第12話


 事件の犯人を追うことはやめになった。

 そうヴァンに伝えると彼は不服そうだったが、リーゼと一緒に説得し、一応は納得したようだった。

 リーゼはあれから少しずつ元気を取り戻している。『おはなし会』の効果なのか、時が癒してくれただけなのかは不明だが、彼女の希望で『おはなし会』は継続中だ。まだ授業には出られないみたいだが、会話は増えてきていて、そろそろ授業にも戻れるかもしれない。



「――精霊祭については、だいたいこんな感じでいいだろう」



 今日の議題であった年末行事について、あらかた話し終わり、僕は一息ついた。



「それじゃあ、今日はもう終わりですね」



 指定の席に座っていたリーゼが立ち上がり、僕の隣までやってくる。



「そうだな」



 ここのところリーゼはずっとこうだ。明らかに僕への依存が重くなっていて、生徒会の集まりがある日、僕は少し気が重かった。

 『おはなし会』は日常と切り離された場だから割り切ることができるが、あの空き教室の外でこういうふうに絡まれるのは、正直鬱陶しかった。

 一度さっさと帰ろうとしたらリーゼは泣き出し、ヴァンからの無言の圧力もあって居残る羽目になった。以降、こうして、彼女の母親が迎えに来るまでの間、リーゼの相手をすることになってしまったのである。

 リーゼはただ隣にいるだけで、僕とはそんなに会話はない。ヴァンは僕だけにリーゼ係を任せるのは気が引けたのか、一緒に残ってくれているが、もともとヴァンとは仲良く話す間柄でもないから、三人がそれぞれ宿題をしたり、本を読んだり、思い思いに過ごしている。



「――ロイ先輩」



 リーゼが読んでいた本を閉じた。



「なんだ?」



 エルサの書斎から拝借した魔法学の本を見たまま、僕は返事をした。



「先輩は小説は読まないんですか?」



 僕は顔を上げた。リーゼが読んでいた本の表紙をちらっと見た。『騎士の結婚』と書かれてある。そういえば、ロマンス小説が流行っていると聞いたな。



「娯楽小説には興味がないからな」



「面白いのに。これ貸してあげます」



 リーゼが小説を持ち上げ、僕に差し出してくる。



「読まないから大丈夫だ」



「絶対ハマりますよ」



「いいって言ってるだろう」



「でも……」



 コンコン、とノックの音がする。リーゼの母親が迎えにきたようだ。



「どうぞ」



 ヴァンが言い、すぐにドアが開いた。立っていたのは、予想通りリーゼの母親だ。



「リーゼ。また、来週だ」



 リーゼは名残惜しそうに僕を見ていたが、僕が本に視線を戻すと立ち上がった。



「うん――また来週。ヴァン先輩も」



「またね、リーゼ」



 リーゼが母親と手を繋いで帰っていった。

 二人が出ていって少し待ってから、僕はため息がこぼした。



「あ。リーゼ、本忘れてる――べつにさ、読んでやればいいのに」



 リーゼが置いていった『騎士の結婚』をヴァンが手に取り、パラパラとめくった。

 僕は栞を挟んで本を閉じた。



「君は彼女が僕にべったりなこの状況を異常だと思わないのか?」



「異常って、ロイを頼ってるってことが? ちゃんとリーゼが元気になってきてるんだからいいと思うけど」



「僕は彼女の父親か? 面倒見切れないだろ」



 呆れて頭を振る。



「なんでロイはいつもそうなんだよ。少しくらい後輩に優しくできないのか?」



「僕の問題なのか? 誰も他人の面倒を一生見続けることなんかできない」



「一生なんて誰も言ってないだろ」



「一生の問題だろ。僕らが卒業した後はどうなる?」



「――それまでに他に頼れる相手を見つけるとか」



「頼る相手が変わるだけだ。そいつが消えればまた違うやつに依存する。その繰り返しになる未来が見えるね」



「じゃあどうするんだよ」



「それを僕らで分析していくという話だろ」



 リーゼから話を聞き、それを僕とヴァンで分析し、リーゼの回復を目指すというのが、『おはなし会』の目的だ。それなのにリーゼが『おはなし会』を僕に会いにくる場と捉えているのは大きな問題だった。



「そう、だよな」



 ヴァンは『騎士の結婚』を机に置き、姿勢を正した。



「今リーゼが元気になってきているのは確かだ」



「うん。ちょっと前は話しかけても返事すらなかったから」



「そうだな。だが、根本的な問題は解決していないと思うんだ」



「根本的な問題?」



「僕はリーゼの抱える問題は大きく分けて二つだと思っている」



「二つ? ええと、一つはさっき言ってた依存のことだよな?」



「ああ。気づいているか? 彼女は人が離れることを恐れているんだ」



「うん、気づいてた。ここにいるとき、いつもロイに近づきたがるし――前にリーゼがロイに怒って部屋を出ていったときがあっただろ? あのとき、リーゼの後を追っていったら、すぐそこの階段のところで立ち止まってたんだよ。それで、俺を見るとすぐに近寄ってきたんだ。ひとりでいたのが怖かったみたいだった」



