から視線を上げ、店主に尋ねた。
学校から一度帰った後、屋敷を抜け出してラズダ書房にやってきた僕は、客が誰もいないのをいいことに、買ったばかりの新聞をカウンターに広げて読んでいる。店主は物静かで気難しそうな印象を受けるが、意外に寛容な男である。
「たとえば、復活が噂されるクインタスなら、一瞬で気絶させておぶって運ぶこともできるんじゃないか? 周りから見れば、疲れて眠った子をおぶってるように見えるだろう」
店主が本に視線を落としたまま答えた。
「クインタスねえ――巷ではクインタス犯人説はそこそこ有力らしいな。僕は信じてないけど」
「なぜ信じていないんだ? 犯行に類似性が見られると新聞で読んだが」
「まず、クインタスは四肢を切断した相手は殺さないんだ。切った後に強力な治癒能力で傷口を治療するからな。次に、今回の事件の犯人は、クインタスとは比べ物にならないくらい火力がお粗末だ。遺体のそばには焼け爛れた手脚が転がっていたらしいが、それじゃあ燃やし方が中途半端なんだよ。なぜなら、クインタスは切断した手脚を炭にするからな」
「なるほど。推理には納得するが――それにしても、やけにクインタスに詳しいな?」
「だろう? 実は僕は一度クインタスに会ったことがあるんだ。その出来事の後、クインタスの過去の事件の記事を掘り起こしたりしていたから、かなり詳しい方だと思う。クインタス専門家と言っても過言ではないかもしれないな」
軽い冗談のつもりで得意げに言うと、店主が口を引き攣らせた。
そうあからさまに引かれると、恥ずかしいな。冗談の通じない男だ。そういえばこの男が笑っているのを見たことがない。
「まあつまり、犯人はクインタスの模倣犯――というより、クインタスに罪をなすりつけようとしている小物というわけさ」
僕はそう結論づけた。
話を続ける。
「わからないのは、なぜアンジェリカだったのか、だ。実は附属校では、事件の少し前から妙な噂が流れていたんだ」
「妙な噂?」
「ああ。何人かの生徒が学校からの帰り道に突然眠くなり、気づけばかなりの時間が経っていた、という話だ」
「突然眠くなる……」
店主は考え事をするように、顎に手を当てた。
「僕はこの噂が事件と何か関係があるんじゃないかと疑っている」
クインタスなら一瞬で気絶させて運ぶだろうと店主は言っていたが、眠らせる手段があるなら楽に誘拐を実行できる。
あの噂がただの噂ではなく、アンジェリカを殺害した犯人の仕業だったとしたら。噂を聞いたときは、同じ場所でずっと眠っていたのだと思っていたが、実はそうではなく、一度誘拐された後にもとの場所に戻されたのではないだろうか。
しかし、腑に落ちないのは、なぜアンジェリカだけが殺害されたのかだ。段々と誘拐だけでは満足できなくなり、アンジェリカのときについに一線を越えてしまったのか?