「ふぅん。あのあとそんなことがあったんだな」



「俺思うんだけどさ、これって親友のアンジェリカがいなくなったことが関係してるんじゃないのか?」



「というと?」



「だって、直前まで一緒に遊んでた友達が、ちょっと離れた間にいなくなったんだぞ。なんか、そんなことがあったら、今のリーゼみたいになるのもわかる気がする」



「なるほど……」



 そうか。リーゼの依存の原因はそこにあったのか。

 僕は目の前の男に感心した。



「それで、もう一つの問題って?」



「罪悪感だ」



「ざいあく――なに?」



「前にも話しただろ? なぜか彼女は、親友を助けられなかったのを自分のせいだと思っているって」



「リーゼは何も悪くないのに……」



「そうだな。悪いのは犯人だ」



「――なあロイ。やっぱり俺は許せない。親や先生には黙って、俺たちだけで犯人をやっつけないか?」



「いや、それは――」



「俺もロイも身体強化が使えるんだから、普通の大人より強いだろ? 大人に任せるのがいいなら、大人よりも強い俺たちがやってもいいはずだ」



 ヴァンの目には決意が浮かんでいるように見えた。

 僕だって一度は犯人を捕まえることを決心し、リーゼにも宣言した。でも、それは結局有耶無耶になって、今でも消化できない感情が腹の底に溜まっている。だからと言って、ヴァンの提案に易々と乗ることはできなかった。

 ヴァンが子供にしてはとんでもなく強いのは知ってるし、僕自身もそこらへんの大人より強いのは確かだが、今回の犯人の強さはわからないのだ。



「やっつけるのは反対だ」



「なんで――」



 食ってかかろうと立ち上がりかけたヴァンを、僕は手で制した。



「だけど――犯人の手がかりを探すくらいはやってもいいかもな」



 僕は妥協案を提示する。僕ら自身が納得するために。

 ヴァンは浮かせた腰を下ろす。でもまだ不満が残るといった表情だ。



「そう――だよな。それくらいだよな。俺たちにできることなんて」



 ヴァンは悔しそうに拳を固めた。



「現実的にはな。ま、やっつけるにしたって、犯人探しはどのみち必要だ。僕は適当にコーヒーハウスで情報を集めてみるよ」



「コーヒーハウス? アルクム大学のそばの?」



「ああ。コーヒーハウスは知識層が集まる社交の場だからな。今回の事件についてもいろいろと議論されているに違いない」



「あそこってそういう店だったのか。じゃあ俺も一緒に――あ、やっぱ無理だ。絶対家の人にバレる。ロイみたいにひとりで外、出歩けないし」



「僕ひとりで十分だ」



「そうか。その、ありがとな」



 ヴァンに素直に感謝を告げられ、ポカンとしてしまう。



「なんだよ、その顔」



「え、いや。なんでもない。まあ僕も、前からあそこのコーヒーハウスは気になってたから、べつに、ついでみたいなものだし、感謝されるほどのことでもない」



「なんで早口?」



「べつに」



「まあ、なんでもいいけど。じゃあそろそろ帰る?」



「そうしよう」



 僕とヴァンは生徒会室を出て、そろそろ到着しているであろう迎えの馬車に乗るために、一緒に廊下を歩く。



「あのさ、そもそもなんで依存するのがロイなんだろう。クラスの友達でも会長でもなく――あ、今は元会長か――ロイを選んだのが不思議だ」



「僕じゃあ悪いのか?」



「悪くないけど、変だろ。『おはなし会』が始まる前まで、ロイはリーゼと全然仲良くなかったじゃないか」



「僕の人望のなせるわざ――」



 隣を歩くヴァンが、疑わしげに顔をこちらに向けたのがわかった。

 僕は咳払いをして誤魔化す。



「――というのももちろんあるが、もともと親しくなかったことが逆によかったのかもな」



「どういうことだよ」



「身近な人には言えないことも、『おはなし会』という特殊な状況で僕みたいな他人を相手にすれば、語れることもある」



 ヴァンが合点がいったというように頷く。



「ああ、そっか。俺も友達や親には逆に言えないことあるし、なんとなくわかる」



 親、ね。

 身近な人間に親が含まれるという事実に胸がざわついた。両親に頼る自分の姿を想像してみたが、少し考えるだけで心がぞわぞわしてくる。

 なるほど、僕にとっては家族は頼るものじゃないらしい。



「『おはなし会』で僕が聞くことに徹しているのもいいのかもしれない」



「聞くことに?」



「ああ。相手の話すことが真実だと思って聞くことにしているんだ」



「えっと……」



「彼女はときどき、事実とは食い違うことを話すんだ。でも、そのたびにいちいち彼女の言うことを否定していたら話が進まないから、とりあえず正しいと仮定して、全て肯定しながら聞いている。そうすれば彼女も多くを語ってくれるだろう?」



「なんというか、効率重視って感じだ……」



「時間は有限だからな」



「でも、もしかしたら、そういうロイの態度がリーゼにとっては居心地がいいのかもな。『おはなし会』が意外にもうまくいってる理由が少しわかったような気がするよ」



「意外ねえ。貴様が『おはなし会』に、大して期待していなかったことはよくわかった」



「しょうがないだろ。ロイが落ち込んでるリーゼを元気づける会なんて、うまくいくとは思わなかったんだ」



「ふん。元気づける会などと僕はひと言も言っていない。『おはなし会』は問題を特定し解決を目指すための聴き取りだと最初に言っただろう」



「言ってたけど――実際にリーゼも元気になってきてるけど、なんか納得いかない」



 校舎を出たところで、僕らは別れた。なんとなく、二人で一緒にいるところを迎えにきた大人たちに見られるのが憚られるからだ。たぶんだけど、ヴァンも同じことを思っている。

 ヴァンの馬車が出発したのを見てから、僕は自分の馬車に乗り込んだ。

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