アンジェリカが誘拐された場所が噂のパターンから外れていることも気になる。他の生徒は送迎馬車から降りた後に一人でいる瞬間を狙われたが、アンジェリカは違う。誘拐されたとき彼女は家の庭で遊んでいた。
「――オーベルト家がネハナの血を引いているという話は聞いたことがあるか?」
店主の声で思考が途切れる。
「うん? ネハナ? 初代女王がその血を引いているというのは聞いたことがあるが、オーベルト家の方は初めて聞いたな。有名な話なのか?」
「俺も噂で聞いただけだ」
グラニカ島を史上初めて統一し、グラニカ王国の初代女王として君臨したラズダ姫は、ネハナ人の血を引いていると言われている。
ネハナ人はすでに歴史の舞台からは消えてしまい、謎多き民族だ。魔法を巧みに操ったとされていて、その血にはロマンがある。
僕の先祖をたどっていくと二代目国王のシャアレ一世に行き当たるから、もしかして僕もネハナ人の末裔なのでは、なんてちょっとだけ期待したこともあった。残念ながらシャアレ一世はラズダ女王の異母弟で、ネハナの血は流れていないことがわかり、幼心に落胆したのを覚えている。
「オーベルト家について僕が知っていることと言えば、グラニカ統一前から存続する北方の大地主ということくらいだな」
なんでも、土地の広さだけなら王国一、二を争うとか。冬はとにかく寒いらしい。
「あのあたりはかつて、ネハナ人の一部が移り住んだと言われている」
「なるほど。だけど、それが今回の事件にどう関係してくるんだ?」
「さっき話していた噂だ。突然睡魔に襲われるという現象に心当たりがある」
「なっ――それは本当か?」
「ああ。魔法毒のことは知ってるか?」
「魔法毒? どこかで聞いたことが――ああそうだ。エルサさん――えっと母親から借りた本に記述があったんだ。大陸のどこかに伝わる民間療法みたいなものだったか?」
「――母親とは仲がいいのか?」
「え?」
店主が珍しくプライベートに踏み込んだ質問をしてきて面食らう。最初に僕がこの店に訪れたとき、堅苦しい関係になるのを嫌って僕はアヴェイラムの人間だと名乗らなかった。以降、ただの一人の客として何度もここに訪れ、気楽に会話することのできる環境を気に入っていた。
「いや、なんでもない――この国では魔法毒は広まっていないが、大陸では専門的に研究している人もいるそうだ」
思わず苦い顔をしてしまった僕に気を使ったのか、店主はすぐに話を戻した。
大陸に生息する、とある魔物に噛まれると、牙から体内に異質な魔力が送り込まれ、中毒症状を引き起こすという。そのままでは毒だが、濃度を調整するなどして病の治療に使う民間療法が存在すると、本には書かれていた。
「つまり、生徒たちが眠くなったのは魔法毒によるものだと?」
「ああ」
「しかし、そんなことが可能なのか? 僕の中で魔法毒は魔臓不全を起こすものくらいの認識だが」
「可能だ。魔法毒とは、特殊な魔力を用いた毒の総称だ。魔臓不全を起こす単純なものもあれば、睡眠障害を狙って引き起こすような複雑なものまである」
さすが本屋の店主なだけあって詳しい。
「なるほど。誘拐犯が魔法毒の使い手だとすれば……。いや、それでもオーベルトを狙う理由がわからない」
「ネハナ人の魔法的な素養は魔法毒によって生み出されたんだ。彼らは魔法毒を自らの体に施し続け、何世代もかけてその特殊性を獲得していった――と、言い伝えられている」
「狂った民族だな。でもそれがまたかっこいい」
文献の残らない時代のすごい民族の話は、どうしてこうも胸が躍るのだろう。 信憑性もなにもあったものじゃないのに、もしかしたら本当なのかもしれないと感じさせる何かがある。
「当然だ」
店主が誇らしげに口の端を上げた。青色のレンズのせいでほとんど見えない目がキラキラと輝いているのが見えるようだった。
もしかしてこの人、相当なネハナ人オタクなのか?
魔法毒やネハナに詳しいのは本屋の店主だからではなく、ただ、好きを拗らせているだけな気がしてきた。
「それじゃあ、犯人の目的は、魔法毒とネハナ人の体質の関連を調べるため、ということか?」
「さあな。詳しいことはわからない。だが、研究者にとってネハナ人が実験体として大きな価値があるのは間違いない」
たしかにそうだ。
魔法毒の研究者じゃなくても、ネハナ人の謎を解き明かしたいと思う人は多いだろう。
僕だって。もし目の前に自由に扱っていいネハナ人がいたら……。
そこまで考え、僕は左右に頭を振って暗い願望から目を背けた。
カランカランと入口のドアが開き、帽子を目深に被った女性客が店内に入ってくる。
「さて、そろそろ子供は帰る時間だ。俺もあなたの子守りばかりしていられるほど、暇じゃない」
店主が立ち上がった。
「今の今まで暇だったくせに……」
文句がこぼれる。そんな自分は店主が言う通りまさに子供なのだと自覚した。
店主は寡黙だが、話しかければちゃんと言葉を返してくれる大人だ。僕の周りにはそうじゃない大人が多いからこの空間は自分にとって貴重なのかもしれない。
まだ若いように見えるけど博識で、知らないことを教えてくれるから話してて楽しい。この本屋が再開してよかった。
少しの名残惜しさを抱えながら、僕は店を出た。
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